この人生が、たとえ長い夢だとしても
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記事:渡辺剛(ライティング・ゼミ)
「夢じゃないよね?」
私は、この言葉を聞いた時、背筋にゾクッと悪寒が走り、なにか鈍器で頭をガツンと殴られたかのような衝撃を受け、2〜3秒、固まってしまった。
どこかで聞いたことのある言葉だった。
かなり前……
そうだ、あの時だ……
私がまだ9歳くらいだった頃、私は不慮の事故に逢い、重症を負った。
詳しい事故状況の説明は避けるが、まだ幼かった小学生の体に、一時は重さ2トンもの荷重がかかったという。私は、左胸のあたりでその荷重を受けるような格好になり、肺が圧迫され、左側の肺がぺしゃんこになったらしい。そして左の鎖骨を骨折し、顔の骨にはヒビが入った。
周りに居合わせた大人の人たちが、私を助け出そうとしてくれたそうだが、その数人の人たちはその荷重を支えきれずに、手首や腕を複雑骨折したらしい。
あとで聞いた話だが、私は意識も無く、ぐったりしていて、外傷から出血もあったため着ていた服も血で染まり、それはそれは痛々しい現場だったとのことだ。一命をとりとめたのは、奇跡的だと、周りの人たちに言われた。
私は、事故の瞬間のことはまったく覚えていない。直後から意識不明になっていたのだ。
その後、救急車が到着した。その頃には、近くにいた父親が現場に到着していた。
その辺りで、とある記憶だけが残っている。
父親や、救急隊員の方々が、必死に私に声をかけている。そして、救急車に乗せられる直前、私が言葉を発した。
「夢じゃないよね……」
父親の顔がぼんやり見えた。父親が叫ぶ。
「夢じゃない! 大丈夫だ。しっかりしろ!」
この会話の部分だけの記憶。
そして、次に目が覚めた時は、病院のベットの上だった。
ほぼ丸一日、意識不明だったらしい。
意識が戻った時、夜だったのか、薄暗い病室で身体中に何本もチューブが通され、何かの医療機器やら、点滴やら、いろんなものと繋がっていたのをうっすらと覚えている。
はじめは、何が起きたのかを理解できなかったが、体の痛みと、事故直後、救急車に乗せられる前に父親に聞いた「夢じゃないよね……」の言葉の記憶を思い出したことによって、事故にあったことをしだいに理解していった。
事故から2ヶ月ほどで退院し、小学生の子どもという若さの力もあったのか、奇跡的なスピードで回復し、1年くらいで、ほぼ元どおりの生活に戻ることができた。
けれど、それから幾度となく考えたことがある。
本当に、目が覚めてるのかなってこと。
実は目覚めてなくて、まだ意識不明の状態が長年続いているんじゃないかって。
目が覚めてからの、今現在に至るまでのここまでの人生は、長い長い夢を見ていたんじゃないかって。
それでいつか、何かのきっかけで目が覚めたら、病院のベットの上なんじゃないかって。
目が覚めたら、いつの時点なんだろう。事故当時の9歳か。はたまた、自分は何年も意識不明の植物状態で、目覚めたら今と同じ、35歳だったりして。そうなると、これまでの仕事や、遊び、結婚、家族、色々あったけど、思えば楽しい夢だったな…… 目覚めた後の現実の世界では、妻とは出会えないのかな。そうすれば、子どもたちも、産まれてこないことになるのだろうか。
こういうことを考えると、いったい何が現実なのかわからなくなる。私は、これを考え出すと止まらなくなることが、事故から25年以上経った今でも、あるのだ。
中国に【胡蝶の夢】ということわざがある。これが夢なのか、あれが夢だったのか、といった、現実と夢の世界の区別がつかないことを喩えた言葉らしいが、この状況がまさにこれだ。
「ねえ、パパ」
ふと、我に帰る。冒頭の、私が固まることになった言葉の主は、6歳の娘だった。
その日は、子どもたちと動物園と遊園地が併設された施設に行って、一日中遊んだのだ。
娘は心底楽しんでくれたようで、夜、一緒にお風呂に入っている時にこんな会話をしたのだ。
「ああ! きょうはたのしかったあ!」
「よかったね。じゃあまた、行こう」
「うん! ねえねえパパ……」
「んー?」
「ゆめじゃないよね?」
この娘の言葉に、私は衝撃を受け、しばしの沈黙の後、娘に言葉を返した。
「う、うん、夢じゃないよ」
「ゆめでもいいよ。たのしかったから」
……!
これを聞いた瞬間、なにか霞んでみえた視界が広がったような感じがした。
夢でもいい、楽しかったから。
娘の言葉は、今の私にとって、乾いたスポンジが水を吸収するかのごとく、すうっと入ってきた。まさにそれは、私を眠りから覚ます魔法のようだった。
たしかにその通りだ。たとえ、この人生が、長い夢でもいいじゃないか。私はこうして生きて、家族や友達と、共に笑い、怒り、悲しみ、泣き、様々な経験をしている。夢だとしたらなんて濃い夢なんだ。なんてドラマティックな夢なんだ。
あ、そうそう。あとで知ったのだが、先ほどの中国のことわざ【胡蝶の夢】には、もうひとつの、こんな意味がこめられているらしい。
『どちらが真の世界であるかはどうでもよい。主体としての自分に変わりはないのだから、それぞれの場で満足して生きればよい』
あの事故で奇跡的に一命をとりとめて、ありがたいことに後遺症もなく、いまこうして元気に生きている。
だから、今を、精一杯楽しもう。いろんなことに挑戦しよう。
この人生が、たとえ長い夢だとしても、もうどうでもいい。
今を、生きているのが自分であることに、変わりはないのだから。
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