卒業シーズンになると、鈍感だった自分を思い出してとてもむずむずします。《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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石村 英美子(プロフェッショナル・ゼミ)
高校生の頃。
卒業式では泣きました。
ぽろぽろと泣きました。
涙を止めようとするのは、無駄だと思いました。なぜなら、ちっとも寂しくも悲しくもなかったからです。なんともないのに出ている涙を止める方法など、全く思いつきません。なのに、両の目からはこんこんと涙が溢れ、頬を伝い、ポタポタと濃紺のプリーツスカートに落ちて行きました。
しかもそれは、自分の卒業式ではありませんでした。
私は工業高校に通っていました。商業科の女子たちに比べ、作業員のような服を着て金属くずや工業用油脂にまみれた私の青春は、あまり、というか全く華やかなものではありませんでした。
旋盤や鋳造などの金属加工をしたり、木工の授業で材木を加工したり、ドラフターという手書きの製図板で平面図を書いたりしていました。
「あれ? 間違えたかも」
と思ったのは1年の一学期でした。私は多分、デザインやモノを作ったりする事がやりたかったのだと思います。それで、その希望に一番違い教科を探したところ、見つかったのが「インテリア科」でした。しかしそこは偏差値44のおバカちゃんたちの受け皿でした。
学内で、先生たちにバカにされている空気が伝わって来ました。事実、インテリア科が一番成績が悪かったし、素行面でも問題がある生徒もいました。
少なくとも私は、何か物を作るのが好きでこの学科を選んだのですが、学力の問題で「商業科には入れないから」と、インテリア科に来た同級生が何名かいました。彼女たちは、実習をとても嫌がっていました。手が汚れたり、力仕事のようなことをしたくない様子でした。ヤクルトのおばちゃんのような作業服も嫌がって、なんだか不思議な着崩しかたをしていました。
私は憤慨していました。
「だったら来るんじゃねーよ! お前らみたいなのが来るからインテリア科はバカにされるんだよ!」
クラス内の女子は大きく二つに分裂しました。ざっくり言ってしまうと、
「なんか作る子」と
「なんも作らない子」
大きな対立こそ無かったものの、自然と生息地域と行動が分かれていたのです。
「作る子」連中は、私の知らない画家やイラストレーター、漫画家や建築家の話で盛り上がっていました。実は、私はあまり知識がなく、「作る子」たちの話に入っていけませんでした。
かといって、「作らない子」たちの、何組の誰くんカッコイイみたいな話にもついていけませんでした。工業高校の機械科と電気科にいる男の子にカッコよさを見出す眼力が、私には無かったのです。
さて
間違ったかも? とは思ったものの、中途半端な位置にいた私は、自分がどうあったらいいのかわからないままでした。せめて部活でもと思い、入部希望を出した軽音楽部には入れてもらえませんでした。商業科の可愛い女の子たちが、何人か入ったようでした。私だって、文化祭で戸川純とか歌ってみたかった。あぁ、私の高校生活は何処へ向かっているんだ。
ところが、軽音楽部で門前払いを食らった私を目ざとく見つけたクラスメイトがいました。すぐ後ろの席のサトミでした。彼女は「幽霊部員でいいから」と私に名前を書かせました。
そんなに嫌ではありませんでしたが、そんなに乗り気でもありませんでした。もともと、絵を描くのが嫌いなわけでは無かったし、自分でも下手じゃない程度には思っていました。というか、小・中学生の頃にはコンクールで入選するのが当たり前だと思っていたくらいです。だから、完全に舐めていました。美術部を。
連れられていった部室は、美術室の職員準備室を兼ねていました。
北向きの、日当たりの悪い準備室は、油絵の具の匂いがしました。のちにデッサンをするようになり、美術室が北向きにある理由がわかりましたが、その時は「暗いな」としか思いませんでした。
そこには地味な先輩が2~3人いました。女性が二人、男性が一人。全員、インテリア科でした。
そこで男性の先輩がイーゼルを立て、カルトンという画板にクリップで留めた木炭用紙に書いているデッサンを見て、釘付けになりました。
うまい。
そしてきれい。
彼は、柔らかな柳の木炭を長い指先で持ち、当たるか当たらないかくらいのタッチで描いていました。「線」はありません。薄黄色の木炭紙に、濃淡を置いて行く事で対象物が露わになっているのです。
女性の先輩は明るく挨拶をしてくれましたが、ちゃんと挨拶を返したかどうかも覚えていません。
