プロフェッショナル・ゼミ

【地味なダメ人間】という欠点が「強み」になる時~日常をコンテンツに変え生きていく方法《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》

記事:木村 保絵(プロフェッショナル・ゼミ)

「どうすれば木村さんみたいに、日常をコンテンツに変えることができるんですか?」
先週書いた『別れは突然に』という記事がweb天狼院書店に掲載されたところ、何名かにそう聞かれた。

天狼院書店で「読まれる文章を書くコツ」を学び始め、もうすぐ1年。
書くことのプロを本気で目指す人達が集まる「プロフェッショナル・ゼミ」を受講して半年になる。
わたしは創作やフィクションを書くことが苦手なため、ひたすら自分の周囲で起こった日常のあれこれを綴ってきた。有り難いことに、書き続けるうちに掲載される記事も増え「あ、あの記事の木村さんですか?」と初対面の人に話しかけてもらえる機会にも恵まれた。
それはわたしの人生の中でも、とても不思議で嬉しい経験になった。
自分の書いた文章が、家族や知り合いに「面白い」と言ってもらえることももちろん嬉しいが、まだ出会ったことのない人が「面白い」と思ってくれるなんて、そんなことがわたしの人生で起こるなんて想像もしていなかったからだ。ましてやわたしの記事には目立った特徴も華やかさもない。ただ日々起こっていること、見たこと聞いたことから考えたことを、記事にしているだけだ。
そんな地味な記事を楽しんでもらえることは不思議だったけれど、自分自身を受け入れてもらえたようで、なんだか嬉しかった。

「木村さんの書く記事って、正直素材は日常のどうでもいいことじゃないですか」
痛いところを突いてくるのは、プロフェッショナルゼミでも毎度超絶面白い記事を更新し、何度もバズを起こしている同い年の彼女だ。

「おっさんがプリン食ってるとか、道にみかんが落ちていたとか、まじどうでもいいじゃないですか」
えぇ、えぇ、仰る通りでございます。一切否定はできません。
わたしの戸惑いに構うことなく、彼女は「だけど」と続ける。
「どうでもいいことなのに、なんか読んじゃうんですよね。面白いんですよ」
はぁ。
わたしは驚いた。いつ小説家としてデビューしてもおかしくないような人が、なんの特徴もない地味な人間が書くものを面白いと思うなんて。

それに、そう聞いてくれたのは彼女だけじゃなかった。
「これ売ってる本より面白いんじゃない?!」と思ってしまうほど、鳥肌の立つような面白い文章を書く人達にも聞かれたのだ。
「どうしたら、そんな風に日常をコンテンツにできるんですか?」
正直驚いたし、わたしなんかが彼らに教えられることなんて、あるわけがない。そもそもみんなだって日常を素材にめちゃくちゃ面白い記事を書いて、web天狼院書店に掲載されて、わたしより多くの閲覧数を稼いでいるじゃないか。

ただ、それでも、とも思う。
これは、もしかしたらわたしに与えられた課題なのかもしれない。
あれだけ才能溢れる人達に聞かれたんだから、これを解明することがわたしの使命なんじゃないだろうか!
そう調子に乗って一度は意気込んではみたものの、正直答えはわかっている。
「日常をコンテンツにできる方法」なんて、所詮わたしにはわからない。
プロのライターでも、クリエイティブな仕事をしているわけでもないただの素人の事務系OLのわたしに、そんな答えがわかるわけがない。
むしろそんな方法があるのなら、わたしが学びたい。
その方法さえ知っていれば、こんなにも毎回ネタ探しにウンウン唸ることもないし、頭をひねらして体力を消耗することもないし、提出する勇気が出なくてハラハラひやひやすることもなくなるじゃないか。

