愛してるよ。6209回フラれても。《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:安達美和(プロフェッショナル・ゼミ)
「君って、想いがダダ漏れだよね」
そう言われて、自覚があったものの思わずカッと頬が熱くなった。何せ、その言葉は、わたしの想い人本人の口から発せられたのだから。彼は続けた。
「言葉だけじゃなくて全身で『好き』って言うから、すごく伝わってくるんだよね」
言われてみれば、確かにそうだ。誰かに好意を示す時も、誉め言葉を伝える時も、わたしはいつも言葉の他に「渡すもの」を意識している。熱を、想いを、確実に手渡そうと明確に意図を持っている。
いや、しかし、思った以上にそれが成功していたと分かって、一瞬しどろもどろに成ってしまった。そして同時に、6年前に姉の友人から言われた言葉をふと思い出した。
「美和ちゃんて、本当に心の壁が厚いね」
その言葉は面と向かって言われたわけではなくて、食事会が終わった後、姉がこっそりと教えてくれたのだったが、まあ、ちょっとショックだった。でも、自分でも少なからず納得できてしまったので、その時は怒る気になれなかった。
心の壁が厚いと言われたわたしが、想いがダダ漏れと言われるようになった経緯を考えると、ひとりの人物のことが浮かんでくる。
当時、わたしはその人物に、合計で6209回フラれた挙句、奇跡的に両想いになれた。自分で書いておきながら、本当に奇跡だったと思う。だってフラれた回数もさることながら、その告白方法が最低だったので。
わたしは17年も叫び続けた。
わたしはあんたのこと死ぬほど大っ嫌いだけど、あんたはわたしを死ぬほど愛してよ!
ああ、本当に、あんな告白、目も当てられない。
***
あの時、たしか姉は十歳だったから、わたしは七歳ということになる。ちょうど小学校に入る年だったと思う。生まれてからたった七年で、人生において自分がたどるだろう運命や決して手に入らないものを思い知ることは、良いことだったんだろうか。もう少し、ぼんやり生きていたかった気もするけど。
祖父の家へ遊びに来ていた祖父の友人が、わたし達姉妹にお小遣いをあげようと折り畳んだ千円札をティッシュにくるんでいた時だった。彼はまず姉に、はい、とその包みを渡した。べっぴんさんだね、の言葉と一緒に。つづいて、わたしにも同じような包みをくれたが、添えられた言葉は姉のものとかなり違った。彼はこう言ったのだ。
頑張りなさいね、と。
頑張りなさい。一体、何をだろう。すぐには理解できなかった。でも、そんなことよりも彼がどうやら姉と同額のお小遣いをくれたらしいことが嬉しかった。わたしはニコニコしてぺこっと頭を下げた。
はい、頑張ります、と。
祖父の友人が帰った後、祖母がわたしに妙に優しかった。姉は整った顔をほころばせてじっとわたしを見ていた。なぜか、少しぞっとした。どうして胸のあたりがザラザラと嫌な感じがするのか、分からなかった。
その数年後だ。あの時、祖父の友人が、頑張りなさいと言った理由が分かったのは。
目の前で、ネガとポジが、ぐるりと反転するのが分かった。ああ、なんだ、つまりわたしは、何も分かっちゃいなかったのか。そして同時に、今まで信じていた両親に疑いの目を向けていたのは、間違いではなかったと確信してしまった。
両親の教育方針は「個性的であれ」というものだった。少なくとも、わたしはそう受け留めていた。だから、わたしがクラスで孤立しようが、みんなと同じ意見を言えなかろうが、一向に彼らは気にしなかった。それどころか、そうやって集団から浮きまくっている自分の娘を見て、いいぞいいぞ、と応援してくれていた節さえあった。好きなだけ浮くが良い! と。
父は、当時、姉よりもわたしの容姿をことさらに誉めた。それは誇らしい反面、胸にはなぜか消せない疑念があった。父の言うことは本当だろうか? 本当に、わたしは姉よりも美しいのだろうか?
