曇りのち、晴れ《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:西山明宏(ライティングゼミ・プロフェッショナル)
息苦しい一人部屋だ。
頭がぼーっとして、こっちまで気分が悪くなりそうな、そんな空気で充満している。
こんな部屋でパソコン立ち上げて文章を書くなんて、どうかしてるのかもしれない。
病院から出される昼食を食べ終え、隣のベッドでスマホをいじる母は平然とした顔をしている。
今どんな感情? と軽くツッコミを入れたくなるくらいに無表情でスマホをいじっている。あ、もしかすると、スマホに集中している人はみんなこの顔なのかもしれない。今、スマホでこうやって文章を書いている僕も、実は隣にいる母と同じ顔をしているのかもしれない。スマホは人を無表情にさせる機械としてはうってつけなのではないか! なんて、どうでもいいことを考えて、自分の中の不安を少しでも消そうと必死になっている。
今、母に「あんたの顔、無表情よ。今どんな感情よ」て言われたら、即答できる自信がある。
「おかんの心配たい!」
小さい頃、というより、物心つく前から僕の親は母のみだった。父親という存在を知らずにこれまで生きてきた。
顔も声も背丈も、どんな人なのかも、全部見たことなかった。小さい時は知らなかったが、おとんは養育費も払っておらず、母一人が僕と弟を養ってくれた。いい大学に行くようにと小学校から塾に行き、見事にお受験失敗。地元の中学に進むも、有名私立進学校に入学し、大学も私立。弟も高校は私立高校で、大学も私立。母からしたら、なぜ公立に行かない!! と嘆いた結果になっている。
挙げ句の果てに、僕は演劇なんかに夢を見て、まともに就職もしていない。本来なら、長男である僕が、ボーナスもちゃんと出る会社に就職しなければならないのだが、僕はそれをしなかった。
長男としてあるまじき行為だ。じいちゃんやばあちゃんが生きてたら、なんて言われてたのだろうか……。想像もしたくない。
でも、もし就職をしていたら、僕は親に反抗していたかもしれない。
僕は、すぐ人のせいにしようとしてしまう。その方が気が楽で、責任を逃れられるから。たとえ自分が最終的に選んだ道でも、人から言われてイヤイヤ選択した道は、間違いなくその人のせいにしてしまうと思う。
「本当はこんなことしたくないのに!」
「なんで俺がイヤイヤしなくちゃいけないんだ!」
「あいつがやれって言うから、好きなこともできずにやってるんだろうが!」
人のせいにするばかりか、嫌なことを辞める勇気もない。
「今辞められるわけないやん」
「今任されとる企画が終わっても、また頼まれるけん辞められん」
などと言い訳がましく話し、挙げ句の果てに、辞めたいのに辞められないことを人のせいに、親のせいにでもしてしまうだろう。僕はそういう感じの人間だ。
だから、一層の事、自ら退路を絶ってみた。
好きなことをして生きていく。好きなように生きていく。
これは誰から言われたわけではない。自分の欲求のままに生きていくことを僕自身が決めた。誰にも言い訳ができない状況だ。ここで失敗しても誰かのせいにすることはできない。これでお前のせいで失敗した! なんて言おうもんなら、「だって、それ自分が決めたことやろ?」って簡単にあしらわれること必至だ。
だから不安と恐怖がいつもつきまとう。
失敗したらどうしよう。向いてなかったらどうしよう。時間の無駄なんじゃないだろうか。さっさと就活をし直して就職した方が僕の家庭は幸せなんじゃないか。
言い出したらキリがないほどだ。
隣のベッドで点滴を打たれながらスマホで調べ物をしている母を見ると、その不安はより大きくなり、せっかく絶った退路をいとも簡単にこじ開けようとする。こんなにも自分の意思や決意は簡単に揺らいでしまうのかと思うと、情け無くなってくる。自分に嘘をついて、強がって、大風呂敷を広げて自分を大きく見せようとししているだけなんじゃないか。
確かに演劇は好きだ。舞台に立つ直前は楽しみと緊張とで、脈が走り、脳みそが色んなイメージを見せてくれて、身体は少し震え始める。心臓の鼓動はもちろん普段よりも早くなっている。あの高揚感が癖になる。いざ舞台の上に立つと今までの震えや脈の早さは落ち着き、さっきまで見ていたイメージが目の前で鮮明に映る。
