ダメ出しばかり受けていた企画屋の卵が、フリーペーパーでネットメディアに挑んだ理由。
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記事:unai makotoki(ライティング・ゼミ)
「藤井! ちゃんと考えてこいって、言ったよね?
毎回、毎回、いい加減、同じことを言わせるなよ!」
毎週月曜日の朝一番に開かれる編集会議でのこと。
自社が運営するネットメディアの編集方針について、
編集部員たちが自らの企画を持ち込んでくる。
一人あたりの持ち時間は約5分。
だいたい10案くらい持ち込まれ、
筋の良し悪しが議論される。
ぼくは、次回の特集企画案を説明した。
でも、今日も玉砕された。
新卒で入社して3年間営業を担当し、
去年の4月の人事で編集部に異動になった。
そして、季節は秋を迎えている。
異動した当初は、不慣れだったこともあり、
「考えていないこと」を自覚していたし、
真摯に受け止めていた。
でも、半年経った今では、一通りの仕事を覚えたと
思っている。だから、毎回「考えてない」と
一蹴されてしまうのは、違和感でしかなかった。
確かに、編集会議の席で先輩方からいただく
するどいツッコミに答えられない時もある。
まだまだ、勉強が足りないことは自覚している。
でも、「考えてない」という指摘は、
「何も仕事を理解していない」と
言われているのと同義だと思っていた。
「もしかすると自分には何か問題があって、
編集部内で嫌われているのではないか?」
そう考えたほうが、よほど状況を飲み込めた。
悪い妄想はとめどなく膨らみ続けた。
「ほかの会社でもこんな苦労をするのだろうか?
自分は新卒入社だから他の会社を知らない。
そもそもそれが問題ではないか?」
編集会議の直後でイライラはピークだった。
オフィスにも関わらず、周囲の目も気にせず
転職サイトに会員登録した。
それでも、気分は落ち着かなかった。
iPhoneがバイブレーションしている。
転職サイトが、採用条件に合致する
エントリーがあったことを知らせていた。
「藤井大吾、京都生まれ。新卒4年目の26歳。
東京のネットメディアで3年営業やって、
春から編集へ異動。それから半年で転職?
なんか今時の若者って感じで、使えなそう……」
募集広告の反応に喜んだのもつかの間
経歴を読み始めた途端に気持ちが萎えた。
「自分の人生に迷ってるんちゃいますか?
真一郎さんかて、20代の頃は、
ずいぶんと試行錯誤してたん違います?
昔と違って、今は、情報が溢れてるから
転職きっかけで成長する人も多いとちゃいます?」
「秀さん、おれの話は置いといてよ。
おれの場合は、家業を継ぐために、会社を辞めたわけだし、
こいつとは全然違うことは、知ってるでしょう?
転職が悪い、なんて思ってませんよ、おれだって」
うちの祖父は京都市内で印刷会社を興した。
父親が会社を大きくし、最盛期には社員300人。
年商は50億を超えていたという。
ただ、ネットが成長してきたここ20年の間は、
ずっと業績が落ち込んだまま下降していた。
3代目であるおれの代では、
印刷業からネットメディアへの
転換を図っている最中だ。
秀さんは、先代社長である父の代から、
ここに勤めいて、今年で50歳を迎える。
経営企画畑一筋の、「社長の右腕」だ。
「新卒4年目での転職やったら、早い、
という見方もあるけど、自分の人生を真剣に、
真剣に考えての判断やったら、
無駄な時間を1秒でも過ごせへん、
だから転職ってことかもしれません。
せやから、さっきから、真一郎さんが
会社を継いだ頃を思い出してたんですわ」
おれは、20代で父から家業を引き継いだ。
今から10年前。世の中全体が本格的に
紙からネットへ移行する中、
先代である父親は苦しみ、孤軍奮闘していた。
その結果、無理を重ね、身体を壊し
50代という若さでこの世を去った。
父の体調が優れない、という話を聞いた頃、
おれは東京のネットメディアで
新規事業担当を任されていた。
それから約3ヶ月ほどで急逝。
まだ、30歳手前の若さだったが
急遽、3代目社長に就任した。
家業とはいえ、右も左も分からなかった。
ただ、財務諸表を見る限り
社長業に慣れる時間はなかった。
