ふるさとグランプリ

いっそ、死んだ方がましだと思った。《ふるさとグランプリ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:ほそきはら あきとし(ライテイングゼミ・日曜コース)

 
 
思い立ったら行動してしまうのは、昔からの悪い癖だ。
あのとき僕は強烈な後悔にさいなまれていた。
なんといってもアタマが強力な力によって潰されてしまうほどに痛かったからだ。
 
そして、吐き気がとまらない。
まるで僕の体に残っているすべての生気が、口を通じて吸い取られていくようだ。
息も満足にできないようになってきて、だんだんと寒気がするようになる、体が小刻みに震えてきて意識がもうろうとしてきた。
 
そのとき、時間は午前4時ぐらいだったと思う。
僕は富士山の9.5合目にいた。あたりは真っ暗だけど、見上げると地上で見る数の5倍を越える大粒のシャンデリアたちと、スポットライトをあてたような大きい円が輝いていた。
でも、衰弱しきった僕には、彼らが無謀なチャレンジに失敗した僕をあざ笑うかのように見下しているとしか思えなかった。
 
なぜこんな所にいるのかと言えば、あるとき友人が富士山登ってきたと言い、「山頂から見える景色は人生で一度みておくべき、あの場所には行くだけの価値がある」と言われ、正直うらやましく思えた。友人の話を聞いていると、富士山登ることがひとつのステータスのように思えたくらいだ。
 
そのあと、別の友人に「富士山にのぼらないか?」と誘われ、断る理由がなかったから共に行くことにした。僕にとって初めての登山だった。そう、ちょっとした出来心だった。
それでも、本やWebから現地の情報を集め、それなりの装備をそろえ、行動計画まで考えてきた。体力をつけるために約一ヶ月走り込んだりもした。
 
でも、僕以外の登山者は、険しい顔をしているものの、しっかりと歩んでいる。そんな皆さんの姿を見て、どれだけ体力があるのだと、ココは選ばれた者しか来てはいけない場所などだと、ただただ猛省するしかなかった。
 
疲労がピークに達し、立っていることすらままならなくなった僕は、登山道から少しだけ離れた場所に座り込み顔をしかめた。
 
「なんて過酷な山なんだ」
もうろうとする意識の中で、僕はなぜヒトは山に登るのかを考えていた。
元々、古くから「山」は神様が宿るとされる神聖な場所だ。
特に富士山は、日本の象徴として全国各地から登山客を呼び寄せてきた場所でもある。
それは、富士山が日本一高い山だからこそ、遮るモノがないから風は強く当たり、夜は寒い。そして、日中になれば太陽がガンガン照りつけてきて身を焦がしていく。
頼るモノはない。僕はこのからだひとつで、自然という得体の知れないモノに戦いを挑まなければならない。そんな過酷な場所へ挑む勇気、鍛錬とでも言うべきモノを求めてやってくるのかもしれない……と考えを巡らせているとき、隣にいる友人が声を上げた。
 
「あれを見ろよ!」
ここまで、共にしてきた友人が声を上げた。地平線が徐々にオレンジ色に変色していく。
……夜明けだ。みるみるうちに、空が明るくなる。そして、太陽が顔を出した。
 
「あたたかい」
次の瞬間、僕の体は太陽の光に包まれていた。
一瞬にして、僕のすべてが温かくなっていくのを感じることができる。
生きていることを実感した瞬間だった。
 
あのとき、僕はひとつの境地に達していた。今思えば、登山の醍醐味といえるのかもしれない。そう、諦めない努力は報われるためにあるのだと。
 
事前準備をしっかり行い、万全の体制で望んだとしても、失敗してしまうことは多分にある。僕の短い人生を思い返してみても、毎日のように失敗ばかりだ。
でも、その場面でどう考えを巡らせるかが、これからの人生を左右するのではないだろうか。
 
「こんな過酷な場所に臨もうとするのが悪い」
「ご来光を見ようとして、ペースを上げすぎたのが悪い」
「もう高山病にかかるのはまっぴらごめんだ、もうこんな場所には来ない」
つらい場面になればなるほど、ネガティブな思考がグルグルとあたまの中を駆け巡ることは、当たり前の反応であり、人間の性ではないかと思っている。
 
じゃあ、どうするのか、そのネガティブな考えを自己肯定してみてはどうだろう。
ネガティブな考えに対してとことん自問自答するのだ。
その課程で、ネガティブだったことが、本当はたいしたことがない事に気づかされる瞬間がある。先の例で言えば……
「こんな過酷な場所を乗り越えたのだから、もう他の山は怖くはない」
「頂上でなくても、素晴らしいご来光が見えたじゃないか」
「高山病にかかったとしても、僕は生きている。こんどこそ、万全の体制できてやるぞ」
 
そして、この境地に行き着くのが、努力という行動を起こしたからと言うことを忘れてはいけない。だから、努力は必ず報われると思っている。
 
あのときを思い返せば、あの光りは僕にとって神様からさしのべられたご褒美のように思っている。あの光を浴びた瞬間から、高山病が少し柔らいで、無事に山頂へたどり着き、お鉢巡りまで行うことができた。ただ、完全回復したわけではないので、下山には時間を要することになり、共に行った友人には本当に申し訳ないことをしたが、最後まで側にいてくれて本当に良い友人を持ったと感謝している。
 
登山は、過酷だ。
そのあとも、北アルプスの涸沢で台風より強力な低気圧に見舞われて、テントがいつ飛ばされてもおかしくない状況で一晩を過ごしたことや、燕岳を目指して、猛吹雪で視界が乏しく前のパーティから引き離されていく状況で足先から冷えてくる感覚があった。更に言えば、北海道の羅臼岳で前方五メートルの距離感で巨大なヒグマと遭遇した事もある。
 
もちろん、過酷と無謀を混同してはいけない。無謀だと死に直面することになる。
あからさまな準備・装備不足や、情報不足の状況で行うことを推奨しているわけではない。
十分な準備をし、体調にも気遣いながら、諦めずに歩みを続けるから山頂に着いて、素晴らしい景色を見ることができる。
それは、登山でも日常でも同じ事ではないだろうか。過酷なことに遭遇するのは決して山だけではない。日常でも精一杯に頑張っていても、失敗することもあれば、過酷なこと、つらいことも直面して、辞めてしまい衝動に駆られることがある。
でも、そこで諦めたら終わりだ。その先に続く体験や得るものはない。
 
努力は報われるというのは、努力よりも先にある得たモノの価値が大きいからではないだろうか。今回の富士登山であれば、すばらしいご来光を見られた事になる。むしろその体験や得るものがない方が、僕にとっていっそ死んだ方がましだとさえ思えてきた。
 
だから、僕は努力を辞めない。いや、諦めたくない。
 
 
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