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【ライティング・ゼミ受講生レポ】最強の手紙の書き方


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【12月開講申込みページ/東京・福岡・全国通信】人生を変える!「天狼院ライティング・ゼミ」《日曜コース》〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
【東京・福岡・全国通信対応】《日曜コース》

記事:佐藤 穂奈美(プロフェッショナルゼミ)

「ねえ、私のどこがすき?」

夜景の見えるすてきなバーで、お酒を飲んでるときのこと。

「顔かな?君の顔、すごく好みなんだ」

はい、0点です!!!

そのあと、あなたは彼女から「え! 顔だけなの!? じゃあかわいい子ならだれでもいいってことじゃない!!!」大激怒され、ひたすら「いや、そうじゃなくってさ! もちろん性格も好きだし……」と、言い訳しまくり、謝りまくりになるのである。ちなみに言っておくが、その言い訳は彼女には全く響かない。オンナゴコロというのは複雑怪奇かつ非常にシビアで、一回目で百点満点の回答をしなければ窮地に追いつめられることが多いのだ。夜景はもはや「やっべ、あの時、あれさえ言わなければ……」と回想するときの走馬燈……。

では、あのとき「性格かな。そのやさしいところが大好きなんだ」と答えたとしよう。彼女は怒りこそしないかもしれない。けれど、忘れたころに帰りの電車で「ねえ、わたしってかわいくないかな……?」と絶対に聞いてくる。予言する。

きっと人が恋に落ちる瞬間は、そんな理論的にあれやこれや理由があるからという訳ではない。恋に「落ちる」っていうくらいだから、もうなんか、そういうものなのだ。

しかし、付き合ったが最後、彼は記念日、イベント、よい雰囲気のありとあらゆる場所で、彼女から試されることになる。

そんなとき、彼氏のみなさんは一体なんて答えるのが正解なのだろうか。

付き合い始めて、長い時間を過ごしているとあれやこれや好きなところが出てくる。もしも、万が一別れた暁には、「ああ、彼女とここでコーヒー飲むのすきだったな」とか、「いつもわざとつまらない冗談を言って、つまんないよ! って怒られるのも楽しかったな」とかもう数えればきりがないほど、好きなところ、いいなって思うところ山ほど出てくるのに、伝えるのは難しい。

このきもち、もっと早く、きちんと伝えられていたら別れなくても済んだかもしれない……!

一方、日々、あらゆる場所でトラップをしかけてくる彼女であるが、彼女側も「あれ、実はわたしの気持ち伝わってないかも……?」と思うこともあるだろう。

たとえば、わたしが二人の節目に手紙を書こうとしたときである。
ちょうど1年になるし、なんかちょっとプレゼントと手紙でもあげようかな……。
ロフトで選んできたお気に入りの便せんを開けて書き始める。

今日でちょうど1年ですね。
ふたりでいろんなところに旅行に行ったね。

………………。

いやっ! ちゃうねん! そうじゃないねん! そんなどっかのラブソング的な、そういう、そういうのが書きたいんじゃない!!

こう、わたしが普段から思っている、これいいな、しあわせだな、すきだなあと思っていることを、もっとすてきに書きたいのにっ

そうなのだ。なかなか人に自分のきもちや考えてることを正確に伝えるのは難しい。

自分の思っていることを正確に伝えるということは、結構厄介なことであるにもかかわらず、私たちは毎日の中で意見を発信するということから逃れられない。

会社に行けば、「きみ、これどう思う?」、久しぶりに実家に帰ってみれば「あんた、最近どうなの? げんきにやってんの? 結婚は?」
就活なんて質問だらけだ。「なんで弊社を志望したんですか? どんな仕事をしてみたいですか?」

しつもん、しつもん、しつもん……。
もうやだ! しつもん!
だけど、質問に答えないことには、どうにもならん。

私は会社とかちょっと公的なモードというか、自分自身の話と距離があるようなときは割とうまく話せるのだけど、就活の「あなたががんばったこと」とか、家族に「自分がなんでこう思ったか」とか、「自分について」伝えるときがからきしダメだ。

