【母と娘はなぜこじれるのか】スパルタ母とリンちゃんの物語
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記事:青子(ライティングゼミ)
シンクロの鬼と言われる井村コーチのスパルタ指導を受けて、オリンピックで銅メダルを獲得した乾選手と三井選手がインタビューでこう答えていた。
「地獄のような日々だった」
「逃げたくなった」
1日12時間練習を続けたというし、さぞ厳しい特訓の日々を経て勝ち取った銅メダルだったのだろうと察する。
友達のリンちゃんが、その報道を見てボソッとこう言った。
「でもさ、この人達は、鬼と別れようと思えば別れられるからいいよね」
リンちゃんは29歳の時に上京した。
どこでも働ける国家資格は持っていたが、何のつてもなく、仕事のあてもないまま、ひとり東京に出てきたのだ。
上京して夢を追うには微妙な年齢だ。しかも、リンちゃんは生まれ育った故郷をこよなく愛している。
なのに、どうして20代最後の年に、大好きな土地を離れ、上京して一人暮らしを始めようと思ったのか、前から機会があったら聞いてみたいと思っていた。
リンちゃんは、東北の緑の多い美しい町に生まれ育った。
シングルマザーのお母さんは看護師として働き、一人娘のリンちゃんを養ってくれた。
「育ててくれたのは、おばあちゃん。母は生活費を稼いでくる存在だった」とリンちゃんは言う。
お母さんは、アイコさんというかわいい名前からは想像できないほど、相当なスパルタ母だったらしい。
「一般的な、躾に厳しい母とか、教育熱心な母とかではなく、まさに鬼という言葉がしっくりくる。それほどまでにスパルタな子育てをされてきた」というのだ。
「たとえばね、こういうこともあったのよ」と、リンちゃんは、聞いてくれと言わんばかりに体を乗り出して話し出した。
「私が中3の時、受験生だからテレビは観るなって言われていたのね。でも、伊藤つかさの主演ドラマ『アイコ16歳』が好きで、母がお風呂に入っている隙を盗んでテレビドラマを観ていたの。
すると、風呂場の扉がバタンと開くや否や、濡れた体にバスタオル一枚巻いたままの母が飛び出してきて、すごい勢いで、裁ちばさみをタンスから取り出した。
『やばい! 殺される!』と思った瞬間、その裁ちばさみの刃がキラリと光り、母がテレビのコードを切ったの。
一瞬でテレビの画面から映像が消えた……。
アイコがアイコ16歳を消した! なんて今なら冗談で話せるけど、そのくらい絶対服従で、言われたことに従わなかったら罰が下されるわけ」
お母さんがコードを切断した瞬間、大きな火花が散り、バンッ! とすごい音が部屋中に響き渡った。それでもお母さんは微動だにせず、仁王立ちして「テレビ、観るなって言っただろう?」と低い声で静かに言ったのだそうだ。
感電死するリスクも顧みず、自らの手で罰を下すのか……と話を聞いている私も震え上がった。
それをきっかけに、リンちゃんは、テレビを観ることができなくなった。
それはあまりにも不憫だということで、同級生の男の子が家に遊びに来たふりをしながら、テレビのコードの修理を試みてくれた。
気付かれないように、こそこそと隠れながら作業をしていたのだが、あっけなくお母さんに見つかってしまった。
「人んちに上がり込んで何やってるの? ん? まさかテレビを直そうとしてるんじゃないわよね?」とその男の子まで怒られ、その子は出入り禁止になってしまったのだった。
「おめえの母ちゃん、怖すぎる!」
震えるように立ち去った同級生の背中を見て、リンちゃんはもはやここまで、と諦めたという。
それから4年間、高校を卒業するまでテレビのない生活が続いたそうだ。
「まぁ、おかげで勉強に集中できて、学年でトップの成績になったけどね」
幼少期からスパルタの母の元で過ごし、怒られることには慣れっこだったリンちゃんも、母親の干渉癖には耐えられなかったという。
「あの学校に行け」「手に職つけろ」「こういう人と結婚しろ」
進路のことや恋路まで口を出してくることが、リンちゃんは嫌で嫌でたまらなくなった。
でも、お母さんは自分の考えが正しいと思っていたし、娘を露頭に迷わせないためには、親が導いていくのが当たり前だと信じて疑わない人だったから、リンちゃんは自分の気持ちを言い出せない。
嫌だと思いながらも、お母さんの言う通りに行動してしまう。
