最強の「運」を持つ「陰」の方のじいちゃん《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:田中望美(プロフェッショナル・ゼミ)
父方のじいちゃんと母方のじいちゃん。二人は正反対だ。地球の裏側で生活をしているかというくらい真っ反対だ。まさに、決して交わらない正と負。陽と陰。幼いころからそんなイメージが自然と染みついていた。
父方のじいちゃんが陽。昔から豪快に酒を飲み、鼻と口を大きくふくらましてガハガハと笑っていた。じいちゃんは、若いときに知り合いも誰もいないこの地に移住し、自転車に乗って駆け回るように営業をし、今の会社を設立したという。要は社長だ。一人で会社を立ち上げ、少しずつ仲間を増やし、私の父、つまり息子へと会社を受け渡した。田舎の会社である為、お客さんとの関係を長い月日をかけて、固く結びつけてきた。そんなじいちゃんだから、人づきあいがうまく、外へ外へと向かうイメージが強い。というか、そうなのだ。父はじいちゃんのことを、しつけが厳しかったというが、孫にはかなり甘かったから、あまり想像がつかない。だが、確かに頑固なとこはあるから、亭主関白だった可能性は高い。そんなじいちゃんとの一番の思い出は、お正月に、年の近いいとこ3人とお風呂に入っている時だ。毎年恒例と言っていいほど、私たちがお風呂に入っているときに、じいちゃんがのぞき込んでくる。小学生になったばかりの私たちはきゃあーー!! と無邪気に叫んでお風呂のお湯をじいちゃんにかけようとする。じいちゃんはそれを受けて、うわ~! と言いながら退散していく。この流れを2、3回、いや、もっと繰り返しやっていたような気がする。そんなお茶目のじいちゃんのことが好きだったし、面白かった。
一方、母方のじいちゃんはよくわからなかった。いつも狭い部屋にこもりきっている。部屋から出てくるのは、食事やトイレの時と散歩に出かける時くらい。だから、幼いころから現在まで、まともに話した記憶がない。母方の姉妹は女性のみだ。だから肩身の狭い思いをしているのかと思うが、そういうわけでもないようだ。なぜなら、お正月にそれぞれのお婿さんが集まったときでさえも、ほとんどしゃべろうとしない。その場にいるものの、ぺちゃくちゃと音を立てながら豪華なご馳走をものすごい勢いで食べ、そそくさとまた、あの狭くて暗い部屋へと帰ってゆく。きちんと最初の一杯だけは乾杯をして。
じいちゃんは暗い。根暗に見える。だが、だからと言ってじいちゃんの家族みんなが暗いかと言われると、そんなことはない。じいちゃんと結婚したばあちゃんは今もバリバリ働き、孫たちにお小遣いをふるまうほど快活だ。本当に元気で知恵があって、おしゃべりで明るい。ばあちゃんの子供たちも結構我が強く、決して暗いとはいえない。それだから、お正月という、たくさんの家族が集まる華やかな日は、子供たちはいとこと久しぶりに会えた嬉しさにキャッキャと遊びまわり、大人たちは朝から晩まで飲んでワイワイガヤガヤ。ほとんどの家族と変わらないであろう風景がそこに生まれる。だが、その中にじいちゃんはいないし、気づかれることもない。かわいそう。なんかちょっとかわいそう。じいちゃんも入れてあげたらいいじゃん、と子供ながらに少し思った。しかし、ばあちゃんもお母さんも、口をそろえて、
「じいちゃんはあれがいいと。人としゃべるのが苦手やけん、この輪の中におるのが嫌いとよ。遠くから時々様子を見たり、ガヤガヤの音ば聞いたりするくらいか丁度いいと」と妙に説得させられるもんだから、ああ、じいちゃんはそういうもんなのかと思った。
今年の正月、ふとじいちゃんの話になった。年の離れた幼いいとこたちがコタツのまわりで遊びまわっている。私とばあちゃんは隣に並んでコタツに入っていた。私の目の前には私のお母さんとお母さんの妹。昼からお酒を飲んだお父さんは、別の部屋で寝ていた。ばあちゃんの用意してくれた夕飯を食べていると、お母さんが言った。