就活でいえば、面接で話すのももちろんだけど、ESはもっと苦手だった。
限られた文字数で起承転結があるような文章を書くのが苦手だし、そもそも24年とかそれなりに生きてきて、それなりの量の日々がある中で、「なんでこう思ったのか」の「なんで」、端的に言えますか!? もうこれは苦手ゆえの逆ギレでしかないんだけど、なんで自分がその行動をしたのかって、毎日の積み重ねだし、それこそ人に伝えるのが難しい。

ESを書いてて行き詰りすぎたので、書店に行ってみると、フロアの一番目立つところに就活コーナーの棚が作られ、ESの書き方、面接の受け方、みたいな本が盛りだくさんだった。
これだけたくさんの本が出ているということは、悩んでいる人が多いということに違いない。
しかし、私ははた、と気が付いたのだ。
「誰かに意見を伝える」、「文章を書く」ということは、それこそ小学生の時からやっているが、就活という時期に差し掛かって慌てて勉強しようと思うくらいには、ちゃんと学んでこなかったな、と。
「書く」ということでいえば、小学生の夏休みの宿題で絵日記を毎日書かされたり、読書感想文を書かされたり、そんなことはあった。
けれども、それに対する先生のコメントは「朝顔のお世話を毎日して、えらいですね」とか「絵がとてもよく書けていますね」とか、そんな感じだった。
小学校も高学年くらいになるとどうしたら先生の高評価がもらえるかが分かってくる。例えば、「近所のおじいさんが大切にしていた盆栽を壊してしまったことをきちんと謝れた主人公は本当にえらいと思いました。自分だったら、怒られるのが怖くて黙ってしまいそうになるけれど、これからはこの主人公のように正直に生きようと思いました」みたいな感じだ。自分が実際どうしてるか、というより自分の悪いところ・弱いところを確信犯的に書いて、でもよりよくなろうとする、そんな型みたいな文章ではなまるだ。

わたしが中学生になるころには、携帯電話が普及し始め、前略プロフィールなんていう個人HPみたいなものが流行りだした。
mixiはそのあとくらいだっただろうか。
女子たちは「恋」のようなものをすると、今日ちょっと話しただの、手をつないだだの、こぞってネットの海につぶやきまくり、自分のブログには怪しいポエム的なものを書きまくった。会いたくて会いたくてふるえる……。わたしは高校生のころ書いていたブログを、万が一、万万が一見てしまった暁には真冬の海に飛び込むと思う……。
そんなブログやつぶやきも、ネットとはいえ、結局は友達間、仲間内の情報だ。
だから、そのつぶやきで「えっ〇〇ちゃんも、△△くんのことすきなんだ!!!」とうっかり知ってしまい、爆死こそすれ、誰かに客観的に評価されることはなかった。

そうやって、うっかり「誰かに伝える」ということを意識せずに、ぬくぬくと26才を迎えてしまったわたしである。
いざ、ESを書こうにも、手紙を書こうにも伝わる文章なんて書けっこない。熱を込めて自分のことを伝えようとすればするほど、熱烈なポエムになっていく……。

あかん。

わたしは仕事もプライベートも八方塞がり、そんなどん底のときに仕事のことで母親と喧嘩し始めた。顔を合わせるたびに喧嘩ばかり。冷静に話そうにも、やはり親子である。気づけば互いに言いたいことを言い合って、言葉を投げつけ合ってしまっていた。

そんな日々に嫌気がさした私は、なんとか自分の気持ちを文章にしようと一つの記事を天狼院のプロフェッショナルゼミに投稿した。プロフェッショナルゼミというのは、天狼院書店のライティングを学ぶゼミであり、店主の三浦さんのOKが出ればweb天狼院に掲載してもらえるのだ。

自分の思いの丈をここぞとばかりにぶつけたもんだから、今まで書いたどんな文章より、書きあがった文章を読んで出来が自分でわからなかった。
独りよがりの文章なんじゃないか。私の人生なんて、誰が読んで楽しいだろうか。
投稿してみたものの、三浦さんが文章に講評してくれる時まで、本当に本当に不安で仕方なかった。思いを込めた文章だからこそ、今までで一番ドキドキ過ごした三日間だったと思う。