おれが見た時点で、すでに今すぐに
会社全体のコストを半分にしなければ、
1年以内に確実に倒産する状況だったのだ。
それは、150人いた従業員たちを
今すぐにでも半分にしなければいけない、
ということだった。
一瞬の猶予も残されていない。
待ったなしの状況の中、おれは、
150人、 ひとり、ひとりと話し合った。
「印刷業も知らない若造のくせに!」
「先代からずっと仕えてきたのに、
この恩知らずが!」
「東京のネットかぶれのボンボンに
何が分かる!」
従業員たちが必死になって抵抗する気持ちは
痛いくらいに理解できた。
でも、おれには、なす術が無い。
そんな時、陰で日なたで、おれと従業員の間に
入ってくれたのが秀さんだった。
厳しいリストラが大きなトラブルに
繋がらなかったのは秀さんの功績が大きかった。
退職の意思を示した全員の再就職が決まるまで、
見届けたと聞いている。
でも、これは始まりに過ぎなかった。
「印刷業に変わる新しい経営の柱が必要だ。
印刷業のノウハウを活かすのであれば、
うちもネットでビジネスをやるしかない」
うちのネットメディアに掲載を希望する
お店からの掲載料金で成り立つ
小さなメットメディアを立ち上げて5年。
ネットに進出したはいいが、
今度はネットの中での戦いに巻き込まれている。
大手に負けないキラーコンテンツが必要だ。
ただ、うちはもともと印刷屋。
ネットメディアに明るい人間は自分くらいだった。
せめて、自分と同じくらいの人間が
もう一人いれば……。
募集広告を出し続けてもう1年。
面接はおろか、エントリーすら
数えるほどしかない。
京都という場所の問題もあるだろう。
そんな中、久しぶりのエントリーだった。
「藤井大吾、エントリーの第一印象は
今一だけど高望みしてる場合じゃない。
東京でネットメディアに3年勤めてるわけだし、
育てられるんじゃないか?
せめて、ビジネスマナーくらい分かってるだろ」
「とりあえず」、という軽い気持ちで
会ってみることにした。
「京都でもネットメディアの編集職を募集してるんだ。
珍しいな。あんまり大きくない会社だけど、
坂本さんっていう社長のメッセージがなんか熱いな」
ぼくは、京都で生まれ、高校卒業まで過ごした後、
東京の大学へ進学するために上京した。
大学卒業後、京都へ戻ることも考えたが、
ネット業界へ進みたかったので、東京にとどまった。
なんといっても会社の数が違うし、東京で通用すれば
仮に京都に戻ることになっても、やっていける気がしていた。
ただ、東京での就職は甘くはなかった。
3年間の営業時代は、毎日ゴリゴリの新規営業だった。
慣れるまでは、社用スマホを手に縛りつけられての
テレアポの毎日。やっと憧れの編集職に異動した後は
ダメ出しの毎日。
社内のぎすぎすしているというか好戦的な
雰囲気にも、いっこうに慣れる感覚を持てなかった。
おまけに、様々な地方出身が集まっている。
同郷のよしみというか、ある種の背景が
共通していることによる連帯感は、
まったく感じられなかった。
「同郷とは言わずとも、
せめて同じ関西出身の集まりなら
もう少し、仲良くなれるんじゃないか……」
そんな風に感じている中、転職サイトで
京都での募集を見つけた。
「逃げ帰るわけじゃないけど、京都なら今よりも
自分の力を発揮できるのではないか?」
会議での閉塞感からか、最近では、胸が苦しいというか
胸やけしているというか、とにかくすっきりしない毎日だった。
そんな中、転職サイトで語られる坂本社長の熱い
メッセージは、ぼくを癒やしてくれた。
結局、おれは「藤井 大吾」の採用を決めた。
まったく期待しない状態で会ったせいか、
面接の結果、「思ったよりも使えそう」
という印象に変わっていた。
東京で3年間学んだ分だけ、社会人としての
マナーやふるまいは理解しているようだった。
また、大手のネットメディアで揉まれていたのだろう。
論理思考やプレゼンテーションといった能力に関しても
思いの外、評価できた。
仕事の各論は分からないけど、短い面接の時間では
そこまで把握することはできない。
募集広告に対して、ほぼエントリーが無い状況を踏まえると
「良い買い物」と言えそうだった。
「まずは、企画を一つ任せてみよう。そうすれば、