「あれ? お父さんのご飯は?」
「ああ、あん人はもう先に食べらしゃったけんよか」
ばあちゃんは卓球の球を打ち返すように素早く端的にそう答えた。
「そうね」
お母さんはそう言った。
すると私の口からポンッと
「ねえ、じいちゃんってなんであの部屋から全然出てこんと?」
という問いが出てきた。なぜなら、私がばあちゃん家についてからすでに半日以上たっているというのに、今の今までじいちゃんの姿を見ることがなかったからだ。私はトイレにも行ったし、お座敷で幼いいとこをあやして遊んだり、別の部屋でのんびりしたり、ご飯の準備を手伝ったりもした。だが、じいちゃんの姿は見ていない。つまり、じいちゃんは部屋の中から一歩も動いていないということだ。別にこういうことはその日に限ったことではない。ばあちゃん家についた時に出迎えてくれるのはばあちゃんだけだし、全く顔を合わせずばあちゃん家で過ごして帰路に就くことだって多い。じいちゃんは同じ空間にいるようでいない。そんな状態は私が幼いころから当然のことで、疑うこともなかったが、でも、心の奥底ではずっと疑問が残っていたのだろう。なんで、じいちゃんはああなの? 別に私はじいちゃんが嫌いではなかったし、陽気な父方のじいちゃんと見比べて、皮肉なことを思うこともなかった。ただ、ただただ母方のじいちゃんは謎が多かった。よくわからなかった。それだけのことだ。だから私は久しぶりに、家のどこかにはいるのにいないようなじいちゃんのことが話題になったこの一瞬がチャンスに思えて、この問いが口をついて出たのだろう。
まるで、いつもの口癖を言うようにばあちゃん達は
「あの真っ暗なクマの洞穴やろ~?」
と言いながらじいちゃんのことを小バカにして笑っていた。嘲笑のように聞こえるが、どことなく温かな嘲笑だ。私もつられて笑ってしまった。ああ、なんか、昔もこんな話をしたような気がする。
「じいちゃんはいつもクマの洞穴におるとよ、それが好きとやんね~、じいちゃんは。部屋の白い壁も自分でペンキで茶色に塗ったとよ。やけん、あの部屋はくらかぁ~。気分の悪なるごたる。やけんばあちゃんは、別の部屋で寝るようにしたと」
そう言って、ばあちゃんはテレビの電気だけがついた真っ暗な部屋の中、首を落とし、猫背姿のじいちゃんの物まねをして周囲を笑わせた。もちろん私も笑った。
「なんでじいいちゃんそげんと!? あははははは……」
それから勝手にばあちゃんは昔の苦労話を話し始める。
「じいちゃん所に嫁いできてからは、本当に鬼のように働いた。じいちゃんがギャンブルばっかりで、お酒は飲むし、じいちゃんのお母さんも認知症になるし、子供も育てやんしで、本当に苦労したとよ。じいちゃんは子供が熱出しても、知らん顔でな~んもせんとよ。ばあちゃんが4人の子供ばうだいて病院から帰ってきよった。それにね、正月になれば、親戚中の家族が一気にうちに上がり込んでくるとよ。やけん、お盆と正月のために積み立てばしよったと。子供の教育費もあるとににゃあ。親戚の7家族が一週間くらいずーっと居座るもんやけん、ばあちゃんは一人でその世話ばせやんかったと。みんなお酒は飲むし、ご飯も食べるし。豚に餌ばやりよるごたったよ。その間は全く子供の世話ができんかった」
お母さんが横から
「嫌やった~、居場所がなかったもん、酔っぱらった大人たちが大声出すし、怖かった~」
お母さんの妹もそうそう、とうなずく。
「昔の人って気を遣わんとやね~!! ばあちゃん、大変やろ~、もう、すげー!!!」
私は、ただただ驚きと尊敬の念だった。というのも、今のこの状況からすると考えられないのだ。じいちゃんがギャンブル? 働かない? 飲んだくれ???????
頭の中がはてなだらけだ。あのじいちゃんが? お酒飲んだらすぐ顔が赤くなるじいちゃんが?
