メディアグランプリ

嫌いだと認めたから、今、あなたを内側から愛することができる


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記事:永尾 文(ライティング・ゼミ)

私は本が嫌いだ。
いや、正しくは嫌いになった、だ。
憎んでいると言ってもいい。

どうしてこうなってしまったのか、答えは一つしかない。
私の「好き」は人質にとられてしまったからだ。

小学生の頃は本が大好きで、六年間で図書室の蔵書は全部制覇した。中学生になってからはミステリーにのめり込み、国内外の作品を読み漁る一方で、少女小説にハマった。高校に入ってからは学校の図書館だけでなく、電車で市外の大きな図書館に足を運ぶようになった。
本の世界に没入している感覚が好きだった。何もかも忘れて、文字が織り成す世界にどっぷりと浸る。
文字は「あ」とか「い」とか「愛」とか、それだけでは何の意味もなさないのに、なぜ文章になると絵画にも映像にも音楽にもなれるんだろう、と不思議でたまらなかった。
文字を目で追っていくだけで、色が見える、声が聞こえる、音が聞こえる。一本の糸が紡がれて、大きな布になるように、意味をなさない文字の一つひとつが大きな世界を作っていく。
その瞬間に立ち合う幸福以上に、幸せなことってあるのだろうか。
常に本が傍らにいる青春時代だった。
この先、本を嫌いになることなどないと思っていた。

「趣味は読書です」
自己紹介ではいつも、そう答えた。
だって、本当のことだったからだ。読書が趣味でなければ趣味といえるほどのものはきっとない。そう思っていた、大学生の頃。
文学青年らしい同級生に「俺も本、好きなんだ」と話しかけられたときは、気が合う人に出会えたのだと嬉しくなった。
彼は、薄い唇の端をキュッと上げる。
「じゃあ月に何冊読むの?」
「何冊……?」
私は首をひねる。読んだ本の数など数えたことがなかったからだ。
ええと、と指を折る私を、文学青年の彼は笑った。
「読書が趣味なら、月に100冊は余裕でしょ。まさか、そんなに読んでないとか言わないよね?」
「この本読んだことある? え、ないの?」
「好きなら絶対読んでるでしょ、ほんとに好きなら」
ほんとに好きなら、と彼は繰り返した。
私が彼の挙げる本をそれは読んでない、その作家さんは知らないと言うたびに。
まるで暗示のようだった。刷り込まれるたびに、自分の無知さが恥ずかしくなった。読書が趣味ですと言ってきた私の、あまりの浅さに。
最後に彼は、とどめをさす。ため息と共に吐き出された台詞が、心臓のど真ん中にぐさりと刺さった。
「なんだ、そんなに好きじゃないんじゃん」

私が「好き」を人質にとられた瞬間だった。

好きだよ、あなたが大好きだよ。
本を読んで笑って、泣いて、たくさん救われてきたんだよ。
惚けてしまうほど美しい文章に出会って、胸が痛くなるほど感情移入した登場人物に出会って、こういう本に出会うために生きていこうと思った。
生きていくのだと、思っていた。
けれど、彼と話してから、私の中の何かが変わってしまったのだ。
本を読むたびに、苦しくなった。
彼が面白いからと勧めてくれた本も読んだ。確かに面白かったけれど、読んでいる最中も彼の言葉が耳から離れてくれない。昔のような没入感は味わえなかった。
『ほんとに好きなら、当然でしょ』
『そんなに好きじゃないんでしょ』
彼の言葉を振り払うように、本を読むようになった。『ほんとに好きなら』たくさん読むものなんだと、読んだ数も数えて、ちゃんと月に100冊読んだ。
しかし、そうやって読んだ本の内容を今の私は全く思い出せない。

あのときの苦しい読書は、おそらく身代金だった。
「好き」にナイフを突きつけられて、「返してほしくば本を読め」と言われているようだった。
「好き」は証明しなければならないものに変わった。
文学青年だって、悪気があってあんなことを言ったわけではないのだ。ただ彼もほんとうに本が好きで、同じ趣味を持つ仲間と楽しく語り合いたかったのに、知識のない私につい苛立ってしまったのだろう。期待を裏切ってしまったのは、私。
おそらくファン心理として、「好き」の熱量が大きければ大きいほど、その程度で「好き」を名乗るなと、言いたくなるのだろうと思う。オタクがにわかを断罪するようなものだ。
だからって、私の「好き」を否定してほしくなかった。
月に読んでいる本の数が100冊だろうと、10冊だろうと、本が好きでいいじゃない。読書が趣味ですって、言ってもいいじゃない。
だって、ほんとに「好き」なんだから。
面白い本を前にしたときの興奮や、感動は、月に10冊読む人も月に100冊読む人も決して変わらない。私も、文学青年の彼も、きっと同じだったと思うの。

誰になんと言われようと「好き」だと言えば良かった。人質にとられた「好き」を力ずくで奪い返せば良かった。
けれど私は弱かった。彼のたった一言に囚われてしまった。
紙をめくる指が震えるようになった。あんなに好きで、書店員にまでなったのに本屋に行っても本に手が伸びなくなった。
「好き」なのに、苦しい。
そんな日々が続いて、とうとう私は本を嫌いになった。人質にとられたままの本を奪い返す力がなかった。
嫌いだと認めたとき、私は静かに泣いた。本と過ごした青春時代に別れを告げるようだった。

そんな私が、今、変な本屋「天狼院書店」に足を運び、再び本を読んでいる。
ネットでその存在を知って、はじめは店に入るのが怖かった。福岡の店舗の場所を突き止めてからも、何度も店の周りをうろうろして、ほんとうに入店するまでに1週間かかった。
噂通りの変な本屋だ。立ち読みどころか座り読みもオッケーだし、一番意味がわからないところはこたつがあるところだ。PCに向かって必死でキーボードを叩いている人、デザートを食べている人などなど、もはや本を読んでいない人もいる。本を読んでいてもいなくても、皆が思い思いのREADING LIFEを過ごしている。
ここでは誰かに『好き』を証明する必要はないのだと安心した。
今ではライティング・ゼミの講義やなんだでちょくちょく足を運ぶようになり、それだけでは飽きたらず遠ざかっていた他の書店にも、会社帰りに寄り道できるまでになった。

それもこれも、本を嫌いだと認めてしまったからだ。
あの瞬間、身代金を払う必要がなくなって、すごく気持ちが楽になった。
と、同時に生まれてきたもの、それが。
『嫌いなのに』読みたい、という厄介な感情だった。
歯軋りしたくなるほど面白い、とか、悔しいけど泣いてしまう、とか、ガードを固くしようとすればするほど感情が引き出されたとき、今まで感じたことのなかった快感を覚えた。
『好きなのに』読めないより、『嫌いなのに』読んじゃうの方が、100倍楽しくて、面白い!
からだの内側から温まるみたいだ。理屈じゃないところで本を欲している。

紙をめくる指が震える。でもそれは、読むことが苦しいからではない。
早く次のページを、と急かしているのだ。
買ったばかりの文庫本は、何も言わない。本が嫌いな人生を生きる私の傍らに、ずっといてくれるだけだ。
意味を持たない「あ」と「い」が、他の文字と組み合わされ重ねられ紡がれて、「あなたを愛しています」という文章になる。悔しいけど、憎らしいけど、たったそれだけのことが私の内側をこんなにも熱くさせる。

さぁ、どんな世界を見せてくれる?
大嫌いな、最愛のひと。
あなたを嫌いになってほんとうに良かった。

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

 

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2016-08-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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