わたしは深夜、スマホをつけると、三浦さんからコメントが来ていた。

「すばらしかったです!~略~お母様の思いにも読者は、どこか、共感できるでしょう」

わたしはうれしくて思わず、泣きそうになった。

わたしの恋人や友達は、わたしの文章をいいね、と言ってくれる。この文章も恋人からは「とてもよかったよ」と言われ、本当に勇気が出たし、うれしかった。

しかし、私の人となりをあまり知ってもらっていない人からの、しかも天狼院という自分の会社のHPに掲載するか否かという客観的な物差しを持っている文章のプロにそういってもらえるということは「ちゃんと伝わったんだ!」ということを実感するにあたって、本当に大きな励みになるのだ。

本当は書いてて、森見登美彦みたいに軽妙に面白い文章を書いてみたい、誰かの心をえぐるみたいな一言が書きたい、自分の文章のテイストって一本調子だな、タイトルとかキャッチーな短い文って苦手だな、もっとキレのある文章にならないかな、最後の締めの言葉選びがへたくそだな……もう、あげたらきりがないくらい自分の文章へのダメ出しはつきないけど、プロフェッショナルゼミに入る前の1か月半、とにかく書き続ける! を目標に、三浦さんのコメントに一喜一憂しながら、生まれて初めて客観的な人の目を意識しながらこんなにたくさん文章を書いた。

きっとここで学ぶ前に、同じテーマで書いていたら、私はこうしたいんだ! なんでお母さんは分かってくれないんだ! そんな内容になっていたと思う。

自分の意見を伝える、文章にするって、日常の中で呼吸をするくらい当たり前にやることだけど、実はそれを客観的に指導してもらって、学ぶ場って意外とない。

ライティングゼミから一つ上のプロフェッショナルゼミに入ってからは、受講生の方々からもコメントを頂くようになった。ここでは、三浦さんの指定した記事に、受講生が互いにコメントしあうのだ。
これもまた私にとってものすごい効果があった。さっき少し前に自分へのダメ出しをブツブツ愚痴ったが、まさにさっき言ったようなことを私が言ったわけでもないのに、みなさんズバズバ指摘してくるのだ。私が悩みながらもうーん、これでいっかと必死にひねり出した文章も「ちょっとわかりにくかったです」とコメントされる。もう、これはいやな気持になるというよりは「はい! そうです! その通りなんです! 次、気をつけます!」となる。

そういうことを繰り返し、下手だけどあたふた書き続けていくうちに私の中に「読む人にとって面白い文章」という目がちょっとだけ育ってきたような気がする。

年末が差し迫り、実家に帰らねばならない。
でも、年末年始に喧嘩もやだな、と思っていたが、天狼院で書いた記事が講評された日、わたしはある決心をした。

そうだ。自分がなんで今こう考えたのか。それを書いたこの記事をお母さんに送ってみよう。私のことを全然知らないひとたちが、こんな風に言ってくれたのだから、きっと大丈夫、と。

わたしは記事を印刷し、母に送った。
12:06分に着く電車で帰ります、とのメモを添えて。

いつもと違う、ちょっぴりどきどきしながら向かった駅の改札。
いつも通り最寄り駅まで迎えに来てくれた母。

わたしたちはぎくしゃくしながら駐車場に歩いた。

とめてある車の鍵を開けながら、ふいに母が振り向く。

「あっ、そういえば、お母さんもあんたたち姉妹が次の春、本当に旅立つから、新しいこと始めようと思って。あたらしい会社、チャレンジしてみよっかな」

そういうなりいたずらっぽくウインクして、サッと車に乗り込んだ。

わたしは「ああ、そうなんだ」とぼそぼそ言って、助手席に乗り込んでシートを倒す。

「仕事で疲れてるの?」という母に「うん」と言いながら目をつぶり、顔を左に向ける。

うれしくて、泣きそうになっているのを見られたくなかったから。

人生を変えるライティングゼミ。
人生が変わるかどうかは人それぞれだけれど、これだけは自信をもって言える。

ライティングゼミの使い方を一歩間違うと、わたしのようにうれし涙で何度も涙腺が崩壊することになる。

泣くってのは、なかなかハードなことなので、心を一定に保ちたい人にはあまりお勧めしないでおこう。

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この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2017-01-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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