心変わりしたのはあの人なのだろうか、私なのだろうか
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記事:うらん(ライティング・ゼミ)
それは、10月下旬の、ある朝のことだった。
私は、外出するため身支度を整えていた。
背後から聞こえてくるTV番組では、アメリカの大統領がクリントン氏になるかトランプ氏になるかと、かまびすしく論じあっている。
もう少ししたら出かけよう、今日の晩ご飯は何にしようかな、帰りにあれとあれを買って……。そんな呑気なことを考えていると、ふいに電話が鳴ったのだった。
こんな時間に電話がかかってくることは、滅多にない。
一瞬にして、落ち着かない気持ちになる。
「お母さんが家の中で転んで、救急車で運ばれた。足を骨折したらしい。今、J病院にいる」
電話は父からだった。
仕事が終わったらJ病院に寄るようにと、兄に伝えてくれというのだ。
兄の職場からJ病院は、兄の家とは正反対の方向にある。なにも兄にそんな無理をさせることはない。
「私が行くわ」
「お前じゃ役に立たん」
そうなのだ。私は父に、いや、家族中から、全く使えないヤツと思われている。
そして、それは図星なのだった。
それでも私はすぐさま病院に向かった。何かの役には立つだろう、そう思ったわけではない。そうせずにはいられなかったから。
この日から、私の家族にてんやわんやの毎日が始まる。
家族といっても、兄も私もとうに結婚して、今は86歳の父と82歳の母が二人暮らしだ。
両親は、仲の良い方ではなかった。いや、どちらかというと仲は悪い。
私が子どもの頃から、二人はよく喧嘩をしていた。原因はよく分からない。それは、私が子どもだから分からないのではない。父は大変な癇癪もちで、ちょっとしたことですぐに頭に血が上る。突然怒りだすものだから、いったい何に腹を立てたのかが、こちらには分からない。
そんな頑固おやじは、世の中にたくさんいるだろう。
でも、父の場合はひどい。まず、言葉が汚い。ふるまいが凄まじい。
母に対して「てめえ」などと言う。手当たり次第に物を投げつける。投げつけた茶碗が母の瞼に当たって、母が病院に行ったこともある。
頑固おやじがちゃぶ台をひっくり返すというのは、漫画のシーンにありがちだ。ひっくり返すのならまだいい。後で拭けばいいのだから。父の場合は、お膳の上のものを天井に投げつけたりするのだ。天井では掃除のしようがない。
町内会の集まりは決まってサボった。私の友達に「いいお尻をしているね」と言った。
挙げていったらキリがないほど、父はどうしようもない人だった。
大嫌いだ。
私は父のことをずっと疎ましく思っていた。
母が家を出てしまったことが二度ある。何日も帰ってこなかった。
そのときは、胸が張り裂けるほど不安で、不安で、息をするのも苦しかったのを覚えている。
そんな父でも、私にとってはただ一人の父だ。母は唯一無二の母だ。二人にはいつまでも私の両親でいてほしいという気持ちは、揺らいだことはない。
病院に駆けつけると、待合室で小さいお爺さんが放心したように座っている。
父だった。
話を聞くと、この数時間の間にいろいろなことが起こって、てんてこ舞いだったようだ。
こともあろうに、こんなときに銀行の通帳を落としたという。いや、その前に、ATMでお金を下ろそうとして、暗証番号を3度間違え、キャッシュカードが使えなくなったのだ。それで、銀行の窓口でお金を下ろそうと通帳と印鑑を持って出直したのはいいが、銀行に行くまでの間に通帳を落としてしまったらしい。紛失届を出し、銀行口座を凍結してもらい……と、さまざまな手続きをふんで、ようやく病院に戻ってきた、そういう顛末だった。
ばかじゃないの? そんな大事なものをどうしたら落とすわけ? 以前の私ならそう思っただろう。
しかし、このときは父が不憫でならなかった。かなり動転していたに違いない。
父の失敗はその後も続く。
突然の一人暮らしになった父は、慣れない家事に苦戦していた。
はじめのうちは、ご飯を炊くことすらままならない。研いだお米を炊飯器に入れ、「炊飯」したのではなく、そのまま「保温」した。
洗濯機に洗濯物を詰め込みすぎて回らない。焼いた魚は焦げて木炭のようになっている。
それでも父は、私を頼らずに懸命に家事をこなすのだった。それは、私が「使えないヤツ」だからではないようだ。そうすることが、自分の責務のように思ってでもいるのだろうか。
驚いたことに、父は毎日のように、母の洗濯物を持って病院に行くのだった。私の知っている父からは想像ができない姿である。
大切な人に対して、人は、何かをしてあげたいという気持ちを常に抱いている。自分にできることはないかと、考えをめぐらせたりもする。それは、感謝されたいからではない。自分の評価を上げたいからでもない。ただそうすることで、心が満たされる。何か役に立てたと感じたとき、幸せな気持ちになる。
