見上げるとそこに、見渡す限り満開のプラスチックな桜
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:ありのり(ライティング・ゼミ)
若いころの私は、豊かで満ち足りた日々というものは、努力してスキルを身に着け、何者かになってようやく手にできるものだと思い込み、猛烈に仕事をこなしていました。
何者かになるため、仕事はハードなインセンティブ制の営業職を選んでいました。
いつも頭の中は営業戦略と数字でいっぱい。大量に発生する書類や会議の処理などは、優先順位をつけて高速で片付け、一息つく、ということをするほうが煩わしく、休憩を入れず一気にタスクを仕上げてゆくことを好み、受話器を肩に挟んで顧客と話しながら左手でデータの入力をして、右手で回覧のハンコを押す……そんな毎日でした。
このように限界まで時間を切り詰めた生活は、ある種の達成感と、仕事の実績、そして、それに応じた収入をもたらしました。即物的な報酬は私をむやみに高揚させ、自分を追い込むような多忙さに拍車をかけました。その高揚感が、果たして自分が求めていた豊かで満ち足りた日々なのかどうか、よくわからないまま。
ある日、街路樹が並ぶ道を通りかかりました。その日も朝から分刻みで詰め込んだアポイントをこなし、次の約束に向けて急いで歩いたときです。
上から一枚の花びらが降ってきました。桜です。そこは桜並木が有名な通りでした。見上げてみると見渡す限り満開の桜が立ち並んでいました。
「ああ、もうこんな季節なのね。桜……さくら? あれ、桜って……ん?」
私は立ち止まり、桜を見つめました。瞳に満開の桜を映し、かなり長い時間見つめ続けました。周りから見たら、桜に見惚れているように見えたかもしれません。
しかし、実はその逆でした。
私の心は何も感じていなかったのです。
これは美しいものである、という知識と記憶はある。でも、何も感じない。それどころか桜が無機質なもの、そのような形状をしたプラスチック製品かなにかのように見えているのです。そんな自分に戸惑い、何かを感じようと桜を凝視していたのです。
やがて、急に自分自身を気味悪く感じ、手で頬をペチペチと打ちました。そして、次に約束している顧客とはまもなく大きな取引が成立することを思い出し、ようし、やるぞ、と意気込んでその場を立ち去りました。 桜のことはすっかり忘れて。
それから数か月後、私は過労で倒れ入院しました。20代最後の年でした。
いつか手に入れると夢見た豊かで満ち足りた日々は、どれだけそこに向けて走っていても、いつも私のずっと先の方で、蜃気楼のようにうっすらとちらついているままでした。
あれから10数年が経ちました。
私は結婚をし、子を持ち、身の丈に合った仕事をして暮らしています。たまにあわただしい日があっても、何かを追いかけて中毒的に限界まで自分を追い込むなどということはしなくなりました。
一方、流れる日々の暮らしのふとした瞬間に留まり、それを緻密に、そして丁寧に味わうという楽しみを見つけていました。お茶の師範をしている義母の影響です。
義母といるとき、私はよく彼女の所作の美しさや丁寧さに見とれていました。茶道で磨かれ、洗練されたしぐさです。お醤油の小瓶を食卓に置くだけなのに、床のカバンを取るだけなのに、私に物を渡すだけなのに、何気ない動作にふくよかな質感が宿るのです。
ある日、「お義母さんのきれいな所作はなにかコツがあるのですか?」と尋ねました。すると、「ひとつのことをするとき、そのひとつのことだけを、ただ、するのよ。緻密に、丁寧に。それを堪能するようにね」と答えてくれました。
たとえば、お箸を置くときは、ただ、お箸を置くことだけを存分に堪能する。自分が美しいと思える角度でお箸を持ち、テーブルや箸置きの上に、緻密に、丁寧に、置く。ゆがまぬように、ばらけぬように。
そして、最後にそこに箸が落ち着いていくさまを確認する。物というのは、そこに置いたあと、刹那の間を経てそこになじむ。ひとつの作品を仕上げるようなつもりでそれを確認する。
「大事なことは、それらの作業を楽しむこと。義務感を出してはだめよ、つまらなくなるから」と、義母は付け加えました。
その義母から教わった「緻密に、丁寧に」ものごとを味わうというコツは、私の日常を変えました。それは、そこにある豊かさにアクセスする秘訣でした。
例えば、洗濯物をたたむこと。それは私の気に入っている作業のひとつです。
フェイスタオルを手に取り、風にあおられて乾いたゆがみを整えます。使いやすい薄地のタオルは端が巻き上がって乾くので、それも指で伸ばして整えます。端と端をきっちり合わせ、掌でアイロンでもかけるようにゆっくり押さえて丹念に折り上げます。
タオル地の柔らかさや、すこし乾きすぎてごわついた感覚などを楽しみ、そのときこぼれる太陽の香り、洗剤の香りをつかみます。たたんだら、それをひとつひとつ脇に積み上げていきます。そして最後に、きちん、きちんという声がしそうなほど誠実に折りたたまれたタオルたちの山を見届け満足します。洗濯物をたたみ終えることが目的ではなく、たたむということそのものが小さな娯楽になっていきます。
食器を棚に戻すとき。がちゃがちゃと戻すのではなく、まるで高価な瀬戸物を棚に陳列するかのように置く。ふだんよりほんの少し丁重な自分の手元の動きを楽しみます。
繰り返すうち、食器を片付け終えることが目的ではなくなり、食器を置く作業そのものに趣を感じ始めます。
ドアを閉める瞬間を緻密に、丁寧に行う。それだけをただ味わう。ぱたり、と閉まる音まで耳をすまして聞き届ける。
階段を上り下りする動作を緻密に、丁寧に行う。それだけをただ味わう。靴の音、体に感じる高低差をキャッチする。
夕焼けを眺める。緻密に、丁寧に眺める。全身の感受性を開いて夕焼けの色と時間ごとに変化する気配をゆっくりとたどる。
季節の初物の里芋を食べる。緻密に、丁寧に食べる。視覚と味覚の感度を上げ、歯ごたえやのど越しを楽しむ。
意識をするだけで、行動の完了が目的ではなく、行動そのものが豊かな目的である日々が紡がれていきます。それに気が付くと、どれほど忙しい日であっても、その豊かな時間を自分で随所に創りだせるものなのだと知ります。
若いころ幻を追いかけるように焦がれて求めていた豊かで満ち足りた日々というものは、日常のこのようなふくよかな瞬間にあったのだと、私はようやく気が付きました。
あとひと月ほどで、桜の季節です。今年も満開の桜を緻密に、丁寧に眺めに行きます。
きっと、私は桜からほとばしる新鮮な生命力と、圧倒されるほどの美を全身で味わい堪能するでしょう。
「私は何もわかっていなかったのね」と、プラスチックの桜の前で立ちすくんでいたあのころの私を思い出しながら。
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