3歳児が描いた「ミステリーサークル」の壮大な謎
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記事:阿哉(ライティング・ゼミ)
「さ、お絵描きしよう!」
3歳のアッコちゃんは12色のクレヨンを持ってきて、お気に入りのノートに絵を描き始めました。ノートの1ページに1つずつ、何枚も、何枚も。
どの絵も全部、まあるい円。
最初のページには、4つの円を描きました。「大きいマルはお母さん、一番小さいマルはアッコちゃん」そして、他のマルふたつはお兄ちゃん。
次のページには、中くらいの円、その中に小さな円を3つ描きました。「これは、○▲×*?だよ!」
「あ、まだ白いところがあった!」
また新しいページに、緑色のクレヨンでページいっぱいに大きな円を描きました。それからそのクレヨンを、勢いよくグルグルと回転させながら、渦巻きのように、小さな円や中くらいの円、大きな円で大きな円を描いていきます。白いところが見えなくなったところで、アッコちゃんは緑のクレヨンを置いて、黒いクレヨンを握りました。緑の渦巻きに重ねて黒い渦巻きが広がっていきます。その上に、オレンジ色のクレヨン、次に青色のクレヨン……と次々に重ね塗りしていきます。色んな色が重なって、もうなに色かよくわからない大きな円ができました。
まあるい円だけで、10枚くらい色んな絵を描いたところで、アッコちゃんは絵を描くことに飽きてしまいました。「さ、終わり」とノートを閉じて、ゲームに夢中のお兄ちゃんたちのところに駆けて行きました。
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姪っ子が、「これは……だよ!」と私に一生懸命説明しながら描いていく、一見、ただただ円だけの絵。
「なんで、この子は性懲りもなく円ばっかり描いているんだろう……?」
その時は、漠然とそう思いながら、ただただ姪っ子のなすがままに、適当に相槌を打ちながらお絵描きにつきあった。お絵描き帳にひたすら描かれたおばさんには意味不明の円の数々。言わば、たくさんの「ミステリーサークル」だ。
それから、数日後、東京に戻ってきて、カフェで知り合いから借りた本をパラパラと眺めていた。「禅」について書かれた本だ。そのなかの、ひとつの写真に目が止まった。
江戸時代の禅僧、白隠慧鶴の「円相図」。ちょうど2ヶ月ほど前に東京国立博物館の「禅」展でこの絵を見ていた。墨でマルッと一筆書きで円が描かれているだけ。それだけの、とにかくシンプルな絵だった。
でも、数々ある展示物のなかで、この絵の前からは、なかなか離れがたかった。足を止めて、しばらく見いってしまった。この絵で立ち止まった理由のひとつは、企画展に行く数ヶ月前に、録画しておいたNHKの番組を見たからもあった。手塚治虫の作品について、タレントや映画監督、精神科医や僧侶など多様なバックグラウンドの人たちが語り合う番組だった。そのなかで園子温監督が手塚の描く「美しい円、美しい曲線」を手塚作品に魅了される理由だと話していたことがずっと印象に残っていた。私は手塚の作品をすべて読み尽くしているわけではないが、特に女性や女性らしい(人間ではない)何かを描くときの曲線は、柔らかさ、優しさ、艶めかしさを生々しく感じさせるものがあると私も思う。さらに、番組の終わりのほうでは、僧侶の論者が手塚作品の宗教性にも触れていた。
漫画を、日本を代表する芸術作品にまで引き上げた手塚治虫の描く絵と、「円」と仏教がつながっているらしい……その番組の話が頭のどこかにずっとひっかかっていたのだと思う。
実際に「禅展」で白隠の円相図と対面したとき、「何がいいのだろう?」と問うてみた。正直、言葉にするのは難しい。なぜなら、その絵を見たとき心にも頭にも何も浮かばなかったからだ。心がザワザワしない、頭にあれこれ言葉が浮かんでこない。言ってみれば、心も頭も、波さえ立たない静かな水面のような状態。強いてその心の状態を言葉にするなら、たぶん「安定」とか「安心」というような感覚に近いものかもしれない。
白隠の円相図に再会した本のなかの写真には、円は、「悟り」を表す形という趣旨の説明文も添えられていた。私は、仏教のことも、禅宗のこともまったくの素人でほとんど知らないに等しい。何が「悟り」なのか、見当もつかない。
「悟り」ってなんだろう?