ただ、「なぜ日常の何気ないことをコンテンツにするのか」と聞かれれば、その答えは一つしかない。
わたしには、それしかないからだ。
32歳独身、地方出身東京在住、中小企業の事務系OL。
趣味に大きくお金を使う余裕も無い。
週末を埋めてくれる恋人もいなければ、数少ない友人も子育ての真っ最中。
家族は地方で暮らし、会えるのは年に2~3回。
行きつけの店でも作ろうかと思うが、財布にはそんな余裕もない。
たまに会う友人と気兼ねなく楽しむためには、一人の時間で節約するしかない。
そうすると結局、週の殆どは家と会社の往復。思いっきり笑ったり、ハッとさせられるような誰かとの会話も週に数回あるかどうか。残りの時間は本を読んだり映画を観て感動したり、テレビを見て笑う。そんな生活が日常だ。
何か特別なことを書きたくても、書ける素材がない。
「ならば創作を」という人もいるが、残念ながらわたしにはそれも向いていない。
書ける力がないということもあるが、そもそも書きたいものがない。何も浮かばないのだ。
だとしたら。
そんな何もない地味な人間が何かを書こうとするならば、日常をどうにかこうにか書くしか方法は残されていない。
何気ない、どうでもいいくだらないはずの毎日を必死に磨き上げ、コンテンツに作り上げるしか、わたしには道がないのだ。

それでも、この「特別なことが何もない」という特性が、もしかしたら日常を書くことに向いているのではないのだろうか。特に「地味なダメ人間」というどうしようもないように思えるこの欠点が、良かったのかもしれないと思っている。
なぜなら、これが「派手なダメ人間」では書くものが変わってくるからだ。
「派手なダメ人間」の場合には、お酒やギャンブルに溺れたり、激しい恋愛を繰り返したり、借金に追われたりと、色々ドラマティックな出来事が起こる。
そもそも彼ら自身が何も書かなくとも、誰かが書いてくれたり、そこから這い上がればスターになったり、映画化されたりと人生が転換されていく。芸能人や有名人にもそういう人が多い。ただ生きているだけでその存在自体がコンテンツになるのだ。彼らにとっては日常であっても、読み手にとっては非日常の世界が描かれていることになる。
そんな彼らに「どうすれば日常をコンテンツにできるか」と聞いてもなかなか望む答えは返ってこないだろう。同じような日常を過ごすことは難しいからだ。

ではなぜ「地味なダメ人間」は日常を書くことに向いているのか。
わたしの特徴を、少し考えてみる。
・飽きっぽい
・勝てない試合は戦わない
・初めてのことが上手くできない
・人の話を聞かない
・笑いのレベルが小学生と一緒
・しつこい
・計画を立てられない
・すぐ忘れる
・短気
・「物事の本質」という意味がわからない。

……自分で提案しておきながら、悲しくなってきたので、この辺でやめてもいいでしょうか。
こういう人が社会に出た場合にどうなるかと言えば、周囲になじめず、自分に自信が持てなくなる。結果、面接や営業など初対面の人との会話が苦手で、「どうせわたしは」と色々なことを諦める。
「地味」だから周囲に「ダメっぷり」を気付かれることもなく、甘えることもできない。
ドラマティックに世の中からはみ出すこともできず、決められた枠の中でひっそりともがく。
「わたしは一人でも大丈夫。むしろ自由で楽しい」と殻をかぶり、次第に内にこもっていく。
だけど、人といることが嫌いじゃない。誰かと心が通じ合う楽しさや喜びも知っている。
だからこそ、本当は殻を破り素の自分で付き合いたいと願っているが、どうにもこうにもうまくできない。不幸でもなく満たされてもいない。そんな毎日を送ることになる。

それでも、そんな日々を30年以上も繰り返していけば、自然と失敗談とその乗り越えた経験が積み重ねられていく。こんな失敗をしたら次はこうする。こうなって悲しくなったら気持ちをこっちに持っていく。そんな生き方のコツみたいなものが、少しずつ自分の中で積み重ねられていく。

すると、書くためのエピソードが生まれていることに気付く。
ダメじゃない人達は、言われれば「そうですね」で終わってしまうことも、わたしはそうはいかない。
言われてもわからなくて失敗をして、痛い思いをして、そこから考えた経験が、エピソードとしてたまっていく。
そしてその経験は、他の素材にも活かすことができる。
「あの失敗をしてこんな学びがあったから、この話はこう書こう」と過去の失敗を役立てる時が来るのだ。
それに失敗をして前に進んだ経験があるからこそ、日常の小さなこと、くだらないことにも「意味」を持たせることが得意になってくるのである。ちょっとしたことにも感謝し、何気ないことからも学びを得る。だからこそ、失敗を繰り返しながらも自分なりに答えを見つけてきた「地味なダメ人間」は、日常の小さなことを描くことに向いているのだと思う。はみ出しすぎず、ちょっとだけずれているその欠点が、書く時には強みになるのだ。