各論の強さが分かるはずだ。
営業を3年やっているから、
最悪、自社メディアを売ってもらう、
という道もあるだろう」
どの方向から考えても、「採用」以外の選択肢が無いように思えた。
坂本社長から内定の連絡を受けた。
そこで、はじめて本気で「転職」を意識した。
いや、もちろん本気で転職活動をした。
でも、自分の意思ひとつで、「辞める」も
「辞めない」も判断できる状況になって、
はじめて感じる「迷い」があった。
元々は、「すべり止め」的な位置づけで
エントリーした会社だったが、面接で会った
坂本社長に惚れてしまった。
坂本社長は、もともと東京の大手ネットメディアの
編集者だったらしい。それだけに、ぼくの気持ちや
迷いがじゅうぶんに理解できると言ってくれた。
また、ネットの世界なのだから、東京にこだわる
必要が無いだろう、という意見も納得できた。
面接の場で、「企画を丸ごと任せる」とも
確約してくれた。
ここでなら、変なしがらみに巻き込まれることなく、
仕事と向き合えそうだった。
でも、この会社に残ったら、
どんな人生が待っているのだろう。
結局、逆の選択をした結果を知ることはできない。
転職をするにせよ、しないにせよ、その与えられた場で
がんばって成功するしかない。
転職を経験した人は、必ず言う。
「転職があって今がある。人生のプラスになった」。
ぼくもそうだ。転職をするかどうかが問題じゃない。
それを機会と捉え、がんばり抜けるかどうかだ。
その言葉を信じて、転職を決意した。
2016年12月末、ぼくは会社を辞めた。
2017年1月、藤井が入社した。
おれは、さっそく、
1つの企画を任せてみることにした。
現在、柱に育てようとしているネットメディア
「kyoto Made」の次回の編集案を
考えてほしい、と依頼した。
「kyoto Made」は、京都の様々な店舗の
紹介記事がメインコンテンツだ。
飲食や美容をはじめ、小物やインテリアなど
さまざまなジャンルの店舗の情報を紹介する
という立て付けで、掲載料をいただいている。
京都市内全域を対象に、掲載店舗数を
増やすべく、積極的に営業活動を仕掛けていた。
ただ、大手メディアとぶつかるケースが多く
スケールメリットを活かした大手に対して、
劣勢の状況だった。
地元京都でメディア運営しているおれたちにとっては
キラーコンテンツが必要だった。規模では負ける。
でも、小さいからこそ機動力を活かした企画が
有効なのではないか。
ニッチな領域で差別化できれば、
負けない気がしていた。
藤井には、その兆しを作ってほしかった。
「藤井、2週間で1本企画を作ってみてよ。
やり方は任せる。以前の会社の方法もあると思うし、
自分なりに工夫してもらってもいい。
とにかく、カタチにしてみてよ」
転職一発目の仕事に、ぼくは気合が入った。
「早く坂本さんに認めてもらうんだ。そのためには
まず、京都のマーケットをちゃんと調べよう。
Googleで検索キーワードを片っ端から
打ち込んで結果を見てみよう。
それから、企画は何か新しいエッセンスが欲しい。
以前の会社で先輩たちがボツをもらったアイデアを
書き溜めたメモがある。それを少しアレンジしてみよう」
時間が無いこともあり、効率よく企画をまとめるために、
ネットと過去事例を最大限に活用することにした。
特に過去事例は、一度検討しているものだから
使える可能性が高いと踏んでいた。
検索しては整理するというサイクルを回すと
あっという間に約束の2週間が過ぎていった。
「坂本さん、こちらが約束の企画案になります。
よろしくお願いします!」
約束の日の午後までかかり、なんとかパワポに
まとめきった。
できあがると、坂本さんに声をかけ
会議室に入った。
さっそくPCをプロジェクターへ接続し、
プレゼンテーションの準備を整える。
スライドを進めながら、説明をはじめる。
「今回の企画のコンセプトですが、ずばり……」
企画の概要からはじまり、その背景にある
京都の市場動向、競合の状況、
それらを踏まえた自社メディアの課題……、
次々とスライドを進めていく。
時折、坂本さんの表情を伺った。
楽しいともつまらないと読めなかった。
こういう時はポーカーフェイスを装うのだろうか?