じゃあなぜ、姉は学校であんなに人気者なのだろう。いつも友人に囲まれ、先生に下の名前で呼ばれ、男子が憧れの目を向けているのだろう。一方で、なぜ美しいはずのわたしは、給食のグループで仲間外れにされ、先生にゲンコツをもらうのだろう。まあ、本当に安達さんの妹ちゃんなの? とじろじろ顔を見られるのだろう。美しくないはずの姉は花のように扱われ、美しいはずのわたしは顔面に苔が生えても仕方ないほど暗い性格をしているのだろう。
ああ、なんだ。簡単なことじゃないか。
とどのつまり、世間的に美しいのは姉で、わたしじゃないのだ。
そうか、わたしはブスだったのか。
その後はなんとも悲惨だった。両親の誉め言葉を素直に受け取れなくなり、何かひとつ自分の良いところを言われても、即座にこころの中でそれを打ち消すように仕向けた。両親はこう言ってくれているが、騙されてはいけない。世間へ出たら、こんなものは価値にはならない。両親に大事にされればされるほど、胸の内で自分を痛めつけるのに余念がなかった。いざ世の中へ出た時に受けるだろう傷を、少しでも浅くしておくために。
端から見ると、もったいない上にバカなことをしていると思われただろう。今ならわたしもそう思う。だけど、その時はこの方法でしか自分を守れないと頑なに信じていた。始めから自分がダメな人間と自覚していれば、いよいよ他人にそのことを指摘されたとしても、なんとか持ちこたえられる。踏ん張れるはずだ。
知ってるし。あんたに言われる前に、わたし自分がダメだってこと、ちゃんと分かってるし。
いつか世間から下されるだろう、「お前はダメ人間だ宣言」に打ち勝つため、毎日自主的に自分を罵倒し続けた。
それでもたった一度だけ、そんな自分を我ながらかわいそうと思ったのか、母親にこう漏らしたことがある。14歳だった。
母の運転するフォルクスワーゲンの助手席に座り、わたしは病院までインフルエンザの予防注射を受けに行くところだった。
前後のことは忘れてしまったが、あの時、どうしようもなく切羽詰まって、ハンドルを握る母にこう話しかけた。
「お母さん」
「ん? なに」
「わたしはね、ちょっと怠け者だけど……」
「うん」
わたしは思い切って言ってみた。
「怠け者だけど、本当は良い奴なんだよ」
母は、ケラケラッと笑った。
そうだね、美和は良い奴だと思うよ。
面白いことを言う娘だと、母は単純にそう思ったのかもしれない。
高校生になり、演劇という打ち込める大事なものに出会いながらも、こころの中で自分を罵倒する声が止むことはなかった。わたしの中に住んでいる小さなわたしは、どうしてそんなことが言えるんだろうと涙ぐんでしまうほど、辛辣な言葉を投げるのだった。そうしていたらいつの間にか、自分の中に小さな願望が芽生えていた。悲しい願望が。
「志望大学って、もう決まったの?」
高校三年生になり、口を開けば進路選択の話題ばかりの初夏頃だった。すぐ後ろの席の友人にそう話しかけられ、わたしは用意していた言葉を並べた。
「演劇やりたいから、早稲田を目指すよ」
「えー、良いね! そうか〜、やはりか〜」
「せっかくだから、精一杯やりたいし」
「ちゃんとしてるな〜、良いな〜」
嘘だった。
演劇は好きだったが、もうこの頃には予感していた。きっと、高校を出たら舞台はやらない。わたしにそんな才能があるわけがない。
本当に望んでいることは、別にあった。
「それにしても、我々ももうすぐ十代じゃなくなりますなぁ」
「ですなぁ」
「あだっちゃんは、どんな大人になるんだろうね」
「なんすかね、変な大人になると思うよ」
「自分で言っちゃうんだ」
友人が楽しそうに身体を揺らして笑った。可愛かった。わたしもつられて笑った。
よく言うよ、「変な大人」になるなんて。そんな気、みじんもないくせに。そもそも、大人になる気なんて、ないくせに。
わたしは、運だけは良かったようで、志望大学に無事合格した。嬉しいことは嬉しかったが、高校三年生の進路選択の際に抱いてしまった悲しい願望は、消えるどころかますます存在感を増していた。
後年、わたしの父方の祖父が亡くなった際、彼が付けていた日々の日記を見せてもらったことがある。そこの中のあるページに、わたしに関する記述があった。自分の血筋から早稲田へ入った孫が出るなんて、なんて嬉しいことだろうと、要約するとそんなことが書いてあった。その時初めて、こころの底からあの合格を喜べた。合格発表の日から、9年も経っていた。
演劇をやりたいからといって入学した大学だったが、結局やらなかった。何本か関わった舞台はあったものの、「演劇をやりたかった人間」の活動としては圧倒的に少なかったと思う。それでも、なんとか気持ちを奮い立たせて、大学四年生で自分の劇団を立ち上げた。それも、2年で活動休止にしてしまったが。
劇団を解散した23歳の時、あの願望がピークに達していた。我ながら、悲しい願いだった。そして、決して叶わない願い。
