「この人は痴漢じゃありません」と私が保証してあげるけど、私の部下としては失格よ！
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記事 : 鼓星（ライティング・ゼミ）
朝のラッシュ時の約2時間、京浜東北線の3号車は「女性専用車両」に指定されている。アラフィフのぽっちゃり体形のオバちゃんが痴漢の標的になることはないけれど、私は毎日、女性専用車両を有り難く利用している。
身長150センチの私は、大柄な男性に囲まれてギューギュー押されるとあやうく窒息しそうになる。同じように混雑していても、女性車両のほうが体力的にはかなりラク。しかも、女性は通勤用のカバンもソフトで小ぶりなものを持つ人が多い。ごついビジネスバッグの角が腰にグイッと押し付けられ、思わず悲鳴を上げそうになることもない。スーツの肩にフケが落ちていたり、真冬なのにダラダラ汗をかいているような人もめったにいない。女性専用車両は一般車両に比べれば、はるかに平和で穏やかな空間なのだ。
ところが、3日に1回くらいの割合で、女性専用車両内で男性を見掛ける。
ちょっとお気の毒なのは、発車間際に慌てて飛び乗ってきて、ドアが閉まった瞬間に、気づくパターン。「あっ、しまった！」という表情がなんとも痛々しい。ラッシュのピークを過ぎた9時過であれば、「すいません、申し訳ありません」と小声でつぶやきながら、人と人との隙間を縫うように隣の車両に移動することもできる。しかし、混雑が激しい8時台は、車内を移動するのは困難。そんな時は、肩をすぼめ、腕をしっかり脇につけ、なるべくスペースを取らないよう、周囲に立つ女性には接触しないよう、修行僧のような神妙な顔で1駅を過ごす。ただ、この時、車両の中の雰囲気は「あらあら、間違っちゃったのね」「これに懲りて、明日からは気をつけてね」と同情的だ。
次の駅でドアが開いた瞬間、解き放たれた小鳥のよう飛び出していく背中を私は心の中で「お疲れ様でしたー！」とつぶやきながら見送る。きっと、隣りの車両に乗り込み、冷や汗を拭いてホッと一息ついているに違いない。
それとは対照的に、動じることなく堂々と女性専用車両に乗っている男性に対しては、車内の雰囲気は厳しい。遠慮なく射抜くような視線が向けられる。でも、そんな彼は、冷たい視線に気付くこともなく、立ち位地を確保すると、ゲームでもしているのだろうか、一心不乱にスマートフォンの画面に見入っているのだ。運よく目の前の席が空けば、何の躊躇もなく席に座り、再びスマホに熱中。
親切心から「ここ、女性専用車両ですよ」と教えてあげる人はまずいない。何度も視線を送りながら「ちょっと、あんた、ここ女性専用車なのよ。早く気づきなさい！」「目の前に女性専用車両ってでっかいステッカーが貼ってあるのが見えないの？」「私のお尻に何か当たっているのは、あんたのカバン？ まさか痴漢じゃないわよね？」と無言のプレッシャーを掛けるのだ。
そんな時、刺々しい車内の雰囲気に耐え切れずに、私は、心の中で「ひとり天海祐希ごっこ」を始める。姉御肌の天海さんは、冷たい視線を浴びせられている彼を見捨てたりはしない。「皆さん！ 私は彼とは縁とゆかりもありませんが、でも、彼が決して痴漢ではないということは私が保証します！ 女性車両の中でエロいこと考えたりなんてしていません！」と宣言するのだ。
「だって、こんな無神経な人に痴漢なんてできると思いますか？ 女性が働くのが当たり前の時代になったとはいえ、サラリーマンの世界はまだ男社会。通勤電車に乗って仕事に通うのは、男性の方が圧倒的に多いんです。だから、何かの偶然で女性専用車両に乗り込んだとしても、普通の神経の持ち主なら、ここは異空間だって気付くはずでしょう。皆さんからの冷たい視線すら、平気でスルーできちゃう無神経男に、痴漢なんてできません。皆さん、彼をそんなに冷たい目で見ないで下さい。彼には下心なんて微塵もありません」
しかし、大手生命保険会社の調査で7年連続「理想の女性上司」に輝いた天海さんは、部下の品定めは厳しいハズ。「ただ、正直なところ、絶対にこんな男は部下にしたくないですね」と言うだろう。
「痴漢は、次の駅に到着するまでの時間がどれぐらいか、周囲に同業者がいないかを見極め、抵抗したり、大きな声を上げたりしそうなタイプは標的から除外します。万が一、『痴漢です！』と叫ばれた時に備えて、逃げ道はあるか、周囲に腕っ節の強そうな人がいないか瞬時に状況判断しているんです。もちろん、痴漢を褒めるわけではありませんよ。でも、女性車両に乗り込んで何の違和感も覚えないような男は、はっきり言って、部下としては痴漢以下。失格です」。
そして、こう言い放つのだ。「社内で企画書を通すにも、お客さまからの受注を獲得するにも、目配り、気配り、状況判断力は必須。それなくして、サラリーマン社会を生き抜けるはずはないって、叱り飛ばしてやりたいくらい」
天海祐希気分がノッてきたところで、電車は品川駅に到着。ホームには「女性専用車両の運行は品川駅で終了致します。品川駅より先の3号車はどなた様もご利用頂けます」とアナウンスが響く。天海祐希ごっこもこれにて終了。女性専用車両で一心不乱にスマホ画面をにらんでいた彼も、品川を過ぎれば、晴れて罪のない1人の乗客となる。
私が東京駅で電車を降りる時、彼は、スマホを見ながらニヤけていた。ゲームでハイスコアを獲得できたのだろうか？ それとも、面白い動画でも見つけたのか？ いやいや、そんなことはどうでもいいのだ。「会社で上司の逆鱗に触れるなよ！ 詰めの甘い仕事で同僚に迷惑かけるなー！ お客さまとのアポの時間を間違えたらアウトだぞ！」
もう、二度と会うこともないだろう鈍感君に心の中で檄を飛ばしつつ、私は会社に向かった。
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