「インプット100%マン」が「アウトプット30%マン」に変身することで変わった世界の見えかた
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:牛丸ショーヌ(ライティング・ゼミ)
「おぉ、面白いな。小説みたいだな」
小学校5年生のとき、担任だった男性の先生が僕の書いた400字詰原稿用紙7枚ほどの物語をみんなの前で読み終えたときに皆の前でそう言った。
内容は、主人公を含めた4人のグループが異世界を冒険するというファンタジーだったのをぼんやりと覚えている。
そのときは、非常にこそばゆい気持ちになった。
僕が小説まがいの物語を書いたのは、それが最初で最後だった。
昨年、天狼院書店に出会うまでは。
幼いときから、超がつくスポーツ少年だった僕は、母との約束だった小学校3年生までエレクトーン教室に通うことという、今となっては親の単なるエゴじゃないかと思える習い事を終えると、4年生からすぐさま硬式野球のチームに入った。
野球、サッカー、アイスホッケー、ボクシング、ラグビー、マラソン、クラヴ・マガ(護身術)にキックボクシング。
それから中年と呼ばれる年齢が近づいた今でも、肉体を駆使することへの熱量は変わることはない。
そんな僕がなぜ、文章を書くようになったのか。
スポーツしか知らなかった僕のような筋肉人間が「読書」の楽しみを知ったのは高校生になってからだった。
「休憩時間に本を読む人」は「根暗な人」という浅はかな先入観を持って育ってきた僕が初めて、陸上部にいた本好きの友人に出会うことになる。
運動部に入っているのに、こんなに本が好きな人がいるんだ。
当時の率直な感想だ。
そんな僕は、夏の暑い日のサッカーをやるのが空しくなり、早々に退部して「映画」の世界に入り込むことになる。
入り込むといっても、やっていたことは専らただ観るだけである。
本(漫画含む)と映画、そして音楽。
この3つが、今後の僕という人間を形創る3種の神器になった。
口下手だし、人と会話するのが苦手。
友達に話題を合わせるのも面倒くさい。
高校生らしいノリにもついていけず。
兄が2人いたこともあり、同級生たちが子供っぽく見える。
まるで、今どきの人間関係に悩む女子高生のような繊細さを持って高校生活を過ごした。
もちろん、友達もほぼいなかった。
昼休みになると、寝るか図書館に逃げ込む。
それが日課となる。
「あ、あの人って友達いないんだね」と周りから思われるのが恥ずかしくて、人目を避けるようになった。
こんな自分がこれから社会に出てやっていけるわけない。
本を読むことの楽しさにハマっていたのもあるが、どちらかというと「職業作家」になれば、会社組織で煩わしい人間関係に悩まない、という後ろ向きな理由が大きかったように思う。
その頃から、「作家を目指してます」と親しくなった人にはっきりと言うようになった。
誰かに宣言することにより、自分を追い込むという安直な自己暗示もあるが、どちらかというと「作家を目指している」という姿勢自体が「何だかカッコいい」と思っていた節がある。
書かなきゃなぁ。
まぁ、焦る必要はない。
30歳になろうが、40歳になろうが別に構わない。
何となく自分で「言い訳」を考えていた。
小説の「ネタ」もいくつか考えて、ノートにメモしたこともあった。
書くなら純文学だな。
デビューするならこの新人賞を受賞してかなぁ。
頭の中の妄想だけはどんどんと広がった。
そうこうしているうちに、気がつくと20年が経過していた。
2016年4月。
たまたま、ネット検索で「小説家講座」を探しているうちに天狼院のページにたどり着いた。
内容を読んで「これだ!」と確信した。
ガイダンスに参加したときにはもう受講することを決めていた。
6月から小説家養成ゼミに通い、梗概という小説の「あらすじ」を書いて提出するようになり、文章修行として10月からはライティング・ゼミに参加して今に至る。
今日まで、1日数行程度の日記を大学生のときから書いてきたが、それは出来事を書き連ねた程度の雑記で、とても文章といえたものではない。
本格的に「書く」行為を始めたのは、昨年の6月から。
小説家になりたいなどと、夢想するようになって実に21年目だった。
長かった……。
これまで、僕は一体、何をしていたか?
今、考えればひたすらインプットしていたのだろう。
いつか来るべき小説を書くときを想定して、ひたすら「感性」を磨くべく3種の神器をフル活用する。
小説、自己啓発、ビジネス書。
世の中にある本という本をジャンル問わず読み漁った。
一時期、漫画から離れていた時期もあるが、漫画界に復帰してからは(ただし読者として)面白いと評されている漫画の8割は読み尽くしただろう。
音楽も邦楽、洋楽、クラシック問わず、「音」を発してCD音源になっているものはこちらもジャンル問わず何でも聴いた。
一切、楽器ができないが、ヘビーリスナーであり続けたいという想いがあったため、アルバムのジャケ買い(主に洋楽)、新人の青田買いもした。
映画は面白さに目覚めた16歳のときから、年間の視聴本数120をノルマ化したが、ここ数年の平均は150本以上になった。
どれだけインプットすればいいのか?
いや、もはやアウトプットするためのインプットなんて、全く考えていなかった。
ただただ、インプットの波に身を委ね、日々を楽しく面白く過ごしてきた。
あぁ、なんて面白い物語を世の中に考えつく人がいるのか。
こんな映像の映画、今まで観たことない。
素晴らしい音、心に響く声なんだ。
インプットの快楽は麻薬だ。
誰かが創り出した素晴らしき「創作物」を愛でる側でいいのだろうか?
いや、自分は本来、そういう物を「創り出す」側に立ちたかったのではないのか?
天狼院書店のいくつかのイベントに参加し、ゼミにも通い始めて、スタッフや「こころざし」が同じ方々と会話することにより刺激を貰うことが多くなった。
そして、アウトプットすることの「楽しさ」を覚え始めた。
本の感想、漫画の知識、映画の解釈。
SNSやブログで情報を発信することもない。
友人たちと意見交換や、情報の共有をすることなんて今まで一切なかった。
ただ、僕の中に埋もれていた無駄な知識たち。
それは、澱のように記憶の奥底に溜まっている。
「書くこと」によってこれらを解放する。
これが僕にとってのアウトプットだと考える。
何て気持ちのよいものなのだろう。
これは溜まりに溜まった毒素が排出されるデトックス効果に似ていると思う。
「書くこと」によってそのときの「エピソード」がより鮮明に記憶に刻まれている感触だ。
「思い出」を掘り起こし、リニューアルしてもう一度、上から流し込むように。
インプット100%だった僕の生活が、アウトプット30%に変わった。
長い時間、習慣化してきたことを30%でも変えることはそう簡単ではない。
それでも、変えることによって得るものがあったのだ。
今では日常で起こる不運なことでさえ、客観視できる。
そして、その経験を「書く」とき、又は誰かに話すときの言葉(文章)を頭で考えてしまうようにもなった。
今までだったら何でもなかった自分の身に起こる1つ1つの出来事が、アウトプットする習慣に変わってからは、意味をなすようになった。
僕の眼から見える世界がまるで今までと違う色に見えるようになり、僕自身の捉え方も確実に変わってきたように思う。
これは変身だ。
「へーんしん」と言ってヒーローに姿が変わる、アレと同じ。
アレは人間のときではあり得ないような力を発揮するんだっけな。
僕は「インプット100%マン」から「アウトプット30%マン」になったのだ。
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