もしかしたら、父は責務として家事をこなしているのではなく、そうすることで心の中の母の存在を確認しているのかもしれない。
私も兄も、できるだけ実家と病院に顔を出すようにしていた。母もさることながら、父が疲れてしまわないかと心配だったのだ。父なんて大嫌いだったはずなのに。いつの間にか、私は心配なんてしている。
11月の中旬だったろうか。父と病院に行くと、母が開口一番「トランプさんが大統領になったの? どうして?」などと聞く。
なんて呑気なことを言っているのだろう。父は家事と病院通いとで手一杯の毎日だというのに。
知らぬ間に、父の味方をしている自分がいた。
「あらっ。こんなところに何かこぼして」
父が、前日に聞いた医師の話を母に説明し始めたとき、無頓着にも母が父のセーターにシミがあるのを指摘したのだ。
「そんなことは今、関係ないだろ!」
父がそう怒鳴ると思い、私は咄嗟に身をすくめた。
「まぁ、それはともかくとして。とにかく先生は……」
なんと、父は、わき道に逸れた話を適当に流し、淡々と話し続けたのだ。
以前の父からは考えられない。
どうしたのだろう。父は変わったのだろうか。
いや。そうではないと思う。父は変わったわけではない。
ひょっとしたら、こういうことではないだろうか。例えば、の話ではあるが。
私の夫は最近、いびきを測定するアプリを使って、自分のいびきを毎日チェックしている。彼のいびきがうるさくてとても寝られやしないと、私がブリブリ文句を言ったからだ。
アプリでは、いびきが録音されると共に、強弱の度合いが折れ線グラフで示される。
再生したものを聴いてみると、なるほどよく録られている。驚いたことに、いびき以外にも実にさまざまな音が入っている。トラックが停まって荷台の扉を開け閉めする音、カラスの鳴き声、ガザガザと布団のこすれる音。
しんと静まり返った部屋で、彼のいびきだけが響いていると思っていたが、実はいろいろな音がしているのだった。
私は全ての音を聞いていたわけではなかった。夫のいびきだけを選びとって聞いていたのだ。
いびきに限らず、人は、外界の全ての音を聞いているわけではないのだろう。無意識に、必要なものを選びとって聞いているのではないだろうか。
それと同じように、私は父の声を全て聞いていたのではないのではないか。父の姿をちゃんと見ていたのではないのではないか。
嫌いな部分だけ、どうしようもない人と言ってしまいたくなるような部分だけを選びだして、父を捉えていたのかもしれない。
人は、「分かっている」と思っていることは、それ以上深くは知ろうとしないものだ。
「父はこういう人である」とひとたび決めてしまうと、その後は父をそういう目で見てしまう。それ以上見つめようとは思わない。
父が変わったのではなく、今まで私に見えていなかったものが、私が見ようとしなかったものが、新たに浮かび上がったということではないだろか。
映画でも、風景でも、あるときを機に、これまでとは全く違うものに見えてくることがある。本でも、歌でも、今まで何も感じなかった言葉が、あるとき胸の奥までずしんと響いてくることがある。こちらの心持によって、そのありようを変える。そんな思いをすることが、たびたびある。
それが「人」でも、同じことが言えるのかもしれない。
いろいろな本を読むうちに、自分の好みに合う作家にめぐりあうと、それ以降はその作家の書いたものは全て面白く読めてしまう。この作品はペケ、これはイマイチだとか思わなくなる。どの作品にも、どの文章にも、その作家を感じるからだ。その作家の何かを「がっちり掴んだぞ」というような、自分なりの手応えを感じている。だから、どんな作品であろうとその作家の生み出すものなら、安定して受け入れられる。
父との関係が、何か目に見える形で変わったわけではない。でも、私の中で、父の何かをがっちり掴んだような気がしている。だから、これからは父のすることなすこと全てを、肯定的に受け入れられるように思う。
母は、いまだに入院中だ。退院のめどはまだ立っていない。
頑張りがきいている父が、この後どうなるか分からない。素がでてキレてしまうかもしれない。
だが、父がこれからどんな姿を見せようと、私の中で受けとめる父の姿は、もう変わることはないだろう。
ライティング・ゼミの課題提出も、これで最後となった。
これまで、「書く」ということは、自分の思いの丈をつづることだと思っていた。人に自分の思いを伝えることだと思っていた。
でも、決してそればかりではないことを、このゼミで学んだ。
「書く」ということは、自分と向き合うことだった。自分の内面の声に耳を傾けることだった。自分がどんなことを考え、また、どんな人間かを知る営みだった。
こんな素晴らしいことに気付かせてくださって、三浦さん、本当にありがとうございました。
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