男の着物姿には女の子が甘えたくなっちゃう何かがあるのかも知れない
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記事:南英樹(ライティング・ゼミ)
不思議な出会いだった。踊るように弾むように軽やかに、ひとりの女性がふわりと俺の目の前に現れた。重い車体をずるずると引きずるように動きだした電車のなか、分岐ポイントの衝撃を受けとめきれずにもだえる車体に翻弄されながら彼女は、最初の大揺れでキャッと叫んで俺にもたれかかり、2度目の逆揺れで俺の胸ぐらをつかんで踏みとどまり、3度目のそれで揺れに抗うことを諦めたように俺の身体に身を寄せた。あまりにも無防備に飛び込んできた彼女の唐突な振る舞いに少なからず面食らいながら、俺は本能的に彼女を抱き止めた。
「この人は受け入れてくれるはず」そんな確信でもあったのだろうか。目深にかぶった帽子のつばでその表情こそ伺うことはできないが、そっとうつむいたままその身体を預けてくる。時折触れる彼女の腕の透き通るような肌の感触、かすかな香水のラストノードが俺の心を惑わせた。互いの息づかいが感じられるほどに距離をつめながらなお、許しあえる圧を探り合う。俺は、徐々に高鳴る自分の鼓動に戸惑いながら、彼女がすぐに消えてしまうことを恐れた。ふと気づけばこの深夜の最終電車に、いつまでも止まらずに走り続けていてくれはくれまいかと、祈っていた。
「と、まあこんな感じなんだよ」
「冗談でしょ、信じられないよ! あまりにも効果ありすぎだろ」
両腕を袖に通し、腕組みをしながら聞いていた浦見は、突っぱねる。
「まぁ信じてくれなくてもいいんだよ。信じられないことってのは、なかなか他人に理解してもらえないものだろうからな」
俺は、別にコイツに信じてもらおうなんて思っちゃいない。
ただ、あのときの強烈に甘美なシチュエーションを反芻したいがために喋っただけだ。
「でもさぁ。おまえ、マジ危なかったな」
「え? なんで?」
「それ、ハニートラップだぜ」
ハニートラップ。それは、彼氏の不倫グセに頭を悩ます世の女性たちに、テレビの番組でおおっぴらにお仕置きしてもらうために放送作家が編み出した、女優の卵(ハニー)などによる罠(トラップ)をいう。彼氏好みの、モデル並みに麗しい女性が、言葉巧みにターゲットとなった男に近づき、罠にかかった瞬間の映像を、証拠として押さえた時点でアウトとなる。依頼人の彼女が現れ、男を完膚なきまでに貶めるという筋書きだ。
浦見の言うところの俺に仕掛けられたハニートラップの筋書きはこうだ。新宿から西へ向かう電車は、発車してまもなく分岐ポイントを迎えておおきくその車体をくねらせる。トラップをかける女はそれを見越していて、金を持っていそうなオヤジをターゲットとして近づく。電車の揺れを利用して身を寄せてきて、こちらがその身体に触ったとたんに「痴漢!」と叫んで突きとばす。逃げようとしてもまわりはすでにサクラに取り巻かれていて即座に拘束。警察に突き出されたくなければ金を払えと恐喝されてオダブツ、と言うものだ。
なるほど。そんな可能性もあったのかも知れない。だがあのときの俺は、そんなことを考えている余裕などなかった。
突如舞い降りたこの女性は天使なのか悪魔なのか。なぜこんな状況が訪れたのか。俺の頭はこれまでの経験を総動員して、状況を理解するための分析を開始しようとしたものの、なぜかそれはすべて無駄なことのように思えた。俺は、賭けた。そっと彼女の腰を押しやる。肩を一度軽くすくめてみせる。手のひらをそっと差し出す。俺は彼女の瞳をまっすぐに見据え、その奥に隠された意思をのぞき込みながら、そっと伝えた。
「堂々と甘えろや」
どれくらい視線を重ねていただろう。彼女は軽く睨むような素振りを見せてからそっと目を伏せ、恥じらうような微笑みとともにその白い手を俺の腕へと伸ばした。なにも特別なことではない。疲れたきったときにはそうやって甘えてもいいのだ。俺は彼女を引き寄せ、そっとその背中を撫でた。
「ぼーっとしてんじゃねぇよ、まったく。そんなにおまえ好みの女だったのかよ」