私は放課後、クラスメイトと美術室に通うようになりました。初めて描く油絵は、扱い方がわからず全く上手くいきませんでした。私を誘ったサトミは中学から油絵を書いていたらしく、手慣れたものを描いていました。私は、お絵かきで初めて敗北を感じました。だって、中学までは私が一番だったんだもの。
そしてもっと驚愕したのは、男性の先輩が書いた油絵でした。
ランプや皿、果物のレプリカのモチーフを描いた習作でしたが、その美術室に差し込む光がそのまま画面の中にあって、静かで、平穏な絵でした。
男性の先輩は谷口さんという方でした。
谷口先輩は、ほとんど口をきかない方でした。前回のコンクールでは最高位、県知事賞をとったそうで、その絵は買い上げられ知事公舎にあるのだと、顧問の先生から聞きました。
美術部は、私とサトミ、その他「作る子(同人系腐女子含む)」で一気に人数が増えました。増えましたが、何しろそこで行われるのはデッサンか油絵。静かなものです。それぞれが、勝手に好きなものを描いていました。
その中でも谷口先輩は、格が違うなぁ、でも地味な人だなぁと思っていました。その後「生徒会選挙」があるまでは。
私が通っていた学校では、学内の生徒会長を決める選挙でそれぞれが公示日に自作のポスターを作り、そのポスターのスローガンに沿って選挙演説をする、という習わしでした。そのポスターの中に、一つだけ、やたらめったらうまい絵が描かれたものがあったのです。
立候補者名「谷口○○、所属インテリア科」
谷口先輩、立候補したんだ。……大丈夫か? そう冷ややかに思っていた私です。一応、部室で声をかけてみました。「立候補したんですね」するとこう返ってきました。「させられたんだよ」谷口先輩は、絵の腕だけではなく成績もクラストップで、かつ他にクラスから代表に出せる人物が居なかったので、担任に半ば強制的に候補にさせたれたのだそうです。ますます、大丈夫か? と思いました。
選挙演説当日、全校生徒が体育館に集められました。大して面白くもない演説が続き、谷口先輩の番になりました。壇上に上がる先輩。緊張しているのだろうなぁと思った途端、先輩は階段にけつまずいてコケてしまったのです。心の中で「あいたー」と思ったと同時に、体育館が割れんばかりの笑いが起こりました。谷口先輩は笑顔で「すいません、あの、すいません」とマイクの前で頭をさげると、まだ笑いが収まってない中、ポケットからクッシャクシャの原稿を出して広げ始めました。
さぁ、読むかと思ったら「あ!」と言って、原稿を逆さまにしました。逆だったようです。それにも爆笑が起きました。ひっかかりつっかかり、声も裏返りながら読んだ原稿の中身はもう覚えて居ません。でも、谷口先輩の一挙手一投足が全校生徒のツボにはハマり、いちいち爆笑がおこった挙句「ご静聴ありがとうございました!」と言った後には割れんばかりの拍手が湧き起こりました。
私も途中から可笑しくなって笑って居たのですが、ふと我に帰り「谷口先輩、みんなにあんなに笑われて、傷ついてないだろうか。私まで笑っていてよかったのだろうか」と思いました。
しかし、その選挙結果。
谷口先輩の圧勝でした。
得票数もさることながら、谷口先輩は学内で成績もトップクラスだったので、職員会議での承認もすぐ下りました。しかし、発表された谷口先輩の役職は「副会長」だったのです。理由は、美大受験があるので生徒会長は荷が重いと、先輩から頼んでの事だったそうです。
そういえば部室で、先輩は石膏像のデッサンばかりしていました。最近油絵を描かないのは、受験の準備だったのかと私はのんびりと思っていました。
選挙の後、校内で一躍有名になってしまった谷口先輩の事を、こっそり見にくる女の子が何人かいました。彼女たちはキャーッ! と嬌声を上げて逃げて行きました。その女の子たちは、先輩のファンだったのか、物見遊山だったのかは分かりません。でも私は、今までで感じたことが無い種類の嫌な気持ちになりました。谷口先輩はな、すごいんだぞ。格が違うんだぞ。デッサンだけなら先生より上手いんだぞ。それ、先生が言ったんだからな。そんな事を一人考えていました。
美術部では、コンクール提出用の作品を、文化祭展示用の作品製作と同時進行にしていました。まず、壁を埋めるため数作描いてみるよう言われました。そして出来たものから持ってくるように、と。
しばらく後、谷口先輩が自宅で描いてきた絵を持ってきました。綺麗な女の人が水の中にいる、絵画とイラストの中間のような作品でした。色は主にペールピンクとベージュで描かれているのに、それは間違いなく水の中で、そしてとても綺麗でした。でも私はその女の人を見て、なんだか嫌な気持ちになりました。
