たばこの匂いが音もなく広がるように
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記事:Yushi Akimoto(ライティング・ゼミ)
僕がたばこを吸い始めたのは大学4年生のときで、誰に勧められるでもなく、銘柄による違いもあまりわからないまま、近所のコンビニで100円ライターと共に買ったのが最初だった。別のコンビニでアルバイトをしていたので、よく買われるマイルドセブンエクストラライトをとりあえず選んだのを覚えている。そうして吸い始めたものだから、たばこを吸うには灰皿が必要であること、世の中的な分煙傾向のために外出先でタバコを吸える場所は限られていること等、たばこにまつわる諸事情をいちいち失敗を通して学ぶのだった。
たばこを吸っている人は匂いに鈍感になるというのも、他人から指摘されて初めて気づいたもので、今やiQOSが売れているというのもよくわかる。確かに、狭い喫煙所に入るときの匂いにはうんざりするが、吸っているうちに気付かなくなるのだから、不思議なものだ。今は禁煙をしようとしているから、たばこを吸う人と酒の席を同じくすると、なるほど、服や髪の毛にまで匂いがしみついてしまうのだな、と実感する。吸う本人も別に悪気があってやっているわけではなく、むしろ申し訳なさを持ち合わせている人もいるのだろうけど、結果的には、自分の満足のために周囲に悪臭をまき散らしていることになる。
「えー、たばこ吸っているんだ! 意外ですね」
僕がたばこを取り出すと、そう驚く人が多い。眼鏡をかけていること、襟のついた服を好んで着ること、何より、堅物そうな顔。そうした諸々のことからにじみ出るものがつくる他人の印象があるようだ。知人のカジュアルな結婚パーティーで唐突に人前でカラオケを歌うよう依頼され、僕の世代ならだれでも知っている沖縄出身の3ピースバンドの有名な一曲を熱唱してみせたときも、割と多くの人にウケた。よほど普段の見た目からのギャップが大きかったようである。
高校生に勉強を教えていた頃、中学はソフトテニス部で、高校は硬式テニス部だった、と生徒に話すと、ほぼ必ず「えー! そうなんですね! 絶対科学部だと思っていたのに」と残念がられる。なかなか失礼な話だが髪を切るのが面倒で、前髪が日常生活に支障が出るくらいに伸びてから切るものだから、致し方ないのかもしれない。見た目を変える努力をするのも億劫だし、就職活動の時や新卒で働いていた時には真面目で落ち着きのある印象が割と有利に働いていたので、一概に悪いわけでもないのだが。
でも、どうやら、必ずしも見た目だけが悪さしているわけではなさそうなのだった。
高校生たちに、高校当時は理系で、大学の専門は数学だった、と伝えると、やっぱり、という反応がある。なんでそう思うの? と聞くと、「だって、話し方が理屈っぽいもん」とか「いかにも理系って感じ」とか「感情的に怒られるより、論理的に淡々と問い詰められる方が辛い」とか、言いたい放題のコメントが並ぶわけだが、普段のコミュニケーションを通じて他者の輪郭を描こうとしているのがよく分かる。見た目はその印象に拍車をかけているだけで、僕が無意識のうちにしてしまっている一つ一つの言動の中に、僕という人間の性質がにじみ出てしまっているのだろう。
僕が現在オフィスとして活用している施設には、2名の女性スタッフがほぼ常駐で施設管理の業務にあたっている。彼女たちのいるスペースでPCのディスプレイを前に黙々と作業をしていると、「コーヒー入れるけど、飲みますか?」と声をかけてくれる。電話で話していたりミーティングで盛り上がっていたりするときには、すっと、絶妙なタイミングでコーヒーを出してくれる。その施設は廃校を利活用したシェアオフィスのようなもので、僕は施設の一利用者であり、組織的には彼女たちとの関係はない。それにも関わらず、いつも気さくに話しかけてくれ、天気のことや施設で日常的に起こることについてあれこれ雑談できるのが心地よい。他の利用者のお子さんの相手をしてあげている場面もよく見る。お二人が「業務」としてやっているのではなく、ごく自然な気遣いの結果としてそう振舞っているのが伝わるからこそ、そのスペースは実に居心地が良いものになっている。きっと、彼女たちは、僕がその場所に居座ってしまう理由をそんなふうに思っているなんて、考えもしないのだろうけれど、それがなおさら良い印象につながるのだから、不思議なものだ。
これとは反対に、きっと、誰かの無意識のふるまいが、他人に嫌な思いをさせたり、あるいは傷つけてしまったりすることもあるのだろう。しかし、たばこの煙が音を立てることなく静かに部屋の中に充満し、ついには服に染み付いてしまうように、望む、望まないに関わらず、日頃の言動の全てを意識下に置くことは難しい。それをコントロールしょうとすればなおさらだ。いや、そもそも、コントロールしようとするからこそ、時にはしんどくなってしまうのかもしれない。たばこは(禁煙の難しさはあるにせよ)止めればそれで済む話だけれど、今まで続けてきた生き方を止めることは急にはできない。シェアオフィスを管理する二人の女性のように、言動が無造作であるからこそ、そこに信頼がおけるということもある。
あるいは、僕がいろいろな場面で驚かれてしまうように、周囲が普段の自分から受け取る印象とそのギャップがあっても、心外に思わず、むしろ受け止めていくことで、自分からにじみ出るものを自覚できるという可能性もありそうだ。それでも、自分の無意識の言動を変えていくことは難しいのだろうけれど、そのギャップを楽しむ、くらいがちょうどよいということもあるのかもしれない。唐突に熱唱するという意外性でウケたことを思い出しながら、そんなふうなことを思ったのだった。
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