我に返ると、運ばれたばかりだったはずのビアグラスの表面にはすっかり水滴がついている。
そうなのだ。黒のキャップを目深にかぶり、黒のノースリーブのブラウスに眩しいほどに白い七分のクロップド丈のパンツ、すらりと伸びる足首にはシンプルな黒いヒール。軽快なスタイルに身を包んだ彼女の仕草ひとつひとつが、瞼の裏に焼き付いて離れない。
だが俺は、彼女が本気ではないことを知っている。本気で好きな男にはなかなか甘えられないのが女性の本音なのだから。彼女にはきっと、甘えたいのに甘え方が分からず、ひたすら想いを寄せている男がいる。その想いが鬱積する日々がつのり、ストレスがピークに達したところにたまたま、俺という「ちょっと好みの男」が目にとまったのだ。酒の勢いも手伝って興味本位に近づいてみたのだろう。
「やっぱ今、世の中の女たちは、草食系の男達に辟易しているのかもな。とてもイケメンとは言えないおまえに、なぜそういうチャンスがめぐってきたか分かるか」
たしかに、俺はイケメンと言われるには少しばかり古風な風体をしている。眉毛は濃く顎は張ってムダに胸板も厚い。脚も長くなければ、軽く腹も出ている。高校時代のあだ名はタカモリ。あの西郷隆盛に由来する名だ。
この男に勧められて着物を着始めたのはほんの1年前。おまえなら絶対に似合うからと、無理矢理に和装のリサイクルショップに連れて行かれて古着を買わされた。最初は半信半疑だったが、浦見とふたり、着物姿で吞みに行くようになってから周囲の常連のお客さんや若い女の子、ちょっと年上の女性にも「なんでキモノ着てんの?」と話しかけられることもしばしば。いつの間にか着物ネタでつながったお客さんたちに「和の輪」が広がって、ずいぶん充実した酒場ライフを満喫させてもらっている。事件の発生もそんな夜を終え、浦見と別れてすぐのことだった。
別の酒場では、隣のカウンター席でとぐろを巻くキャバ嬢に絡まれたこともある。
「草食系男子ってムカつく! なかなか本当の気持ちを伝えようとしないから、女の子たちみんな病気になっちゃうよ。男が声をかけてあげないから、女の子たちなかなか自信を持てなくて葛藤して心のリストカットみたいなことやってんだよ。自信持ってぶつかってけよっ、若者!」
コトを起こす前にクヨクヨ考えて、頭の中でさんざん戦争を繰り広げた挙げ句、安全策を選んで結局なにもしなかったことがどれほどあったことか。それにしても女性たちが、甘えたいのに甘えられない檻に閉じ込められているなんて考えたこともなかった。
あの事件がトラップだったのかどうか、未だに分からないし、知りたくもない。
あれはもしかすると、こういう時代を反映したひとつの事件だったのかもしれない。彼女はこの時代の悩める女性を代表して魔法のように俺の前に現れ、そして消えた。現代の男どもの代表としての俺の意思を試すために。未知の未来へとひるまず向き合った、己を誇れる自分がいまここにいるという過去を蓄えることこそが生きることなのだと伝えるために。
浦見は言った。
「着物を着ている男はある種のシンボルをまとっているんだよ。女たちに甘えたいと思わせるなにかを匂わすシンボルをな」
それは質実剛健がまだ唯一の価値だった時代のシンボルなのだろうか。女たちはいま、決断する男を欲している。価値観が多様化するこの時代、なにが正しいのかの共通理解が薄らいでいる。だからこそ信念という碇を下ろし、自分の意思で導いてくれる男が注目されるのだろう。
「さあ、始めるぜ」
今日のイベントには、かなりの和服姿の人々が集まった。浦見が京都で始めた新規事業のオープニングパーティー。まったく次から次へと懲りない奴だ。それにしても、やはりコイツには着物がよく似合っている。腹の据わっていない奴が着物を着ても滑稽にしか見えないから不思議なものだ。行く末がどうなろうと知ったもんじゃないが、コイツの喜怒哀楽に充ちた人生に付き合ってやるにやぶさかではない。
会場一杯に詰めかけた聴衆を前に俺たちは、この日のために誂えた着物の襟を正した。
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