浮気の代償は〇〇の3倍の治療費だった
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:田盛稚佳子(ライティング実践教室)
ケンタロウは私の膝にカラダを預けたまま、少しも動く気配がない。
その温かさを感じながら、私は彼の頭を撫でる。
「私、そろそろ行かなくちゃ」
「え? まだいいだろ? あと15分」
そう言って、見上げる美しいブルーの瞳が眩しくて直視できなくなる。上目遣いは反則だ。
困ったな。あと15分もいたら、雨の中を走ってバス停まで行かなくてはならない。
「せっかく、初めてウチに来てくれたんだし。おまえの膝、居心地いいんだよ」
そう言われて、うっかり頬が緩みそうになる。
やめて。これ以上ケンタロウを好きになっちゃいけない。でも一緒にいたいのも事実だ。
私は仕方ないふりをして答える。
「わかった。本当にあと15分だけだからね」
彼よりも自分に言い聞かせながら、もう一度確かめるように頭をそっと撫でる。
15分はあっという間だった。
「じゃあ、また来るね」
「ありがと。またな」そう言うと、ケンタロウは眠りについた。
料金を支払い、お店を出る時に店員さんに言われた。
「お客さま、お似合いでしたよ。ぴったりと寄り添ってて」
「あ、ありがとうございます……」頬が赤らむ。
ふと自分のはいているフレアパンツに目を落とし、現実に戻ってしまった。そして尋ねた。
「あの……、すみません。コロコロを貸していただけますか?」
「ああ、ケンタロウくん長毛ですもんね。どうぞお使いください」
微笑みながらコロコロを渡してくれる店員さんが、私の足元を見て笑っていた。
私の黒いフレアパンツには、彼の白とミルクティーのような色の毛がびっしりとついていた。
そう、ここは「保護猫カフェ」である。
茶白の長毛猫・ケンタロウに、私は一目で心を奪われたのだった。
このまま帰ったら、浮気したのがすぐバレてしまう。
白黒のハチワレ猫(メス)・なーちゃんは、勘も嗅覚も鋭い。嘘はつけないのはわかっていたが「証拠隠滅」の四文字が頭の中を駆け巡る。
私は彼の毛が残らないように、コロコロを腰の辺りから足元まで丁寧に滑らせていった。
結局、雨のせいでバスは遅れてきたものの予定には間に合った。
そして夜。帰宅すると着替える間もなく、うちの子が「ニャア!」と鳴いて突進してきた。
「やっと帰ってきた! もう、いつもより遅いじゃない! ん……!?」
明らかになーちゃんの顔色が変わる。そして、私のフレアパンツの裾をぐるりと嗅ぎまわっている。しかも両足の裾を。
スンスンスンスン。
これ、私のニオイじゃない……という訝しげな表情で、さらに膝の辺りまで念入りに嗅ぐ。
スンスンスンスン。
「オスのニオイがする」
そんな吹き出しが、私には見えた。肌寒い夜なのに、脇汗がじわりと出てきそうだ。
これが、世の中の浮気した経験のある男性の後ろめたい気持ちなのか、と天を仰いだ。
これでもかとフレアパンツの匂いを嗅いだ後に私をじーっと見つめると、プイッと踵を返して自分の部屋へ戻って行った。
「バレたよね。絶対バレたよね?」と私。
「あれは怒っとるね」と追い打ちをかける母。
それから、何度もなだめたり撫でたりしたものの、彼女の機嫌は一向に直らなかった。
それから5日後に事件が起きた。
仕事中に母から切羽詰まったLINEが来たのだ。
「なーちゃんが何度もトイレに行くの。今までにないからすごく気になる。腎臓悪いのかな」
聞いてみると、私が出勤してからの3時間で10回以上トイレに行くのだという。たしかに今までにない頻度だ。
猫は痛みやつらさを我慢する動物とも言われ、飼い主が気づいた時には、ひどい膀胱炎などで手遅れになることが多いことも、書籍や友人の話を通して知っていた。
ああ、私のせいだ……と確信した。
元々抱っこが大嫌いなのに、ギュッとしたい私は抱っこしては「シャーッ!」と威嚇された。
インスタグラムで膝に乗ってくるオス猫の動画を見ては、いつも羨ましいと思っていた。
里親募集のサイトで、かわいい年下のオス猫を見つけては
「ねー、なーちゃん。今からもし弟ができたら、どう? 仲良くできるかなー?」
と話しかけた。彼女の気持ちを聞かずに。
しまいには、保護猫カフェで代わる代わるオス猫が膝に乗ることに気をよくして、すっかりのぼせ上がってしまっていた。
私のすべての行動が、彼女にとってストレスとなって表れたのだと思った。
一刻も早く病院に連れて行かなければ。
しかし、その日はどうしても仕事の都合で早退することができず、両親にお願いをした。
なーちゃんは病院が大嫌いだ。案の定、大騒ぎして「ギャアアアア!」と断末魔のような叫び声を上げたという。
エコーを撮ると、膀胱がわずかに腫れていたが、入院の必要はないとの診断だった。
それでも当面の処置が必要なため、医師と看護師の3人がかりで取り押さえて、なんとか注射だけは打てたそうだ。
「抗生物質を出しますので1週間様子を見てください。お薬もまた取りに来てくださいね」
病院から戻ると何事もなかったかのように、トイレの回数も普段通りになったという。
ドライフードに混ぜた薬も残さず食べきるというではないか。
報告LINEを見てホッとしたものの、私は仕事が手につかず、後悔の念だけが強く湧いた。
会社からダッシュで帰ると、駆け寄って半泣き状態で詫びた。
「ごめん! つらかったね。痛かったね。私のせいで嫌な思いさせて、本当にごめん!!」
オス猫が欲しいだなんて嘘だ。
いつも甘えてくる声や、健気に帰りを待つ姿の愛しさに癒されていたはずなのに、裏切った自分を心底バカだと思った。
今回のことで、身近にある幸せを大切にしないとどうなるか、うちの子が身をもって私にわからせてくれたのだと思っている。
浮気の代償は、保護猫カフェの料金の3倍の治療費となって返ってきた。
もっと大事にしよう。たくさん話しかけて、気持ちがわかるくらいになっていこう。
痛い目にあったからこそ、もう二度とあんな思いはするまいと私は心に誓った。
***
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