では具体的に、日常に起こったどんなことを「ネタ」として拾い上げていくのか。
わたしの場合は、「書籍を実践」作戦と「もしもお笑い芸人だったら」作戦の二つを使っている。
まず一つ目の「書籍を実践」作戦は、その名の通り、本に書いていることを実践してみるという何のひねりもないシンプルな作戦だ。使う書籍は二冊。近藤麻理恵『人生がときめく片付けの魔法』と浅田すぐる『トヨタで学んだ「紙1枚!」にまとめる技術』だ。
近藤麻理恵さんこと片付けコンサルタントのこんまりさんと言えば、いまやTIME誌の「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれる程、世界中にその名を知らしめている。
彼女の片付け方法の考え方はとてもシンプルで、家の中にある物を、例えば「服」「本」「台所用品」などとカテゴリー別に全部出してひとまとめにし、その中から「ときめくもの」だけを残し、他は処分するというやり方だ。わたしはネタ探しをする時に、この考え方を真似して使っている。
ゴミ山のように溢れている日常の中のどうでもいいことの中から、ときめくものだけをピックアップし、記事を書くネタとして残していく。
頭の中でうまくいくこともあれば、書き出してみなければわからないこともある。
そこで、書き出すために参考にするのが浅田さんの一冊だ。
2015年に出版された『トヨタで学んだ「紙1枚!」にまとめる技術』は世界5カ国でも翻訳され、累計20万部を超えている。ここには、著者がトヨタ自動車で学んだ「紙1枚」にまとめる技術、それを活かした思考整理方法や、伝わる伝え方が、わかりやすいことばで書かれている。
そして、やり方もシンプルだ。
紙に6本線を引き、16マスを作る。左上には日付とテーマを書き、あとは時間を設定して思いつくことをどんどんマスの中に書き込んでいく。そのテーマをさらに深めようと思えば、また別の1枚に書いていく。その中から「ときめく」ものを選ぶために、○を書いたり矢印を引いたり。
あっという間に、書けそうなネタや書きたいことが浮かび上がってくる。
例えばこの記事を書くために、左上には日付と「日常をコンテンツにする方法」とテーマを書き、あとは「3分」と決めたらその時間内で思いつくことをどんどん書いていく。
「物が壊れた記事」「コツを教えて」「わからない」「とにかく考える」「お笑い」「道端のおじさん」「ときめく」などのように、自分にだけわかることばで書いていく。
そうすると、書いて目に見える形にしたことで、カテゴリーも見えてくる。
「あ、「ときめく」と「お笑い」はネタを出す方法だな」とか「「教えてほしい」と言われたエピソードは前に持ってこよう」とか、なんとなく構成が見えてくる。そうすると「あ、これ記事に書けるかも」と思い、パソコンに向かうことができる。

この「書籍を実践」作戦と同時進行で行なうのが、もう一つの「もしもお笑い芸人だったら」作戦だ。同時にやっていると、どちらかに一つくらいは、何かしらのネタがひっかかってくる。
この「もしもお笑い芸人だったら」作戦も、その名の通りである。「もしも自分がお笑い芸人だったら」と思いながら日常を過ごすのだ。わたしはこどもの頃からお笑いが大好きで、カトちゃんケンちゃん、ウッチャンナンチャン、ボキャブラ天国を観て育ってきた。
「最近のバラエティはくだらないしうるさいだけ」なんて悲しくなる声を耳にすることも増えてしまったが、今のバラエティもわたしにとっても貴重な笑いと学びの時間だ。
特に大物有名人よりも売れない芸人が出る番組、ひな壇芸人がワーワーギャーギャー騒いでいるトーク番組は参考になることが多い。それは恐らく、世の中をお笑い番組だと考えると、わたしは明らかに「売れない芸人」か「ひな壇で爪痕を残さなければ後がない芸人」に括られてしまうからだ。
彼らは人気者に比べて足りない物だらけな状況で、なんとかチャンスをつかもうと必死に闘っている。
ちょっとでも発言の機会があれば、なんとか頭をひねって面白いことを言うのだ。
ほとんどは失敗して滑ってしまうことも多いが、たまには笑いを取れることもある。
そんな様子を観ていると「あ、こう答えると面白いんだ。こんなくだらない素材も笑いに変わるんだ!」というヒントを見つけることができる。売れない芸人がネタにする素材も、ただのOLの日常の素材も、同じように地味で特別感はない。不利な中で闘わなければならない状況は一緒だ。「もしもわたしがあのお笑い芸人だったら」そう考えながらバラエティを見ていると、書くためのヒントが浮かんでくる。

