進むべき道を教えてくれたのは”胃袋”だった
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金曜日の午後3時、会社の自席でコーヒーを飲んでいる。
砂糖とミルクは絶対入れない、ブラック濃いめ。
朝出勤直後から帰宅の途につくまで、一日中飲み続けている。
数えたことはないが、一日20杯は飲んでいるだろう。
ここまでくると、もはや中毒である。
飲み過ぎが身体に良くないのはわかっている。
だけどやめられない。
理由は「コーヒーが大好きだから」ではない。
どちらかというと紅茶派だ。
ところで僕の仕事だが、通称「カットマン」と呼ばれている。
床屋ではないし、洋服の仕立屋でもない。
その正体はIT会社の人事部長。
会社に利益をもたらさない人間に辞めてもらうことが、僕の最大のミッションである。
だから「カットマン」
当然、僕に直接この呼び方で話しかける人はいない。
陰でそう呼ばれているのだ。
僕は、そう呼ばれることを別に気にはしていないが、その呼ばれ方を気に入っている訳ではない。
もちろん、このミッションに夢や希望を持っているわけがない。
だから好きでもないコーヒーを飲み続けている。
黒く濁った液体が身体の中に入ってくることで、自分の心も黒くなっていくような気がしている。
この情や正義感が最大の敵となる仕事には、心を黒くしなければ立ち向かえないからだ。
僕の仕事は、大手企業がやっている早期退職者公募による人員整理、いわゆるリストラとは違う。
うちのような小さな会社では、そんな多額の退職金など支払えない。
それにリストラしていることが知れ渡れば、悪評が立って客先からの仕事が減ってしまうリスクがある。
だから、ことを荒立てずに、静かに辞めてもらう必要があるのだ。
あくまでも自己の都合という形で。
このミッションを与えられてから約3ヶ月、これまでに「カットマン」の説得で辞めてくれた社員は6人。
目標は全社員の10%にあたる10人、達成まであと4人である。
当初は試行錯誤でやっていた対象者の説得も、いまではすべてパターン化されている。
そう、僕と部下との必勝連携プレーだ。
その一例を紹介しよう。
『金融開発第二部所属、37歳、男、独身、勤続9年』の場合
面会時間の15分前に会議室に入る。
相手より早く席に着いていることは、先手を取るために最も重要な戦略である。
静かな会議室の中で、僕も部下もひと言も発することはない。
やることはすべて頭の中にインプットされているから、いまさら確認することもないのだ。
約束の時間ピッタリに会議室のドアがノックされ、今日の面談相手がうつむいたまま入ってきた。
こちらの顔をまったく見ようとしない。
この会社に最も多いタイプ、ひと目見ればすぐにそれだとわかる職業『ITエンジニア』だ。
何か言えよと思いつつ、こちらからやさしく声をかける。
「すいません、わざわざご足労いただいて。仕事いま忙しいでしょ?」
「ええ、まあ……」
(いい歳して、まともに挨拶もできないやつ、めんどくせ〜な)
「まあ、座ってください。ところで、最近体調よくなかったりします? 顔色良くないけど」
「いえ、特に……」
「そうですか、先週現場リーダーとたまたま話したんですけど、最近あなたのミスが多く、しかも報告がないので困っていると言っていたのが気になりまして。ちゃんとコミュニケーション取れてます?」
「はい、そのつもりですが……」
(ほんと煮え切らねえなあ)
「そうですか、コミュケーション取れてますか。ですけど相手に伝わっていなければ出来てないのと同じじゃないのかなあ、どう思います」
「はい、まあそうですね……」
ここで部下が話に入ってくる。
「あのですね、部長は優しく言ってますけど、はっきり言っちゃうと現場はとても困ってるんですよ。メンバーの中からは、あなたがいない方がいいという声もあるんですから」
シナリオ通り。
「まあまあ、そんな一方的に責め立てるのはやめよう。本人の言い分もあるだろうから。
気にしないで、本音で話してくださいね」
「すいません、私のせいで人事部長にまでご迷惑をおかけしてしまって……」
(ほんとにそう思ってんのかよ、じゃすぐ辞めてくれ)
「迷惑だなんて、それよりもあなた自身がどう思っているのか、どうしたいのかが一番大切なので、じっくりと考えましょうよ、一緒に」