さらに追い打ちをかけるように母が言った。
「九時には明かりば消されてから寝ろ! って言われよったし、旅行とか遊びに行った記憶もない。お母さんとお父さんは大喧嘩するしっさい」
この際、じいちゃんだけではない。自分の母親の家庭環境にもびっくりした。だから母は口酸っぱく、たばこや博打をする男の人はダメよ! あと、どんなに優しくても、お酒飲んだら気が狂ったように変わる人もダメやけんね、というのか。
じいちゃん。ますます謎だ。
だが、謎なだけにじいちゃんのことをもっと知りたくなっていた。昔のじいちゃんはどんな人で、どうしたら今のこの洞穴状態になってしまったのか。私は少し、幼いころのじいちゃんとの思い出を探っていた。
じいちゃんは、子供自体が嫌いなのではないらしい。自分の子供にこそ厳しかったが、何もわからない幼い私がじいちゃ~ん!! と叫ぶと、は~~い! と笑顔で返してくれていた。まあ、それも一つの手で数えられるくらいまれなのだが。
鮮明に覚えているのは、私が小学生のころ、お腹すいた~と、けだるそうに寝っ転がっていると、じいちゃんは異常なほど心配してくれて、ばあちゃんに、「はよご飯ば食べさせろ!!」と言ったことだ。なぜか半ギレで。私はそんなに懸命に言わなくても、我慢できるのにな、と思っていたが、そういわれたばあちゃんも妙に不機嫌そうに「わかっとる、まだ大丈夫」と答えていて、あきらかに変な空気だったから、何も言うことができなかった。二人がしゃべっているところをあまり見ないものだからそう感じたのだろうか? でも確かに、喧嘩している親のピリピリモードに居心地の悪さを感じる子供のような気分だった。
でも、こんな強烈な出来事もあった。
ばあちゃん家に泊まりに来ていた幼い私は、トイレから戻っている途中だった。みんながいる部屋までの間には長い廊下がある。そしてその途中、じいちゃんの住む洞穴の前を通る。すると、聞いたこともない、唸り声のようなものが聞こえてくるのだ。廊下は豆電球しかない、薄暗さ。こわいこわいこわい!!
「うああああああ、うあああああ」
とぎれとぎれに聞こえてくる。声が聞こえてくるのは、なんと、じいちゃんの部屋だ。私は溢れる恐怖心と好奇心に戸惑いながら、あの、じいちゃんの部屋を覗いた。
……幼い私には衝撃だった。じいちゃんは、なんと、漫才の番組、おそらくエンタの神様を観ながら、大笑いしていたのだ。じいちゃんの笑い声なんて聞いたことがなかったから、まさか笑い声だなんて思わなかった。うあ、あ、あ、あ、という独特な笑い方で、テレビに夢中になっている姿には、本当に驚きだった。当然、私からその姿を覗きこまれているなんてじいちゃんは思いもしなかっただろう。私は見てはいけないものを見てしまったかのような気持ちでみんなのいる部屋に戻った。でも、じいちゃんもお笑いが好きなんだ、面白いと感じるんだということを知って、なんだか、じいちゃんも人間なんだなあと感じていた。
そんなじいちゃんとの思い出を思い返していると、ばあちゃんがこう言った。
「あん人は、運のよかつよ!!!」
じいちゃんが運がいい? なぜ? わかるような気もしていたがこの際、聞いてみた。
ばあちゃんによると、何もせずとも、ばあちゃんに養われ、おご馳走を食べさせてもらい、今はこうしてたくさんの孫に囲まれているからだという。
お母さんも、お父さんはお母さんに生かされとるよ、だけん、お父さんより長生きしてね、お父さんの世話できるのはお母さんだけだから、私のご飯なんて食べんもん、と爆笑していた。
じいちゃんの兄弟の中には、結婚後うまくいかず、独り身になって苦労している人も多いらしい。それに比べたら、じいちゃんは、仕事がうまくいかず、鬱気味になったりはしたものの、ばあちゃんと離れることなく、生活に最低限必要なものを与えられて生きてきた。じいちゃんはお肉が大好物で、自分で大量の肉を買ってくるし、孫のためのおやつも食べきれないくらい買ってくる。そして、毎朝の散歩や家の畑仕事が趣味だ。そう考えると、じいちゃんは無理に人と関わることもしないから、ストレスフリーで自由に生きているような気がする。
