そして、伝統のバトンは渡された
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:まほ(2023年・年末集中コース)
令和五年十二月二十六日、午前十時五十四分。
和光の時計台が時を告げようと待ち構える頃、私は木挽町の芝居小屋に滑り込んだ。
芝居小屋の名は、歌舞伎座。
木挽町、現在は東銀座と呼ばれる地にそびえ立つ、歌舞伎の殿堂。屋根には鳳凰の紋をかたどった瓦が並び、同じく朱色に鳳凰の柄を施した絨毯が敷き詰められた場内は、まさしく「伝統と格式」を体現するかのようだ。舞台の準備が整ったことを知らせる拍子木の音が場内に響き、定式幕がゆっくりと開かれると、観客たちはあっという間に別世界へといざなわれてしまう。
祖母は根っからの芝居好きで、明日は歌舞伎座、来週は演舞場と、方々の劇場に通い詰めていた。帰ってくると「やっぱり勘九郎の俊寛はいいわぁ。勘太郎も七之助も上手くなってきたわね」と、同じく歌舞伎好きの母とともに、贔屓の役者話に興じるまでがお決まりの流れだった。
舞踏会にあこがれるシンデレラのように、私は歌舞伎への憧れを募らせた。そして大人になったいま、趣味は歌舞伎鑑賞と言えるくらいには、劇場に足を運ぶようになった。子どもが生まれるまでは毎月、多いときには月に二度三度と通っていたのだから、自称歌舞伎オタクと言わせてもらっても良いだろうか。
歌舞伎は、時空を超えた非日常への冒険だ。
幕が開いたその瞬間、江戸の町人たちがひしめく日本橋や、大泥棒が満開の桜を見下ろす春の夕暮れの景色が広がる。きらびやかな花魁と庶民のドラマティックな恋や、伝説のスーパーヒーローが縦横無尽に大舞台を駆け回る様を観ると、令和のオフィスで夜遅くまで働く日常などすっかり忘れてしまうのだ。
歌舞伎座では基本的に毎日歌舞伎が上演されており、通常は一日二部制、演目は月替わりで、毎月上演される。二か月ほど前には演目と出演者が決まり、開幕一か月前からチケットが売り出されるというのが近年の流れである。オタクの名に恥じぬよう、こまめに松竹のサイトをチェックし、贔屓の役者が出演する月や、お気に入りの演目を上演する月は、早めにチケット、いや切符を購入するというのが、私のルーティーンだ。
令和五年十二月大歌舞伎の注目演目は2つ。
まずは中村七之助と坂東玉三郎による「天守物語」。歌舞伎界を代表する女方で人間国宝でもある坂東玉三郎が46年間主役を演じ続けてきた傑作を、これまで玉三郎と共演を重ねてきた中村七之助が受け継ぎ、初めて歌舞伎座で上演するのだ。技と伝統のバトンが玉三郎から七之助に渡される、歌舞伎ファンならたまらない演目だ。
そしてもう1つ、歌舞伎界の異端児、中村獅童による超歌舞伎「今昔饗宴千本桜(はなくらべせんぼんざくら)」。
超とつくからには、普通の歌舞伎とは一味も二味も違う。バーチャルシンガー・初音ミクが出演し、観客は掛け声やペンライトで参加する全く新しいタイプの作品が、これまた初めて、歌舞伎座で上演されるのだ。
近年、アニメや漫画などとコラボした新作歌舞伎がアツい。ワンピース歌舞伎、ナウシカ歌舞伎、最近ではゲームのファイナルファンタジーを題材としたFF歌舞伎も盛り上がりを見せた。どの作品も、まるで和食の料理人が伝統的な技法を駆使し、中華やフレンチの素材を使った創作和食を生み出すように、原作の世界観を融合させた歌舞伎の新境地を切り拓いていた。
しかし、初音ミクである。機械の歌声を響かせ、エメラルドグリーンのツインテールをなびかせながら、熱烈なファンたちの野太い掛け声を一身に受ける、あの初音ミクである。いや、いくら歌舞伎ファンのすそ野を広げようたって、そりゃ、やり過ぎでしょう……