現実と綺麗に切り離された、澄み切った真空のような別空間で生きることが、とんでもない快感に変わっていくのだ。
しかし、この快感を得るために何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も表現の難しさと、苦しさと、痛みと、未熟さを経験する。そうやって、生産性もクソもない作り方で演劇が出来上がっていき、たった一瞬の快楽のために苦しいことを必死に堪えて本番を迎えているのだ。
お客様の「面白かった」という何よりも嬉しい一言が、苦痛よりもほんのちょびっとだけ上回る。このほんのちょびっとだけに人は全身全霊をかけることができる。その面白さが、僕が演劇好きな理由だ。
こんなにも熱く演劇が好きなことを話すことができるのに、働いた方がいいかもしれないという意思が僕の芯を大きく揺さぶる。
そんなことを考えながらこの文章を書いているなんてことを知ってか知らずか、母は僕にこういった。
「ぶっちゃけるとさ、働いてほしかったんだよねー。あんたに」
「知ってる。いっつも聞いてきよったけんね」
「でもあんなに大きく夢語られたら無下にはできんやん? あんたが新聞販売店継ぎたい気持ちを踏みにじって、好きなことやれって言ったのは私やし」
「そんなこともあったね」
「いつまでやるかは知らんけど、ここで終わったら、あんたはただのダサい男やけんね。イケメンやない、お金も持ってない、志もないじゃ男としてクズやけんね」
「3分の2当てはまっとるんやけど……」
「志ば無くしたらクズやけんね。しっかりやらなよ。でもお金も稼がなよ」
「分かった」と、一言だけおかんに返事をすると、おかんは再婚相手の男性の愚痴を話し始めた。正直、再婚相手にあまり興味が湧かなかったが、これから家族になるであろう男性のことは知っておかなくてはいけないのだろうと思い耳を傾けた。
再婚すると聞いて、期待した。父が増えるということは、稼ぎがあるのではないかと一番に考えてしまった。おかんが楽になるんじゃないかと。一緒に人生を遂げられるパートナーとしてはもちろん、経済的にも少し支えができて、おかんにこれ以上負担をかけることがなくなっていくんじゃないかと。でも、話しを聞くところによると、その望みは薄くなった。再婚相手の男性は自分で焼き鳥屋をやりたいらしく、その手伝いを僕らにしてほしいらしい。ここにきてかーーー!! と、つい叫びたくなった。経営をするなんて予想しているはずがない。今年還暦を迎える再婚相手は、本気で焼き鳥屋を開くつもりらしい。
想定外だ。これまで働いて貯めてきた貯金や、現在の月々の収入で、おかんだけでも不自由ない生活を送らせてあげられるものだとばかり思っていた。まさか、経営をするとは……。いや、僕も経営をする予定なのでやること自体に反対はない。ただ、このタイミングか、と思ってしまう。だから僕は腹をくくった。
おそらく僕は、本当の意味で腹をくくれていなかったのかもしれない。
自分が好きなことをする。好きなことで生計を立てるということ。生業とすること。それで家族を養わなければいけない。僕は、僕だけのことを考えていたのかもしれない。僕だけがとりあえず食べられるようになったらオッケーだと、そこで思考が止まっていたのだ。だから再婚相手の男性に変な期待を勝手に抱き、勝手に落ち込んで、勝手にどうしようってなっている。そんな他力本願な意識で、クリエイターが務まるものか。自分の好きなことに、全身全霊を懸けて、モノを生み出し、周りと協力し、最高の作品を届ける。それができるようになれば、プロとなり、最終目標である“演劇で生きていく”に繋がっていく。
人のモチベーションは知らず知らずに下がっていく。掲げた立派な目標も、広げた大風呂敷も、感動した作品のあの瞬間だって、人は忘れていってしまう。モチベーションは保つのが難しい。だから、人は思い出そうと創意工夫をするのだと思う。それがモチベーションを再び上げるための方法でもあり、作品作りにおける大事な技なのかもしれない。
明日が手術かもしれないというのに、なにのんきに愚痴をしゃべってるんだ、うちのおかんは! と思っていたが、おそらくそうではないのだ。
