あなたの春はどこから?
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:ノリ(ライティング・ゼミ)
「あ〜早く花見したい!」
「ほんとだねえ、あと、1カ月くらいかなあ」
「今日、袴の人見た!」
「いいね〜袴、も一回着たい。リクルートスーツの人も多いよね」
「そういえば、就活フェア? 合同説明会? そこでやってたわ」
「今の子は大変だよねえ」
「まだ寒いのにナチュスト、パンプスだし」
「早くあったかくなんないかなあ〜」
「私はあんまりあったかくなくていいや」
「花粉、ひどそうだもんね」
「いいよね、なんで花粉症じゃないの?」
カフェで隣の席の会話を聞いていると、どこでも同じような話をしているなと思う3月。
春めいたイベントも便りも多い。
しかし、東北地方にとって3月はまだ冬の一部である。
私が住むのは雪の少ない地域ではあるけれど、まだ油断はできない。
4月でも雪が降ることがあるから、車のスタッドレスタイヤは脱いでいない。
そんな毎日の中で、春は少しずつ近づいてくる。
春の訪れは、人それぞれ、いろいろなことから感じ取るのだろう。
私の春は「鼻」から、だ。
「匂い」が春を連れてくる。
紅梅や白梅、ジンチョウゲ、花屋さんの店先にあるスイートピー……。
春を彩るいい香りの花はたくさんあるけれど、私にとっての春の匂いは、土の匂いだ。
毎年この時季に漂う、土の匂いがある。
それまでかたく閉ざされた冬の空気の中に、ゆるんだ土が香る。
土の中の虫が起きて動き出しているような、動物たちが冬眠を終えて穴から顔を出すような、植物たちが春に向けて土の中で成長を始めたような、土がうごめく匂い。
普段はほとんど忘れているが、かげば、ハッと思い出す。
土に匂いがある。
そのことを教えてくれたのは、東京でのことだった。
大学卒業後、田舎から出て行った東京で、その日、私が働いていた喫茶店は、ものすごく暇だった。
お店には、なぜかわからないが年に数回ほど、まったく客が来ない日というのがあるらしい。
ママは早々に諦めて、店の外で何かしている。
ここは、大きな神社の門前を横切るようにのびた、商店街のはしっこにある喫茶店。
ご夫婦がコンビニのフランチャイズ経営で資金を貯め、長年の夢をかなえた店だった。
マスターは奥の台所でディナー用の仕込みをしていたが、静かになったので、雑誌でも読んでいるのだろう。
カウンターで店番を任されていた私は、グラスを磨いていた。
働いて数ヶ月。指紋を残さず磨くのは、もうお手のものだ。
しかし、磨いても磨いてもお客は来ない。
時が止まったような午後2時。
コーヒーを淹れるために、常に沸騰させているやかんの沸く音だけが響き渡る店内。
お水のグラス、アイスコーヒーのグラス、水割りのグラス……。
店頭にあるほとんどのグラスを磨き終わってしまった私は、やかんの火を止め、ママを手伝うことにした。
ママは、店の前の通りにある花壇を整理していた。
商店街の歩道には、規則的な間隔で配置された新聞紙1面ほどの大きさの花壇があった。
それぞれのお店で手入れを担当しているらしい。
「これを引っこ抜きたいのよ」
ママは言った。
それは、立派に育ったゼラニウムだった。
いくら引っ張っても抜けないと言う。
もともと丈夫な植物だが、環境がよかったのだろう。深くまで根を張っているらしい。
私も手伝って引っ張るが、抜けない。まるで童話の「大きなかぶ」状態だ。
仕方ないのでゼラニウムの周りの土をシャベルで掘り返してみる。
やはり、根が深い。
掘り返すと表面の乾いた土から、奥の少し湿った土へと、土の色が濃く変わっていく。
その時、脳の奥へ、ツーンと届くものがあった。
あ、土の匂い。
私は瞳孔が開き、脳が内側から押し広げられるような感覚を覚えた。
忘れていた、そうだ、土の匂いだ。
不思議な感覚を得ながら、かなり深くまで土を掘っていった。
「もういいでしょう」
ママと一緒に思いっきり引っ張った。
次の瞬間。
ごろん!
ママと私は、ゴボウほどの長さに根を張ったゼラニウムを握ったまま、絵に描いたような尻餅をついた。
「ははは〜!」
飛ばしてきた自転車にひかれそうになったが、二人は笑いが止まらない。
下町の商店街はにぎやかな活気にあふれ、歩道の上に転げた私たちを日の光がやさしく包んでいた。
けれど私は、さっきかいだ培養土の匂いに、田舎の春の訪れを思い出していた。
春の土の匂いは、数日しか、かぐことができない。
しかも、夜。空気が澄んでからだ。
私にとっての春は、街中で、すれ違いざまにいい香りを漂わせる、美しい人のようだ。
ほんの一瞬、すれ違う人をふんわりといい香りに包んでくれるが、顔を見ることはできない。
寒い冬の間、ずいぶんと待ち焦がれたのに、いざ「来た!」と思ったら、すぐに通り過ぎてしまう。
つれない。
それでも春が来るのはうれしいのだ。
会話を聞いたカフェから帰り、車を降りて、家に入ろうとした昨夜。
今年初の、土の匂いをかいだ。
春は近くまでやってきている。
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