あいせきのふたり
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:なかおかともみ(ライティング・ゼミ)
「相席でお願いします」
示された席には、静かにカレーを食べる、妙齢の女性が一人。
軽く会釈して、向かいの席に座った。
カレー店が点在する神保町でも老舗の、スマトラカレー共栄堂。
混雑時は相席になると、レビューに書かれている通りだった。
今日は土曜日。
まだかろうじて空席はあるものの、時計の針は真上を指している。
向かいの女性のカレーは、半分くらいの進み具合。
チキン入りのルーを、ひとさじづつすくってはかけ、すくってはかけて、丁寧に食べている。
向かいに人が座ったなんて、気づいてもいないような振る舞いに、話しかけることもできず、手持ち無沙汰に周囲を眺める。
そんな思いのせいか、みんな互いに目を合わせず、黙々とスプーンを口に運んでいるように見える。
「ポークカレーです」
戸惑いを断ち切るように、オーダー間もなく、カレーが運ばれてきた。
銀のソースポットになみなみと、黒いカレーがたゆたっている。
ライスの真ん中をへこませて、ざっと勢いよく、カレーを海にする。
向かいの上品に口もとを拭う女性の姿を目の端にとらえながら、カレーをすくう。
その黒いスープとスパイス感に、ふと、心がタイムスリップした。
「このポークカレー、おいしいね!」
「うん、おいしいね」
向かいに座る彼と、微笑みあう。
米々亭は、旭川ではまだ珍しかった黒っぽいスパイスカレーが売り。
黄色いバーモントカレーしか知らなかった90年代初頭の高校生は、ちょっぴり興奮気味だった。
なんといっても、付き合って間もない彼との、休日デート。
何を見ても、何を聞いても楽しくて、おしゃべりは尽きない。
ふと店内を見渡すと、黙々とカレーを食べる人、会話なく雑誌をめくる二人連れ。
こんなに話し続けているのは私たちくらい。
それにしても……と、不思議な気持ちで耳打ちする。
「カップルで来て、会話がないって信じられない。何のために、一緒にいるのかな……。倦怠期ってやつ?」
本当だね、と、彼はやさしく微笑む。
「相席お願いします」
少し前に空いた向かいの席に、若い女性が座った。
ちょっと所在なげにもぞもぞとし、文庫本を読み始める。
わたしの前のカレーの海は、ちょうど半分くらい。
食べ方のバランスが悪い。このままいくと、ライスが残っちゃう。
ルーの入っていた器をさらって、ひとさじ分、投入する。
食べるバランスを、軌道修正する。
「会話もないなんてかわいそう、くらいに、高校生の頃は思ってた」
「そうなんだ」
漫画から目を上げて、夫が口元を結ぶ。
初めて黒いカレーを食べてから10年近く経ったある日のことだ。
週一ペースで通う、アジアンカレー寝釈迦。
黒いとろみのあるカレー、ハロハロをオーダーするや否や、本棚に向かう自分に気が付いて、ふとおかしくなった。
結婚前は、おいてある本には目もくれずに喋りまくってた私たち。
結婚して2年ほど経った今は、目も合わせずにそれぞれの世界に没頭している。
「あの頃は、寸暇も惜しんで話をしてたよね。それが当たり前だと思っていたし、会話がないってことが不思議だったんだ。
でも……」
「でも……?」
でも今は、わかっている。
高校生の頃に付き合っていた彼や、結婚前の夫との時間。
会える時間が限られている彼らとの時間は特別だったけど、一緒にいることが日常になった今、その時間はもう、特別じゃなくなってしまった、ということが。
高校生の頃に「かわいそう」と思っていたあの人たち。
あの人たちはきっと、すでに「特別」の時間を通り過ぎた人たちだったのだ。
ちょっとした哀惜を感じながら、そんな話をした。
「そうなんだ」
夫は、もう一度頷いた。
「お先に失礼します」
迷った末に、そんな言葉が口をついて出た。
何とかバランスを保ちつつ食べ終えたポークカレーの皿を後に、席を立つ。
店の外に出て、やっとひとりになった気持ちに、ほっとする。
ふうっっと大きく、深呼吸をした。
北海道を離れた時に別れた彼とは、帰省するたびにご飯を食べる。
親しみをもって時を過ごし、家まで送ってもらって、別れる。
まるで、結婚前のような付き合い。
今は、そんな距離が心地よい。
そして時々、愛惜を情をもって彼のことを思い出す。
人生は、相席の連続かもしれない、と、ふと思う。
たまたま相席をした二人。
意気投合して、しゃべり倒したり、無言で自分のやりたいことを黙々とやり続けたり。
どちらかが先に席を立つかもしれない。
そのあとに座った別の人と、意気投合するかもしれない。
そんな、起伏があることを知ったからこそ、過ごす時間の特別を愛おしむことも、一緒にいながら自分の世界に没頭することも、どちらも楽しむことができるようになったんだ。
誰と相席するのかは、偶然の連続のたまもの。
相席を楽しもう。用が済んだら、潔く席を立とう。
そして、今の自分を楽しもう。
そんなことをひとり思いながら、神保町の町を歩く昼下がり。
吹く風は、すっかり春の匂いにかわっていた。
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