わたしは、「ふんわりいなくなりたかった」のだ。初めから自分などいなかったかのように。煙が空気に溶けるように。
今までの人生の痕跡を、すべて消すことはできないかと、アルバムを開いてはよく思った。無理だと分かっていたが。それに、もし本当にわたしがいなくなったら、家族が悲しむ。それだけはできない。
そうこうしているうちに、27歳になった。
当時のわたしの頭の中は、相も変わらず自己否定の嵐だった。
わたしの人生はこんなんじゃない。こんなクソみたいな毎日がわたしの人生のはずがない。あんな良い家庭に育ったのだから、素晴らしい両親に育ててもらったのだから。何かが間違ってる。わたしは何かが、おそらくはきっと全部が、間違ってる。
そして、恋人との別れをきっかけに、一度完全に壊れた。
体重が面白いように減った。肉付きの良さが自分の特徴だったはずなのに、ふと気づくと腰骨がとがるようになってきた。その部分がベルトに常に当たるものだから、いつもそこだけうっすら赤い。あれほど痩せたかったはずなのに、さっぱり嬉しくなかった。
ちょうどその頃だった。もう、わたしのこころが、わたし自身の罵倒に疲弊しきって、いよいよダメになりそうだった時。この言葉に出会った。
今のままの自分に、自分で愛してると言ってあげる。
げえ、と思った。なんだその気持ち悪い考え方は。そんなことできたら苦労はしないのだ。
その時も、仕事がうまくいかず、そのことを他人のせいにしている自分にも腹が立ち、結局いつものように自分を責めていた。ネットで知り合いのブログを順々に読んでいる中にその言葉を見つけた時、比喩ではなく目がまんまるくなってしまった。
そもそも、こんなダメ人間の自分は愛されるわけがない。醜くて、馬鹿で、怠け者で、無気力で、受けた恩もまともに返せない人間なのだ。だから必死に世間のお役に立てる真人間になろうと頑張ってるのに。真人間になれたその時に、初めて自分は愛してもらう資格を持てるのだ。
現状を否定しなければ、成長なんてできない。そう信じているわたしが、何も結実していないのに「愛してる」なんて。言えるわけがない。言えるわけが。
「愛してる」
声が聞こえてハッとした。今のはわたしだったろうか。
思わず口を押さえた。喉が、ぐうと鳴った。心臓がばっくんと跳ねた。また声が漏れた。
「愛してる」
この人、愛してる、って言ってる。
「愛してる」
また言ってる。
「愛してる」
……なんでそんなこと言ってくれるのかしら。
「愛してる」
こんなにクソバカ虫なわたしに。
「愛してる」
愛してるって、言ってる。
わたし今、自分に愛してるって言ってる。
自分に愛してるって、言ってもらってる。
もうダメだった。自分をこころの中でいじめ出してから17年、6209日が経っていた。世間的にはもう立派な大人と言われる年齢の27歳であるわたしは、喉がちぎれるほど泣いた。必死で自分の頭をなでくり回して。フローリングの床に、涙だか鼻水だかよだれだかが、びたびたと落ちた。ひとり暮らしを始めていて良かったな、と思った。
死んでしまいそうに嬉しかった。今までの誰にもらった言葉よりも。わたし、あなたにずっと好かれたかったの。そう思った。
鏡に映った顔がチラと見えて、それがとんでもなくブスだったが、でも別に良かった。ずっと愛して欲しいと思っていた人物と、いま両想いになれたんだから。
それまで、自分を好きとはばかることなく言える人間を、鼻で笑ってきた。何をそんなのうのうと。よく言えるな、恥ずかしい。そう思ってきた。そのくせ、そういう人物に出会うと目が離せなくて、ジリジリと穴が空くほど見つめてしまう癖があった。その相手は、美人なこともあれば、そうでないこともあったが、相手の容姿がどんなものであれ、本当はうらやましくて仕方なかった。わたしだって、自分に好かれたいのにと思っていた。
自分に愛されることが、こんなにあたたかくて気持ち良いものだったなんて、知らなかったんだ。
その日を境に、わたしの頭の中の罵声は少しずつ小さくなっていき、ふと気付いた時にはとても静かになっていた。その代わり、こころにぷかっと浮かぶ感情を、敏感にキャッチできるようになっていった。今まではこころの声がうるさくて、自分の感情がよく分からないことが多かったのだ。
なんだか楽しい。
すこし、つらい。
とても気分が良い。
あの人が好き。
そんなことを、ちゃんと感じられるようになった。そして、いつの間にか、それを素直に言葉と身体で表現できる人間に変わっていった。好きな人に、君って、想いがダダ漏れだよねと言われるくらいに。
気付いて良かった。結局、17年もの間フラれ続けてしまったが、あきらめてしまわなくて良かった。わたしは今、ありがたいことに幸せだ。最愛の自分に、愛してもらっている。
愛してるよ。
わたしも愛してるよ。
素直にそう言える日々は素晴らしい。
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