20歳を過ぎて、一人の大人として、冷静にものごとを観ることができるようになったリンちゃんは、このままではお互いにとって良くない、恐ろしいことになる、と思ったのだそうだ。
「母は私のことを所有物のように見ている。そして私も服従する癖がついてしまっている」
「あえて、母と離れなくてはならない」
そう決心して、紆余曲折ありながらも、満を持して20代最後の年に東京にやってきたのだった。
話を聞きながら、すごい気付きだな、と私は内心ひどく感動していた。
母と子供というのは、まず一心同体のところから関係がスタートする。
妊娠期間中、母と子供は同じひとつの肉体に収まり、生きるか死ぬかに関わるリスクさえ共にする関係だ。
そんな経験を9か月間もして産み落としたのだから、母親というものは、自分と子供の間の境があいまいで、ついつい同一視してしまうものだ。
子供の喜びも悲しみも自分のことのように感じるし、子供の成功も失敗も、自分の体験そのものだ。
できれば、子供には苦労してほしくない。だから、先回りして手を出したり、親の思った通りに生きてほしいと考えてしまうこともあるだろう。
そういう意味では、母と子は共依存関係であることが、むしろ自然なのかもしれない。
リンちゃんは、それもすべてわかっての決断だった。
母と子の関係は時に難しい。
リンちゃんは、お母さんと目に見えない依存というコードで繋がれていることに気付いたのだ。
母一人娘一人でずっとやってきたからこそ、強固な結びつきがある。
血の繋がり、親子の繋がり、愛情の繋がり、同じ女性という繋がり、同志としての繋がり……。
二人が複雑に絡み合う何本ものコードで繋がっているとしたら、その中には不要なコードがあるのではないか、と。
「このコードを切らないと、お母さんはいつまでも私に干渉を続けて、二人分の人生を生きることになってしまう。そして、私は自由に生きていくことが出来ない」
リンちゃんが東京にやってきたのは、自分の人生を生きるため、そして、お母さんとの関係性を生まれ変わらせるための神聖な儀式のようなものだったのだ。
テレビのコードはお母さんが切ったが、今度は、リンちゃんが母子を不健全に繋ぐ依存コードを断ち切った。しかも、安全で穏やかなプロセスで。
あれから、もう10年以上の月日がたった。
今でもお母さんは一人で東北の美しい土地に住み、リンちゃんは東京で忙しい毎日を送っているが、まとまった休みが取れれば、東北新幹線に飛び乗り、お母さんの待つ実家に帰る。
お母さんは、やはり今でもぷりぷりと怒っているらしい。
でも、もう立派に自立したリンちゃんのことを怒る理由は見つからないらしく、もっぱら自分の日常生活の中に怒りのネタを見つけているのだそうだ。
「実家に帰るでしょ。母は、朝起きるや否や、布団の中で怒り散らしているのよ。
『水飲まないと足が吊るし、飲むと夜中にトイレに起きたくなって眠れないし、なんだよ、どうすりゃいいんだよ! めんどくせーなっ!』って……」
と、リンちゃんはケラケラ笑いながら教えてくれる。
「怒ることで命を回す人なの。怒っていれば、きっと長生きするタイプだから、怒らせておくわ」
現在、お母さんは看護師を立派に勤め上げ、悠々自適な一人暮らしをしているそうだ。
70歳を迎えた記念に今までやったことがなかったことをしようと、生まれて初めてガーデニングにチャレンジしはじめた。たった一人で土を掘り起こし、素晴らしい庭を作り、花々を育てているらしい。
これまで、娘を女手一つで育てていくというプレッシャーの中で懸命に生計を立ててきた。
だから自分の時間もなかった。趣味と呼べるものもなかった。
もしかしたら、そのストレスが怒りとなって娘にぶつけていたところもあったのかもしれない。
「母は、やっと最近になって、好きなことをしていいんだ、と自分に許可を出したんじゃないか」とリンちゃんは言う。
その慈愛に満ちた表情は、まるでリンちゃんの方がお母さんみたいだ。
リンちゃんが、お母さんと心の距離を上手に置こうと決意し、上京したことで、母子の関係性は生まれ変わった。
リンちゃんは、「お母さんが自分のために生きる時間」をプレゼントしたのだ。
そして、リンちゃんも自分のシナリオで、オリジナルの人生をいきいきと歩んでいる。
親子はいつからでもやり直すことが出来る。
リンちゃんと話していると、そう確信する。
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