ふるさとグランプリ

銭湯の匂いを嗅ぐと、私はいつもあの頃の世田谷に戻る《ふるさとグランプリ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:わたなべつよし(ライティング・ゼミ)

みなさん、お風呂はお好きですか?
私は好きです。特に、銭湯のような、大きいお風呂が。

その日、私は家族で銭湯に来ていました。
6歳の娘も私と同じく銭湯が好きで、「おっきいおふろ、いきたい!」とせがまれては、こうして定期的に、家族で銭湯に来ます。
銭湯のどこが好き? と聞いてみたら、
「おふろがおっきいから!」とのこと。きっと他にも色々と好きな要素はあると思うんですが、うまく言葉にできないんでしょう。
私が、そろそろ出ようか? と促しても、いつも決まって「えー、まだ」と言って出たがりません。私は「銭湯が好き」と言っておきながら矛盾しますが、長湯が苦手なため浴槽から出たり入ったりを繰り返します。それを2往復から3往復したあたりで、「さて、そろそろ出ようかな」と思うのですが、どうやらそのタイミングは娘とはまったく合わないようで、一緒に行くといつも私がのぼせるまで、お風呂に入ることになります。

ああ、ともあれ、やっぱり「おっきいおふろ」は気持ちがいいな……
と、平和で幸せな安堵感に包み込まれていると、どこからともなく、びっくりするほど大きい声がして、私と娘は思わず振り返りました。

「ううぅぁぁああ〜……」

もくもくと湯気が立ち込める、銭湯の湯船の中、歳は70代くらいのおじさんが、少し離れたところで湯船に体をゆっくりと沈めながら大きい声を出していたのでした。
なぜこうも、おじさんたちは銭湯で、周りを気にせず声を出すのでしょうか。
たしかに、気持ちはわかりますよ。ええ、とてもわかりますとも。
湯船に体を沈めていく過程は、それはそれは、この世のものとは思えない快楽の瞬間ですよね。
足を片方ずつ湯船に入れていき、ゆっくりと湯に浸かっていくと、足元からだんだん体の上の方に向かって順番に、ピリピリするようなお湯の熱さと、お湯の水圧が心地よく体を包み込んでいって、自分の意と反して無意識のうちに、ため息のような声が出てしまうことはよくあることです。
出てしまう、というか、体から絞り出されるとでも言いましょうか。そう、まるで、ぎゅっと握ると「ブブー」って音がするおもちゃみたいに。

そんなことを考えながら湯船に浸かり、銭湯独特の、湯気と石鹸のような清潔感が入り混じったような匂いをかいでいたら、なんだかあの頃のことを思い出していました。

私が23とか24の頃だから、もう10年以上も前の話。
当時付き合っていた彼女は、世田谷の狭いアパートで一人暮らしをしていました。私は茨城に住んでいましたから、ちょっとした長距離恋愛というやつです。それでも、月に2、3回は遊びに行っていました。

田園都市線の三軒茶屋駅から東急世田谷線に乗り換えて4駅。
世田谷駅は無人の駅で、当時はたしか「せたまる回数券」というICカードがあって、それを端末にピッとかざして通過していました。

4畳半くらいの1ルームの部屋は、シングルベットと小さなテーブル、ちょっとした棚にテレビを置いたら、もうほとんど居場所はなし。
玄関を入ってすぐ右側にキッチン、というより手洗い場のような小さいシンクと、小さなIHコンロがひとつ。
その隣のドアを開けると、トイレと、小さな湯船と、洗面所が一体になった、いわゆる「3点ユニットバス」。
部屋に遊びに行くと、私は、それはそれは狭い思いをしながら過ごしていたものでした。

泊まるともなると、お風呂に入りたいわけですが、3点ユニットバスの小さな小さな湯船は、体の大きい私にとって、鳥かごにつける水飲み場のようなもので、とてもじゃないけどゆったり浸かるなど不可能。
ならばシャワーをと、まるで安いビジネスホテルのごとく、シャワーカーテンを使って湯船の中でシャワーを浴びよう、ということになるのですが、これが狭くて何度も肘を壁にぶつけ……
挙句の果てには、シャワーカーテンがうまく使えず、トイレの方まで水がかかってしまい、便座カバーやトイレットペーパーまで水浸しにしてしまって彼女に怒られる始末です。

もう、こんなお風呂いやだ……
と嘆いていると、彼女がひとこと。「すこし歩いたところに、銭湯あるよ」
あるんかいっ!
別に関西人ではなく生粋の茨城県民のくせにお決まりのような関西弁のツッコミをし、銭湯に向けて出発するのにそう時間はかかりませんでした。

銭湯の入り口には「ゆ」と書かれた暖簾がかけてあり、そいつを右手の甲で「やってる?」と言わんばかりにめくりながら、中へ入ります。
佇まいは、老舗の銭湯を思わせる靴箱や、ロッカー。
「じゃあ、30分後くらい?」
と、彼女とだいたいの時間の約束をして、男湯、女湯へと別れます。
いそいそと服を脱ぎ、浴室へ入るための引き戸をガラっと開けると、浴室から、それは心地よい、湯気とお湯の独特の匂いを体中に浴びました。
体を洗って浴槽に浸かるも、銭湯のお湯はわりと熱いため、そう長くは入っていられません。私は湯船から出て、体を拭き、時計を見てみると、まだ15分位しか経っていない、仕方ないので、脱衣所で腰に手を当てて牛乳を飲んでみたり、天井付近の高い位置に付けられた、小さくて見づらいテレビを見たりして、だいたいの約束である30分まで時間を潰して外に出るのですが、やっぱり彼女は出てきていない。いつもこうでした。

でも、その待っている時間がまた嫌いじゃなかったんです。
体が、お湯でぽかぽかに温まっているせいもあるのかもしれませんが、それだけではない気がします。とにかく、あの平和で幸せな安堵に包まれた時間が、私はなんとも言えず好きだったのです。

「……パパ、ねえパパ。もう出る?」

おっと、娘の声で我に返りました。
私としたことが、娘と銭湯に来ていることを忘れて、10年以上も前の恋話を思い出していました。
でも、銭湯に来るたびに思い出すんです。銭湯の匂いを嗅ぐたびに。五感と記憶は関係深いといいますが、まさにタイムマシンのように、鮮明に、あの頃の世田谷の銭湯に行くことができるから、不思議なものです。

「もうママ、出たかな。待ってるんじゃない?」

いや、きっと大丈夫。
ママはお風呂、ゆっくり浸かるのが好きだから。

昔っからね。

***

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