普段だったら真っ先に「天守物語」の切符を確保するのだが、師走の目の回るような忙しさのせいか、すっかり都合のつく日がなくなってしまった。しかし、このまま歌舞伎座を訪れずに年を越してしまうなんて……今年の締めの歌舞伎を観ないことには、一年が終えられない。仕方なく一部のチケットを買ったのは、十二月も半ばを過ぎたころだった。
そして観劇当日。初音ミクは一部の後半、30分の休憩を挟んでの登場だ。
あたりを見渡すと、いつもと明らかに客層が違う。
外国人観光客が多いだけでなく、ド派手な法被をなびかせ、鉢巻きを巻いた集団がいる。馴染みのバーなのに知らない顔ばかりがカウンターに並んでいて、なんだか居場所を失った常連客のような気持ちだった。
後半の開始を告げるベルが鳴る。
照明が落ち、オープニング映像が始まると、途端に客席が熱狂の声に包まれた。通常の歌舞伎には無い演出に驚いていると、獅童による「口上」が始まった。
「みんな、盛り上がってるかー!」
「恥ずかしがってないで、踊ったもん勝ち、叫んだもん勝ちだ!」
「最後まで、声出せるかー! い・く・ぞぉー!!!」
サマーソニックにでも来てしまったのだろうか。獅童呼びかけに応えるように、客席からは雄叫びが上がる。口上という名のコール&レスポンスに度肝を抜かれながらも、気が付くと隣でペンライトを振る青年に負けじと、大声を張り上げていた。
舞台の中央に、風に花弁をなびかせる桜の大木が現れる。最新テクノロジーによって投影された桜は、春の夜風までも感じさせた。あまりの美しさに息をのむ客席。その瞬間、非日常への扉が、力強く開かれた。
桜が儚く消えると、獅童演じる主人公の登場だ。アイドルコールさながらの「大向(おおむこう)」が掛かり、獅童の屋号である「萬屋(よろづや)!」の掛け声にセリフがかき消されるほどだ。通常の歌舞伎では、一般の観客が大向をすることはほぼないが、超歌舞伎では誰もが自由にできる。江戸時代の庶民であふれる芝居小屋に、タイムスリップしたかのようだ。
華やかな踊りあり、ど派手な立ち回りあり、それらのすべてを、最新技術を駆使した映像や音楽がこれでもかと盛り上げる。スクリーンの中の初音ミクも、新人役者ながら大健闘している。
クライマックス、「千本桜」の音楽が始まると、客席はピンク色のペンライトの光に染まり、劇場全体が桜吹雪に包まれた。獅童が縦横無尽に駆け回り、観客に呼びかける。「オイ! オイ!」という掛け声で客席と舞台が一つになる。色とりどりのペンライトを揺らしながら、出演者全員が舞台に登場すると、舞台と客席の熱気と一体感は、最高潮を迎えた。
初音ミクと獅童がゴンドラに乗って宙乗りを披露し、3階席まで呼びかける。
「みなさんが、超歌舞伎をここ歌舞伎座まで連れてきてくれた。みなさんは今日、歴史の目撃者になりました」
「歌舞伎は昔から新しいものを取り入れてきた、最先端のエンターテインメントです」
「100年続いたものは伝統になる。100年続けましょう。ともに伝統を作りましょう」
そうだ、伝統とは、受け継ぐだけでなく、作っていくものなのだ。
古いものが良いのではない。新しいものを取り入れ、進化し続けたものこそが、人々を魅了し今日まで残っているのだ。
そして作品に命を吹き込むのは役者だけではない。観客がいてこそ、初めて芝居が成立する。江戸時代から脈々と続いてきた歌舞伎の伝統は、役者と観客がともに歩んできた歴史に他ならない。今日の舞台を見届けた私たちも、新たな伝統を生み出そうと、バトンを渡されたのだ。
熱気の残る劇場の外に出ると、ひんやりとした風が心地良い。
伝統のバトンは、私の手の中にある。
来年もたくさん歌舞伎を観よう。新たな非日常との出会いを楽しみに。
***
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