結婚って、愛でも恋でもないんだ。結婚って経済的な関係だったんだ。《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事 : 鼓星(ライティングゼミ・プロフェッショナル)
取り柄はなくとも、人に大きな迷惑を掛けず、地味に、マジメに、堅実に生きてきたつもりだった。そんな私が、まさか、民事訴訟の「被告」になるなんて考えてもいなかった。
裁判所から内容証明郵便で送られてきた訴状を手にした瞬間、膝が震えて、心臓が壊れてしまうんじゃないかと思うくらいドクンドクンと鳴っていた。
「被告」と呼ばれることはショックだったし、裁判でさらしものにされる恐怖を考えると絶望的な気分になった。老いた両親が知ったら、どれほど悲しむだろう。貧しくて中学しか出ていない両親は、相当な苦労と倹約を重ねて私を大学まで出してくれた。なのに、フラフラとした生活で結婚もせず、孫の顔を見せられないまま40歳を過ぎてしまった。それだけでも、十分すぎる親不孝なのに、不倫裁判で慰謝料請求されるなんて……どう考えても最悪の娘だ。靴を脱ぐ気力すらなく、玄関でへたり込んだら、涙が止まらなくなった。
そうやって、心はズタズタになって泣いているのに、脳の中では、冷静に「ガッテン!」と腑に落ちる快感があった。
「結婚って、愛でも恋でもないんだ。結婚って経済的な関係だったんだ」
43歳の冬。結婚したことのない私が、結婚の意味を初めて理解できたような気がした。
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初恋の彼と20年ぶりに再会した時、彼は「法的には」婚姻状態にあった。
私の中に、「法的には」と思いこみたかった気持ちは確かにあったと思う。でも、それを割り引いて考えても、実質的に結婚生活は破綻しているようにしか見えなかった。
彼は、中目黒にある小さな靴屋で店長をしていた。
靴屋を始める前には、通販サイトや輸入車販売などいくつかの事業に手を出しては、どれもうまく行かず、失敗したそうだ。生活はどんどん苦しくなり、もはや、自力で新しい事業を始める資金は底をついていた。
それでも、「どうしてもこれを売りたい」という靴にめぐりあい、腐れ縁の友人を口説いて出資してもらい、共同事業として出店した靴屋だった。
夜8時までの靴屋の営業が終わると、店の片づけや日報をまとめて、週に5日は夜勤のオフィスビル管理のバイトに向かっていた。午後10時から翌朝の9時までの勤務。それが終わると、漫画喫茶でシャワーを浴びて、再び靴屋に向かい、開店準備をして店長としての1日がスタートする。睡眠時間は夜勤の途中の2時間の仮眠と、往復の地下鉄の中だけのハードな毎日だ。夜勤のバイトが休みの週末は、寝袋に入って、靴屋の試着用の椅子の上に丸まって寝ていた。自宅に帰ることはまずなかった。
本人の弁によれば、夫婦関係は何年も前から冷え切った状態にあったけれど、2人の子どもをかすがいにして、なんとか家族らしい体裁は整えていたという。しかし、ある晩、帰宅したら、玄関の鍵が交換されていて、持っている鍵では家に入れなくなっていたそうだ。そのストーリーの何割ぐらい真実で、何割ぐらいが彼に都合よく盛ったものなのか、本当のところはわからない。ただ、帰れる家がないホームレス状態だったのは間違いない。
たまに、2人の子どもの授業参観や運動会、ピアノの発表会の時には奥さんから呼び出しのメールが来る。子どもたちに会うために、彼は、嬉しそうにお土産を準備して久々の自宅に向かう。でも、一緒にいられるのは行事の間だけ。夜、自宅で団欒の夕食を囲むことは認められない。ピアノの発表会の後、ディズニーランドのホテルでディナーを食べ、母子3人で宿泊するためのお金だけを求められる。彼は、1人帰ってきて、靴屋のバックヤードでコンビニ弁当を食べていた。幸せな家族を装うためのパーツとして「子どもお父さん」が必要だったのだろう。自分では乗る機会のない自家用車を車検に出したり、自分が住まうことが許されない自宅の屋根に防水ペンキを塗るためにも、時々、呼び戻される。滞在時間は数時間。「家の仕事をするお父さん」の役割を演じ終えると、すぐに追い返される。
