突然終わった患者家族との関係
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記事:平沼仁実(ライティング・ゼミ4月コース)
「障害者の家族は、自分のやりたいことをやっちゃいけないのかしら」
彼女の娘には、生まれた時からの病気と障害がある。
私は医師として、ふたりが暮らす家を定期的に訪問し、診療をしていた。
娘とコミュニケーションをとることはできない。
私は母親である彼女とよく話をした。
その大半が、病気以外の話だった。
彼女は娘への深い愛情をもちつつも、介護を自分だけで抱えることはしなかった。
周りには訪問看護師やヘルパーなどの協力者がたくさんいて、みな家族同然の長年の付き合いがあった。
「覚悟して預けているのよ。だから私は細かい注文をしないし、文句も言わないの」
ふたりは多くの人たちに愛されていた。
周りの人たちにうまく頼りながら、彼女は母として介護者としてだけではない、自分自身の人生もきちんと生きていた。
習い事に通ったり、友達とランチをしたり、コンサートに行ったり。
後期高齢者と呼ばれる年齢の彼女の生活は、アクティブだった。
いつも楽しそうにいろいろな話を聞かせてくれた。
普段の診療の中で私は、家族を介護する「介護者」は、自分の生活を介護に捧げ、「介護者」としての人生しか生きていないような人が多いように感じている。
だから彼女の生き方は新鮮だった。
「こういうお母さんは珍しいみたいで、いろんな人に言われるのよ。障害者の家族は、自分のやりたいことをやっちゃいけないのかしら」
そう言って彼女は笑った。
私は月に1回、この家を訪問するのを楽しみにしていた。
話をする度に、元気をもらっていた。
患者家族というより、人として彼女の生き方を尊敬していた。
しかし長年続いた彼女との関係は、ある日突然終わりを迎えた。
娘が亡くなり、患者家族ではなくなってしまったからだ。
私は時折、彼女のことを思い出していた。
元気にしているだろうか。
急に一人暮らしになり、訪ねて来る人も少なくなって、寂しくしていないだろうか。
けれど思い出すだけで、連絡することはできなかった。
「医師と患者家族」という関係が終わってしまった今、連絡する理由が見つからなかった。
そんなある日、彼女が私の勤務先に挨拶に現れた。
ちょうど診療中で会うことはできなかったが、後でそのことを知った私は思った。
連絡する理由が見つかった。今このタイミングを逃したら絶対後悔する、と。
娘が亡くなった後、100人以上もの人たちが訪ねて来たという。
数か月たった今も、彼女は忙しくしていた。
習い事も続けていて、さらに別の習い事を新たに始めるという。
これからやりたいことや目標、行きたい場所についても教えてくれた。
「私も娘も頑張ったのよ」
「娘が私に時間と余力を残してくれたんだと思う。10年先だったらこんなに動けなかったもんね」
あの頃と変わらずアクティブに、今の生活を楽しんでいた。
私はまた、彼女から元気をもらった。
私は家庭医として訪問診療にたずさわっている。
家庭医は、病気だけでなく、その人全体、家族や生活背景までみる。
だから必然的に診察の時にも、病気以外のことに話が及ぶことが多い。
家族のこと、生活のこと……。
病気の話しかしない医師患者関係より、自ずと距離は近くなる。
とは言ってもあくまでもそれは、診療の場における医師患者関係にすぎない。
その関係を越えて、診療以外の場で関わることについて、私は何となくためらいを感じていた。
そんなことをしていいのだろうか。
倫理的に問題のある行動ではないはずなのに、どうしても何か引っかかるような気持ちがあった。
「利害関係があるからじゃないか」
同僚の医師は言った。
彼は親しくなった患者から飲みに行こうと誘われたが、行けなかったという。
いくら診療以外の場で「人と人」として関わろうとしても、「医師と患者」であるという背景は消せない。
そこでの自分の言動が「医師として」のものと相手に捉えられてしまうと、誤解を生んだり、意図しない期待を抱かせてしまったりするのではないか、と彼は言った。
私と彼女は、患者である娘が亡くなったことで、「医師と患者家族」ではなくなっている。
だから彼の言う利害関係もないはずだ。
それでなお、どこか引っかかる気持ちは消えなかった。
「お友達になりましょう!」
私の気持ちを見透かしたかのように、彼女が言った。
迷いのないその言葉に、私はストンと腹落ちするのを感じた。
これまでモヤモヤ考えていたのが噓のように、自然に。
もう何のためらいもなかった。
そうか、友達になりたかったのか。
関係だとか立場だとか、ややこしく考えすぎていただけだったのかもしれない。
私は人として、彼女の生き方を尊敬していた。
彼女もまた、人として私と向き合ってくれていたのだ。
人と人との付き合いは、もっとシンプルでいい。
もっと自分の気持ちに正直に、踏み込んでみてもいい。
その中で、お互いが心地の良い関わり合い方を探っていけばいい。
30歳以上年上の友達ができた。
これから始まる彼女との友情に、私はワクワクしている。
***
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