ソレには、うるおいがなくっちゃね。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:和智弘子 (ライティング特講)
「ああー、目が痛い……」
パソコンのディスプレイとにらめっこを続けていると、目がバリバリと痛くなってくることがある。
息抜きに、目薬をさせば良いことは分かっている。けれど、ずぼらな性格なために、めんどくさいと思ってしまうのだ。息を抜かずに、ずーっとディスプレイを見続けてしまうことが多い。
私は視力が悪くて、メガネをかけないと、視界がボンヤリとしてしまう。
メガネを外していると、まったく見えない、というほどのレベルではない。何となくは見えているので、休日に自宅でゴロゴロしているときにはメガネをかけていないこともある。
「部屋のスミに、埃がたまってるよ。ちゃんと掃除した?」なんて夫に言われたときには「あー、ごめん。メガネ外して掃除したから、よく見えてなかったわ」などと、私のミスをごまかすにはちょうどいい。
だけど、やっぱりメガネをかけていないと、ボヤーッとした世界が広がっているので、外出をするときにはメガネは必需品である。
最近ではメガネをかけているけれど、以前はコンタクトレンズをつけていた。コンタクトレンズは、眼球にぴったりとくっつけて、視力を調整するものだ。
ソフトタイプのぐんにゃりと柔らかい素材で作られているものと、ハードタイプのガラスのように硬い素材で作られているものがある。
どちらも、目玉に直接くっつけるのだから、メリット・デメリットはあるのだけれど、私は、ソフトタイプのコンタクトレンズを使用していた。
コンタクトレンズは、ぴったりと目玉にくっついているときには、「あれ? つけてたっけ?」と、つけていることを忘れてしまうほど、体の一部になっている。しかし、一旦違和感を感じてしまうと、非常に厄介なことになる。抜けたまつげが目に入った、砂埃が目に入った、一緒に暮らしているネコの毛が目に入った……。
違和感の例をあげるとキリがないけれど、コンタクトをつけていない人でも、目にゴミがはいったら、ゴロゴロしたり、チクチクしたりと不快感に悩まされるだろう。けれどコンタクトをつけていると「とにかく痛い!」という所から始まって、一旦コンタクトを外してみたり、必要以上に目薬をさしたりしないと違和感は消えてくれないのだ。
しかし、違和感は他の原因で生じることがある。
「ドライアイ」と呼ばれている、目が乾燥してしまうものだ。いろいろな原因で目は乾燥してしまうのだけど、ドライアイになりやすい原因として、目を酷使してしまうことだという。パソコン仕事をしている人や、スマートフォン、タブレットなどを長時間見ていることも、目を酷使してしまう原因のひとつだそうだ。
私は仕事の都合で、一日中パソコン仕事をしていることが多い。午前中は、それほど問題はないけれど、お昼をすぎて、夕方になってくると、目が痛くなってくることが多かった。目薬は常備していたけれど、何となくめんどうだから、目薬はささずにいた。「あー、目が痛い」と言いながら、一向に笑ってはくれないパソコンとにらめっこを続けていることが多かった。
目が痛い、といいながら、パソコンを続けていたとき、瞬きをした瞬間に、ポロリと目からウロコが落ちた。……ウロコ? いや、私は魚じゃないから、さすがにウロコは落ちないはずだ。デスクの上をよく見ると、すこし硬くなっているコンタクトレンズが落ちていた。
まばたきしただけで、コンタクトレンズって落ちるんだなあ、などと思って、また目に入れようとした。けれど、毎朝目に入れたときよりも、硬く、乾いた状態になっているコンタクトレンズを、再び目に入れるのは、すこし怖かった。これは、目がコンタクトレンズを拒否したのかもしれない……。そう、感じたのだった。右目のコンタクトレンズが、まばたきだけでポロリと落ちてしまったけれど、左目はまだ、耐えている。だけど、左右の目の見え方がバラバラだと、落ち着かなくなってしまった。左目は見える。右目はうすらぼんやりしか見えない。時間が経っても慣れることはなくて、だんだんと、気持ち悪くなってきてしまった。その日は定時で帰らせてもらい、眼科に寄ることにした。
夕方の眼科は、それほど混雑しておらず、スムーズに診察してもらうことができた。
「和智さんは、あまり目薬されないみたいですけれど、このままだとコンタクトレンズで眼球を傷つけてしまうことになりますよ。こまめに目薬するか、メガネにするか。どちらかにしたほうが良いですね」
両目ともにドライアイになっているため、当分はメガネにしてください、といってドライアイ専用の目薬まで処方された。
「仕事に集中していると、目薬、めんどくさくて、忘れちゃうんですけど……」怒られるのを覚悟して、おそるおそるお医者様に申告してみる。すると「そうですね。和智さんみたいな人が、とても多いです。目薬をさすことが習慣になれば良いんでしょうけどね。ムリなら、コンタクトはやめて、メガネにしたほうが目にはいいかもしれませんね。どちらにしても、目薬はさしてほしいのですけど」お医者様はそういった。
また、コンタクトにしても、同じことの繰り返しになるだけかな、と思い次の日から私はコンタクトレンズを使用することはきっぱり辞めて、メガネを書けることに決めたのだった。
目がコンタクトレンズを拒否したときの感覚は、今でもハッキリと覚えている。「もう、アナタを受け入れたくないのよ」といった具合に目玉からポロリとはがれ落ちてきて、完全に目に拒否されているんだと感じたのだった。
しかし、この「完全に目に拒否されている」感覚を、まさかコンタクトレンズ以外でも味わうことになるとは、私は思っても見なかった。
それは、「目にひっつきませんね」という、コメントだ。
この、目にひっつかない、という独特の言い回しは、天狼院書店店主の三浦さんが、時々使う言葉だ。三浦さんがこの言葉を使うとき、それは「この記事は、目が拒否してしまう」ほどに、読みたくない、ということなのだろう。
私は、いま、天狼院書店で開催されているライティングゼミという文章を書く技術を学んでいる。週に一度、記事を書いて天狼院書店のFacebookグループに投稿し、講評をしてもらう。その時に私は「なんだか、目にひっついてきませんでした」という講評をもらうことがある。
三浦さんからこのコメントをされたときには、「目が拒否してしまうほど、読みたくない記事を書いてしまったのか」と、がっくり肩を落としてしまう。
だけど、私の書いた記事が、乾いてポロリと落ちたコンタクトレンズなのだとしたら。無理矢理ひっつけようとしても、目を傷つけてしまうだけなのだ。受け入れたくないと、目が拒否しているのなら、無理矢理入れても、何の意味もない。また新しく、たっぷりとうるおった、柔らかいコンタクトレンズになるしかない。目にぴったりとひっついて、離れないようになるしかないのだ。目薬をさしてください、というのは、書いている立場では言ってはいけないことなのだ。目が乾いてきているけれど、続きを読みたい! と思ってもらえたときにだけ、目薬はさされるものなのだろう。
乾ききったコンタクトレンズにならないために。
うるおいに満ちあふれた文章を提供できるように、ずれたメガネの位置を戻して、私は頑張ろうと、またパソコンに向かうのであった。
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