靴屋の店長と夜勤のバイト、2つの仕事をフルタイムでこなして稼いだお金は、家のローンの返済と、家族の生活費、私立の小学校に通わせるための授業料、習い事の月謝にと吸い上げられ、彼が自由に使えるお金は1カ月に2万円ほど。食事はコンビニ弁当か牛丼屋の二択。健康でも、文化的でもない最低限の生活だった。
私の取り柄は、地味で、マジメで、堅実なことだけ。いや、本当は、面倒ごとが嫌いなのだ。トラブルを起こして、消耗するくらいなら、恋愛しない方がマシだと真剣に思って生きて来た。だから、不倫なんてする気はない。「略奪愛」なんていう発想もゼロだった。
彼は「法的には」婚姻状態にあったものの、実質的に夫婦関係は破たんしていて、ろくに寝る時間もないほど働き、それで得たお金のほとんど全てを吸い上げられ、不健康な生活を続けている心配してくれる家族はいない。
だから、彼を好きになったとしても、誰かのものを略奪するわけでもないし、倫理に反するわけでもないと思った。いや、そう思いたかっただけかもしれないけれど。道端に捨てられた子猫を拾って帰ってミルクを与えるような感覚だった。
私は自分の仕事が休みの日を利用して、靴屋の手伝いを始めた。彼1人ではとても手が回らかった顧客名簿作りや、在庫管理のための情報入力、年に2回のカタログの発送、ツイッターやフェイスブックでの情報発信など出来る限りの雑務を手伝った。サイズやカラーバリエーションを揃えた潤沢な在庫を持てるように、なけなしの預金を切り崩して、増資のための出資もした。
そうやって無我夢中で2年ほどが過ぎ、少しずつ、靴屋を訪れる人が増えるようになり、売り上げも安定するようになった。有名なスタイリストさんの目に留まり、テレビコマーシャルや雑誌のグラビア写真で女優さんが履いてくれるようになった。時には、「この前、撮影の時に履いたのが、とっても、履きやすかったので」と女優さんがフラリと買いに来てくれることもある。とあるベンチャー企業の社長が、依頼したわけでもないのに、ブログやツイッターで「丁寧なフィッティングでピッタリの一足が見つかった。とっても履きやすい」と宣伝してくれる。色々なことが上手く回り始めた。
「ようやく、お店の経営も軌道に乗ってきたね」。
彼と、そんな話をした矢先のことだった。全く見覚えの番号から、携帯に着信があった。彼の妻の代理人を名乗る弁護士からだった。
「幸せで安定した生活を送っていたのに、あなたという存在が現れたせいで、家族は十分な生活費ももらえず、日々の生活に窮しています。不倫関係をやめ、早く、ご主人を家族のもとに返して下さい。そうでなければ、ご主人だけでなく、あなたにもお金を請求しなければなりません」。
青天の霹靂だった。
私が彼に再会した時には、既に、彼は自宅から締め出されていた。
本当の理由は知らないけれど、私と再会する以前に彼は複数の事業に失敗し、お金に困り、家族からも見捨てられていたのだ。
少なくとも、私という存在が現れたことは関係がない。
そして、私と彼が再会した時点で、既に、昼間と夜と2人分の仕事をして、そのほとんどの金額を家族のために渡していた。
2人の子どもは、私立の有名小学校に通い、彼が建てた家、彼が購入した車は、彼は使えないけれど、家族が使い続けていた。世間一般で言えば、最低限ではない、並み以上の生活をしているように見えた。少なくとも、コンビニ弁当と牛丼屋だけで食いつないでいた彼よりは、はるかにいい暮らしのように思えた。
言いたいことはいっぱいあったけれど、弁護士からの電話に私はビビりまくり、大した反論はできなかった。
私を「被告」とする民事訴訟の訴状が届いたのは、それから2週間ほど経ってからだった。