おかんは、手術の不安が心の隙間に入り込めないくらいのモチベーションで満たそうとしているのだ。退院したら、再婚相手の男性と会うこと、弟が無事就活を終え、来年大学を卒業し社会人になっていく姿を見ること、僕が突き進む道を複雑な気持ちでも応援して、僕が見事その目標を果たすことができたときの笑顔を見ること、家族全員で、初めての家族旅行に行くこと、退院後の毎日が笑顔に囲まれること。そんな未来を、おかんは必死にイメージして僕に伝えてくる。手が震えているのが分かる。僕は高揚感で手が震えるが、おかんは違う。闘っているんだ。不安や恐怖から。3年前にガンを発症し、苦しい闘病生活を過ごしたこと。手術によって自分の身体が変わってしまったこと。あの時期の記憶がフラッシュバックしているのだろう。経験していなくても手術は怖い。僕も怖い。おかんはもっと怖いはずだ。でも今隣で再婚相手の愚痴を言いながら、旅行の計画を話しながら笑っているのは、間違いなくうちのおかんだ。
うちのおかんは強いのだ。負けず嫌いで、気が強くて、女ひとつで男の子二人をここまで育てて来てくれた。少々お金の使い方が雑で、僕に怒られることもあるが、そんなところもあった方が人間臭くていいのかもしれない。いくら感謝してもしきれない。でも面と向かっては恥ずかしくて言えるわけでもない。こんなときに上手く演技ができたらいいのだが、こんなときに限って、全く演技なんてできない。不思議なものだ。でも、やっぱりこういうときだからこそ、言わなくちゃいけない気がする。僕は、ひとしきりしゃべり終わったおかんに「あのさ」と一言かけてみた。当然のように「なに?」と返ってくるのは分かっていた。でも次がどうしても出てこない。改めて言おうとすると、案外言葉は出てこないものなんだなと、なぜか冷静に分析する自分がいた。
「どうした?」おかんから催促が来る。この状況で黙り込むと、向こうがかえって心配してしまう。せっかく頑張ってモチベーションを上げていたのに、僕がここで水を差すわけにはいかない。
「俺さ、ちゃんと稼げるようになるけん」
「当たり前やろ。そうやないと困るし、あんたの彼女とだって結婚できんよ」
なんという返しだろう。まさかの返しだった。「ありがとう」とか「頑張ってね」とか来るのかと思っていたが、さすがはうちのおかん「当たり前やろ」が返ってくるとは……。
「それはわかっとうよ! ただ、まあ、家がこんなに大変な状況なのに、自分の好きなことばかりで、しかもお金にまだなってないのが、やっぱり、ちょっと申し訳なくて」
「まあ、さっきも言ったけど、本当は働いてほしかった。けど、あんたが疲れながらも満たされとる顔見よったら、こっちもなんか気持ちが満たされるったい。それは私は嬉しいと思っとるよ。楽しい人生をちゃんと生きよんのやねって」
「まあ、おかげさまで毎日充実しております」
「私はそれで満足なんよ。あんたと和宏がちゃんと生きて、楽しんどけば、それで幸せなんよ」
「ありがとう」
「それに私は、一緒におってくれって言ってくれる男性と再婚するし、今のパートの仕事も5月でやめて、個人でリンパマッサージをしてお金もらうけん。好きなことを好きなようにやらせてもらうけん」
パート仕事を辞めるとも、リンパマッサージを個人で施術してお金を稼ぐなんてことも、一言も聞いていない。いつの間にか自分のこれからの人生設計を作っていたのだ。大した人だなと、自分の親ながらにして思った。
「ありがとね」
「こっちがありがとうよー! 急に入院になったのに色々準備とかしてくれて! 助かったわ」
なかなか言えない……。
「うん、それは全然気にせんで! いっつも頑張ってくれよるし、ここまで精いっぱい育てて来てくれたんやもんね。休憩が必要なんよきっと。ゆっくり休めってことなんよ」
「あんたもいいこと言うようになったねー。そうやね、ちょっとくらい休んでもいいよね!」
そういうおかんの顔は一番の笑顔だった。
「ゆっくり休んどきーね」
「はーい」
面会終了まで、まだ時間はある。
僕はパソコンを再び立ち上げて、キーボードを打った
***
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