「はい、ありがとうございます。自分でもよくわからなくて……」
再び部下が。
「あのですね、これで3回目なんですよね。前の現場もその前も。まったく同じことを繰り返しているんですよね。今回がラストチャンスだと、ご自分で言っていたこと覚えてますか?」
「……」
部下の攻撃は止まらない。
「私がこんなこと言うのも失礼ですが、あなたこの仕事向いてないんじゃないんですか? このまま続けてもいいことないと思うのだけど、真剣に考えています?」
「……」
(でた、強烈な右ストレート! 今日はここでレフェリーストップだな)
「まあまあ、いきなりそんなこと言われても困りますよね。ちょっと時間置いてまた話しましょう。自分自身の将来のことよく考えてくださいね、それが大事ですから」
「はい、すいません……」
「じゃ、お気をつけて帰ってくださいね。明日からの仕事もよろしく頼みます」
この後1〜2回の面接で、大概の人は辞めることを決意する。
ミッションコンプリートである。
僕と部下がその成果を祝ったことは一度もないし、これからも決してない。
最近では、部下とは必要なこと以外は話さなくなっている。
お互いに、会話はできるだけ避けているのが、空気感でわかる。
仕事のストレスか、コーヒーの飲み過ぎか、帰りがけに強烈な胃の痛みに襲われた。
顔面蒼白で冷や汗が吹き出し、座っていることもできないほどの、いままでに経験したことのない痛み。
5分くらいで治ったのだが、僕には永遠に続いて、そのまま死んでしまうかのように、長く感じられた。
誰かに呪われたのかと考えた。
これまでに辞めていった誰かに。
翌日、有給休暇を取って病院に行ってみると、医師から直ぐに入院するように指示を受けた。
仕事は心配であったが、何よりあの痛みの恐怖を思い出すと、医師の指示に従うことを選ばざるを得なかった。
幸いに症状は大したことはなく、1週間の入院で治療は終了し、僕はまた会社に通い始めた。
ほんとうは、このまま入院し続けたいという気持ちの方が、強かった。
復帰後は、目標達成に向けてミッションを再開した。
そして、また毎日大量のブラックコーヒーを飲み続けた。
しかし、入院前のように簡単には進まなかった。
必勝パターンの効き目が衰えたのか、それとも僕自身の気持ちが何か変わってしまったのか。
ミッションの期日が直前に迫っていたが、あと2人がなかなか決まらなかった。
経営会議でボロクソに突っ込まれた。
「カットマンは宇宙に帰っちゃたの?」とイヤミを言われた。
社長からは「とにかく結果を出してくれなきゃ困るからね」それだけ言われた。
めずらしく、部下と会社の近くのカフェでコーヒーを飲んだ。
もちろんブラックを。
「あと2人だ、今週中に何とかしないとやばいぞ」
「そうですね。あと2人……」
「誰でもいいから、あと2人だ」
「はい、あと2人、誰でもいいから……」
僕と部下の目が合った。
そして同時に微笑んだ。
同じことを考えていたようだ。
僕と部下の最後の連携プレーを。
翌日、僕と部下は辞表を提出した。
社長は一瞬驚いていたが、引き止める言葉さえかけられなかった。
これからのことを思うと不安がないわけではなかったが、心はびっくりするほどスッキリしていた。
あれから半年、元部下はベンチャー企業に転職して活躍している。
一度見たことがあるが、彼の書いたコラムがバズっていて、業界では有名人らしい。
僕はフリーランスで、何とか生計を立てているが、年内には事業を立ち上げようと計画している。
誰にも指図されることのない、自分だけの事業を。
入院までした胃痛の回復は驚くほど早く、いまではまったくの健康状態だ。
コーヒーも飲み続けている。
相変わらずブラックで。
1日5杯までと決めている。
そして紅茶よりも、コーヒーを美味しく感じるようになった。
結局、仕事もコーヒーも過ぎるのがいちばんよくないのだと、ようやく気がついた。
サラリーマンを30年近くやってきて、いまさらながら大切なものを取り戻した気がする。
自分の心に正直に生きることが、こんなにも素晴らしいことだったとは。
身を挺して僕に大切なことを教えてくれた胃袋に感謝して、今日5杯目のコーヒーを飲んだ。
***
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