きっと、奥さんは何をやっても上手く行かないダンナにはほとほと愛想が尽きていたのだろう。どうせ、新しく始めた靴屋だって、そのうち行き詰るに違いないと思っていたのだと思う。
顔も見たくない。生活費さえもらえれば、どうでもよかった。
昼も夜も働こうが、毎日、コンビニ飯だろうが私の知ったことじゃない。
きっと、そう思っていたのだと思う。
そうしたら……予想外に靴屋の評判がいいらしい。
雑誌に載ったり、テレビに取り上げられている。土日には、遠方からわざわざ訪ねてくれるお客さんもいるらしい。
きっと、そんなウワサをどこからか聞いたのだろう。
「不要」と思った、ダンナを捨てるのがもったいなくなったのだ。
突然現れた見ず知らずのオンナに、オイシイところを持っていかれるのが惜しくなったのだ。
訴状によれば、私は幸福な家庭を不幸のどん底に突き落とした最低の人間で、500万円の慰謝料をもってその罪を償うべきなのだという。
実質破たんしていようが、「法的には」結婚しているとはそういうことなのだと思い知らされた。結婚は愛でも恋でもない。「法的には」結婚しているということは、経済的な価値があるということなのだ。
「結婚って、愛でも恋でもないんだ。結婚って経済的な関係だったんだ」に「ガッテン!」
そう思うと、訴えられたことのショックが少しだけ慰められた。
結婚を経済的にしか計れない彼の妻に対して、私は少し優越感を持った。
訴えられたショックにも恐怖にも負けない力が湧いた。
あなたが道端に打ち捨てた男を拾って、私は無償で彼の仕事を手伝い、コンビニ弁当しか食べていなかった彼にまともな食事を食べさせ、店のベンチで寝ていた彼に、眠る場所を提供し、そうやって稼いだ彼の店長としての給料のほとんどがあなたの家族を養っていることを受け入れている。
その後、私は友人のツテを頼って紹介された弁護士の力を借り、双方の代理人弁護士の協議によって、訴状は取り下げられることになった。
私が出資を引き揚げれば、靴屋の経営は傾き、それは、結局は、家族に渡せる金額が少なくなることを意味するということを伝えた。私は、裁判所への出廷を免れ、被告にならずに済んだ。そして、その後、彼は妻と正式に離婚し、法的にも夫婦ではなくなった。
あれから5年。彼は今も私のパートナーだ。
そして、彼は、今も昼間と夜と2つの仕事を掛け持ちして働き、ほとんどを家族に口座に振り込んでいる。子どもには全く会わせてもらえないけれど、夏期講習やら、サマーキャンプやら、新しい習い事を始めると、追加の金額を求められるようだ。彼が自分に許している唯一の贅沢は、月に1本、安い紙パックの一升焼酎を買うことぐらいだ。
幸か不幸か、私が彼と結婚することによって得られる経済的なメリットは限りなくゼロ。
だから、彼と結婚することになっても、私たちの関係は「経済的な関係」になることはないだろう。でも、私は彼とは結婚していない。当分、しない。
彼の妻にとって「結婚が愛でも恋でもなく経済的関係」であることを逆手にとって、私は私に対する慰謝料請求の訴状を取り下げさせたのだ。
「結婚とは経済的関係である」ことを一番、意識しているのは、実は、私だったのかもしれない。少なくとも、それを利用した罪を償わなければならない。
「法的には」婚姻状態にあった家庭を壊し、彼の2人の子どもを、法的に母子家庭にしたのは、確かに私だという負い目は、いつもいつもいつも心の中にある。
彼の子どもが2人とも大学を卒業するまであと10年。
それまで、恐らくは、子どもたちの学費を稼ぐためにダブルワークを続ける彼を支えよう。
地味に、マジメに、堅実に生きよう。そうしたら、10年後、彼に「結婚して」と私から自信を持って言えるかもしれない。
彼が小学校5年生の時に転校してきた時に一目見て好きになってから、恋が実るまで48年がかりだ。
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