じいちゃんは頑固よ、と母方のばあちゃんも言った。一度言い出したら、聞かない性格らしい。確かに、どんなにばあちゃんがそんなにおやつを買ってこなくてもいいと言っても、食べたかろうけんと言って買ってきてくれた。お母さんも九時には寝るようにしつけられたと言っていたから、意外と亭主関白だったのかもしれない。じいちゃんのことについて話すうちに父方のじいちゃんとも似ているところを見つけることができた。
ばあちゃんはどんなにじいちゃんが冷たくても、何もしなくても、毎日のようにじいちゃんのためにご飯をつくり、お風呂を掃除し、働いている。たまにお母さんたちにじいちゃんの愚痴を吐きながら。
でも、それでも毎日が充実しているという。仕事はみんなからベテランだと褒められ、多くの仕事の依頼がくるから楽しいし、その稼いだお金を自分のためではなく孫や子供のためにふりまくのが幸せなんだそうだ。
様々なこれまでの話を聞いて、ばあちゃんすごいよ、普通そんなことできんよ、なんでそげん頑張れると? そげん苦労して、ばあちゃんも鬱にならんかったとね? と聞くと、うんにゃ、ならんかった~、働くことが好きだし、ばあちゃんがせんで誰がするね? じいちゃんは、な~んもせらっさんとよ? と言った。そして、
「なんだかんだ好きとやろうね」
ばあちゃんは人ごとのように軽い口調で笑っていた。
でも、私にはその一言が心にズシンと響いた。そうか、ばあちゃんはじいちゃんに対して「愛」を持っているのか。すべてのことを許せる愛。相手のすべてを受け入れる愛。でなければ、とっくの昔に別れ、家を出ていただろう。
当時は私が想像もできないくらい過酷な苦労をしてきただろうに、それを感じさせないくらい、苦労話を笑い飛ばしながら話すばあちゃんの懐深さに私は感動していた。ばあちゃんは強い。私より何十年も長く生きているから、経験の厚みが違うのは当然のことだけど、心の底からばあちゃんを尊敬している。
だから、つくづく思う。
ばあちゃんと出会えた父方のじいちゃんは、最強の運の持ち主だ、と。
でももしかしたら、頑固にも、じいちゃんが何もしなかったことをしたからこそ、ばあちゃんは最強の人になれたのかもしれない。
……私は、時々自分は無能だと感じ、落ち込むことがある。一生懸命頑張ってもうまくできないことに苛立ち、人生なんてもう、どうでもよく感じてしまうことがある。
でも、今はこう思うのだ。
じいちゃんは一人孤独な時も、鬱になったときも生きることはやめなかった。ばあちゃんに嫌がられようとお構いなしに、しつこいくらい生きていた。今では、お腹を抱えて笑ってしまうくらいの私たちのネタにまでなっているじいちゃん。自分は知らなくても、生きるだけで、どこかの誰かの笑顔につながっている。自分がそれを知らないというのは、本人にとってはつらいことかもしれない。だからこそ、実感がなくても生きられるじいちゃんは、逆にすごいのだ。かなりしぶとい「生きる」という執念を持っているに違いない。
人は存在するだけでも価値がある。そんな言葉を聞いては、心の奥でこの言葉を疑っていた。役に立ている実感がなければ、生きていても楽しくないじゃないか。人に認められなければ、幸せを感じられない。存在するだけなんて、つまらないし、迷惑をかけるだけじゃないか? 日々生活する自分の実感としてはそうとしか思えなかったのだ。でも、じいちゃんの姿を見て思う。どんなに自分が何もできない落ちこぼれのように思えたって、生きるしぶとさだけは失わないようにしよう。落ち込むのは当たり前だ。生きてるんだから。頑張れるのは当たり前だ。生きているんだから。
じいちゃんも、もうすぐ80歳。今日も黙ぁって生きているんだろう。
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