「もしもお笑い芸人だったら」作戦にはもう一つ方法がある。
それはバラエティ番組でよく見る「トークテーマ」や「モノボケ」でネタを探すのだ。
たとえば「最近あった出来事」から「ネギの魅力」「太っていて困ったこと」などバラエティ番組ではありとあらゆるテーマが振られてくる。自分も同じテーマで話せることを考えてみると、時折記事にできそうなネタが見つかることもある。
それでもダメな時は「モノボケ」だ。モノボケは目の前に「バット」や「たわし」「カツラ」「バケツ」などありとあらゆる物が置かれており、それを使って面白いことをやり続けるという、なんともシンプルで残酷な罰ゲームのような企画だ。それを真似して、置いておく物を、最近起こったことに置き換える。
たとえば「満員電車で腹が立った」「仕事中眠かった」「ペンが折れた」などの出来事。
それをどうにかして「笑える」「面白い」「感動する」に変えられないか考えるのだ。
たとえば「満員電車で腹が立った」で「イライラしないようにしよう!」ではつまらない。
「爆破してしまえ!」とか「全裸で乗れば人が避けていく」では周囲がざわついてしまう。
だとしたら、ちょっとププッと笑える程度の解決方法を考えてみる。
「自分が女優のつもりで乗ってみる」「芸人だと思って笑わせてみる」「僧侶のつもりで瞑想する」とちょっと考えを広げていく。そうするとこのどうでもいいはずのことがネタになる可能性が生まれてくる。
そんな風にある物だけで、何度も何度もネタになるまであれこれ考え尽くす。
たとえ魅力的な素材が無いとしても、コンテンツになりうる芽として育てることができるのだ。

そこまできたら、もう文章を書くための材料は揃っている。
あとは「日記」や「つぶやき」ではなく、「コンテンツ」まで精度を高めるだけだ。
それが何より難しいように思えるが、そこは素人のわたしでも簡単に書ける裏技を持っている。
天狼院のライディングゼミで伝授された秘伝のタレと言われる「読まれる文章を書くためのコツ」だ。
「ABCユニット」を組み立て、記事に練り込んでいく。
「サービス」に徹して書けただろうか。「GAP」はどのくらい作れるかな。
「ストーリー」の要素は入れられるだろうか。
素人のわたしが必死に用意した素材に、プロも愛用する秘伝のタレをかけていく。
そうすることでどうでもいいように思えた日常が、お客様にお出しできる美味しい料理に生まれ変わっていき、コンテンツとして読んでもらえることができたのだ。

「どうすれば日常をコンテンツに変えることができますか?」
その答えをわたしなりにじっくり考えてみたが、やっぱりわたしのような地味なダメ人間のやり方がが、果たして才能溢れる人たちの創作活動に役立つのかはわからない。
「全然使えないな」と思われる可能性も否めない。
それでも。
この記事をもし1年前のわたしが読んだら、きっと喜ぶのではないだろうか。
地味でダメなところばかりで、努力すれば「それなり」まではいけるものの、そこを抜け出すことができない。やりたいことはぼんやりあっても、ハッキリ目指したい夢があるわけじゃない。
そんな1年前のわたしが読んだら、もしかしたら自分にも書けるかもしれない、自分の人生も変わるかもしれないと、期待を持つことができるのではないだろうか。
自分のこれまでの失敗が生かされ、大好きなお笑い番組を観ることが役に立ち、自分にしか書けないことを面白いと言ってもらえる。
そんな方法があるとわかったら、喜んで飛びつくはずだ。「これを待っていた! 探していた!」と思うに違いない。
だとしたら、書くことを始めて本当によかったと思う。
「地味なダメ人間」という欠点を強みにできる方法を見つけることができたのだ。
他の人に役に立てなくても、教えるような何かがなくても、それ以上に大きな物だ。
これからも、わたしは何気ないどうでも良い日常に光を当て、コンテンツに作り上げていこう。
どんな才能ある人に囲まれても「どうせわたしなんて」と思わず、地味にコツコツ前に進んでいくのだ。
他の誰でもない過去のわたしが喜び、わたしに生まれてよかった! と思えるために。
プロになった時、誰より喜ばせることが難しく、誰よりも喜ばせたいのは、きっとわたし自身だから。

***

この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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