以前、ヨガの先生から教えてもらったヨガ哲学では、練習を続けることによって目指すべきところは「三昧(サマーディ)」という境地だという。絶えず変化し続けるこの世の中にあって、心がまったく揺らがない静かな状態。
そう聞くと、小さい頃に教えられた「お釈迦様」のイメージが浮かぶ。蓮華座に足を組んで座り、お腹が減ろうが、眠くなろうが、誰かに喧嘩を吹っ掛けられようが、誘惑されようが、大雨や大雪に降られようが、または蚊に刺されそうになろうが、全く気にせず菩提樹の下に何時間も座り続けていたブッダ。
でも、それはあくまで究極の形だ。そもそも蓮華座も組めない、同じ姿勢でじっとしていることも苦手、お腹が減れば何を食べるかで頭がいっぱいになり、周りに人がいればその言動についつい心が動き、昨日の仕事の小さなミスを繰り返し思い返してしまう……そんな私には、とても実現できそうにない。
白隠は、禅宗を一般大衆に広めるために、ややこしい禅の教えをわかりやすい禅画に描いて広めたことで有名だと聞いた。円相図は、誰にでも「円」だとわかる。
でも、その円が何を意味するかは、絵を見ただけではわからない。だから、ただただその絵の前で、なぜ円が悟りを表すのか、じゃあ悟りって何なのか、ただひたすら自分のなかで問い続け、一緒に見ている誰かと対話する。たぶん、それでもわからない。わからないから、黙ってまたその円を見直す。見ていると、「あぁ、なんだか心が落ち着く、安らぐ」気がする。確信はないけど、そう感じるだけ。でも、それでいい。で、とりあえず絵の前を去る。その後、周りの変化に振り回されて、心がざわついたら、ネガティブな言葉で頭がいっぱいになったら、またその円の絵を見にくる、思い出す。自分で描いた人もいたかもしれない。この円相図はそんな風に江戸時代の庶民に観られたのかもしれない。
修行僧ではない普通の人たちには、実際に悟りを開いた偉い人を示してこんな人になりなさいと言っても「や〜、無理、無理!」って感じだっただろう。私みたいに。だから、「悟りってこんな感じ」と示したのがマル、円だった。
3歳の姪っ子が描いたたくさんの円。お兄ちゃんや大人たちのように、文字は書けないし、使える言葉もまだあまりに少ない。そんな彼女も円を描くことはできる。誰かが、彼女に「円は悟りを表すようなすごい形だよ」と教えて描かせたわけでもないのに、いつの間にかたくさんの円を描きまくっていた。たぶん無意識のうちに、円を描くことが心地良いことを彼女は知っているのかもしれない。円は安定とか安心感をあたえてくれる形だから。
3歳が描いたたくさんの円。数日間、色々なところをグルグルと1周して、「円と悟り」という壮大な意味を持って私の意識上に戻ってきた。子供ってすごいなぁ、と思う。意識しなくても、何が大事なことか知っていること、その大事なことをすごくシンプルな形で表現できてしまうことへの驚きも感じた。
さつきやメイがいつか「トトロ」を見ることができなくなるように、その能力はいつか失われてしまうのかもしれないけれど……と思ったら、もったいないなぁ、とも思う。だから私は決意した。
次に帰った時には、もっと、ちゃんと姪っ子や甥っ子と遊んであげよう! いや、遊んでもらわないと!
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