クラスメイトのサトミも油絵を描いて来て来ました。自宅に昔からあるシャコバサボテンと、キジトラの猫を描いたものでした。見た途端、「う……」と息が止まるような生命感がありました。その絵を、谷口先輩はとても褒めていました。私も、サトミすごいなと思いましたが、素直に褒めることができず「少し画面が暗くない?」なんて言いました。そしたら二人とも「あぁ、そうかも。少し明度を上げた方がいいかもしれない」と同意してくれました。私はますますモヤモヤしました。
はいそうです。
そういうことです。
この頃すでに、私は谷口先輩の顔をまともに見ることができなくなっていました。オシャレに全く興味のない谷口先輩は、ぱっと見全然イケてないのですが、よく見ると非常に綺麗な顔立ちと、美しい指を持っていました。そして穏やかな、優しい声でした。何より谷口先輩の絵は美しくて、そして少し悲しくて、心が全部持っていかれるのです。
しかし、その頃の私は、全くもって、それが何なのか分からなかったのです。
いいえ嘘です。何となく分かっていました。
ある日、谷口先輩が私のデッサンを見て、少し直してくれました。
「北側から差し込む光は反射光だから、どの時間でも影の位置があまり変わらないこと」
「反射光は物と物の間でも起こること」
「思い込みではなく、よく見て、そして見えたままを描くこと」
先生にも教わったはずですが、谷口先輩から教わったことは素直に頭に入って来ます。世界で一番正しいように思えます。私は家で、一生懸命絵を描きました。
でも、それを学校に持っていくことが出来ませんでした。
私は、谷口先輩の足元にも及ばない。
サトミにだってかなわない。
文化祭の展示には、学校で描いた、言い訳程度の油絵と、少しだけうまくいったデッサンを展示しました。
私はコンクールには応募せず、
サトミは奨励賞をとりました。
絵を描くのは好きでした。でも「向いてない」と思いました。同時に「向いててぇ」と思いました。向いてたい。うまくなりたい。褒められたい。
私は、何のために絵を描くのか分からなくなっていました。
少し離れたところで、谷口先輩が美しい陰影を描くのを息を潜めて見ていました。谷口先輩への感情と、創作への感情がこんがらがっていました。こんがらがっていることさえ、分かりませんでした。
年月が過ぎ、私は少しはデッサンができるようになりました。
そして、一つ上の谷口先輩は卒業し、美大へ進学するため地元を離れることになりました。
卒業式の朝。
春まだ早い学校の体育館は、芯から冷えました。青いシートが敷き詰められ、パイプ椅子が並べられていました。霧の間を縫って、少しだけ窓から光が入って来ていました。
卒業生代表の答辞は、生徒会長ではなく、副会長の谷口先輩でした。
それは異例のことでした。
選挙の時と打って変わって、谷口先輩は落ち着いて答辞を読み上げました。あぁ、卒業するんだなぁ。そう思いましたが、だからといって悲しいとか寂しいとかは思わなかったのです。
式は滞りなく終わり、卒業生が在校生の間を抜けて退場します。
エルガーの「威風堂々」の転調してからの曲部分が流れていました。ベタだなぁとか思っていました。
なのに。
谷口先輩が私の横を通り過ぎた瞬間。
私の両目から涙が出て来やがりました。おいおい何だこれはと思いました。そのまま、ぽろぽろと泣きました。
涙を止めようとするのは、無駄だと思いました。なぜなら、ちっとも寂しくも悲しくもなかったからです。なんともないのに出ている涙を止める方法など、全く思いつきません。なのに、両の目からはこんこんと涙が溢れ、頬を伝い、ポタポタと濃紺のプリーツスカートに落ちて行きました。
その時の私に起こったこと。それは「ほどけた」んだと思います。全部一緒くたになって、こんがらがって訳が分からなくなり、自分がどう思っているのかさえ分からなくなっていた感情が、谷口先輩の端正な横顔を見て、もう会えないのだと思った瞬間にに一気にほどけたんだと思います。
寂しくなったのは、先輩を送り出してひと月以上経ってからでした。つくづく鈍感というか、思春期にあるまじき行いだったと思います。
その後、私は美術部に居続け、サトミと一緒に絵を描きました。たくさんたくさん描きました。二人で何度も入賞しましたが、二人とも県知事賞はとれませんでした。
ちなみに。自分の卒業式ではまっっったく泣きませんでした。
今でも時々絵を描きます。
画材屋さんに行くとテンションがダダ上がりします。
あれからものすごく年月が経つけれど、毎年このシーズンになるとこの事を少し思い出して、むずむずと恥ずかしくなるのです。
そして、このむずむずは、ちょっと「悪くないなぁ」とも思ったりするのです。
ちょっとだけ、両目から出そうになりますけどね。
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