あまり気にもとめず、プレゼンを進めた。
だが、その後も表情が冴えることはなかった。
「どう考えてもおかしい。何か変なことを言っているのか?」
ふと疑問が頭をよぎる。
すると、集中が乱れ、説明がたどたどしくなった。
坂本さんが急に手を振った。
「藤井、ストップ、ストップ。話の筋が理解できないから
ちょっと待って。いくつか質問してもいい?」
「はい。分かりました。
ちょっと説明が速かったですかね?
どこらへんですか、分からないところって?」
プレゼンを急に止められたことに驚きながらも
平静を装った。何を質問されるのだろう?
「市場を分析してるスライドがあるじゃない。
競合って具体的にどこが強みなの?
どうして、うちは負けてるの?」
坂本さんは、スライドにツッコミを入れてきた。
競合は全国展開している有名な2社のことを指している。
どこが強みなんて、相手は大手だから何もかも強いのだ。
あまりにも当たり前の質問に、驚いた。
「競合とは、大手メディア2社のことです。
うちとは顧客数、売上、利益率、組織面では、
営業力、企画力、集客力……、様々な事業要素に
圧倒的な差があります」
これ以上の答えでも、以下の答えでもない。
「大手2社以外には競合って存在しないんだっけ?
じゃぁ、大手2社が顧客の数が多いのはなんでだっけ?」
矢継ぎ早に、質問が飛んでくる。
「競合は、ほかにもいると思いますよ、いくらでも。
ただ、どこまでも挙げてしまうと、
ご説明する時間の制約もあるので
明らかな競合である大手2社を挙げています。
顧客の数が多いのは、会社の規模の違いや
営業担当の数、プロモーション費用と、それも挙げれば
キリが無いと思いますけど。まぁ、とにかく違います」
そんな当たり前のことを質問しても
意味が無いじゃないか、と思いながら
坂本さんの顔を見た。
そんな質問に答えるために、2週間もかけて
調べまくったわけではない。
坂本さん、小さくため息を吐いた。
そして、ぼくを見かねたように話をはじめた。
教師が教え子を諭すように。
「なぁ、藤井。競合のことなんだけど、たとえば、
京都の観光案内所なんかも、該当しないか?
観光情報を知って、ついでに京料理の
美味しいお店を教えてもらう、なんてこともあるだろう?
顧客の数の話だって、負けてる、ということは、
2社の何らかが顧客たちに刺さっているということだろ?
なんで2社を利用するのか?
それは有名な会社だから、という理由だけはないと思うよ」
話の内容は理解できた。
でも、なぜ、こんなことを説明されるのだろう?
坂本さんの真意を掴みかねていた。
ぼくの顔に疑問符でもついていたのだろう。
坂本さんは続けた。
「市場分析をする上で、有名なフレームワークを使って
まとめたよな? 自社、競合、顧客。それ自体は
間違ってない。でも、その先が見えて来ないんだよ。
フレームワークの先には、人がいるだろ?
その人たちは、喜怒哀楽を持っていて、
何らかの「不」を抱えていると思うんだ。
少なくもお前が挙げた2社は、
そんな「人々の不」を解消しているはずだ。
企画をする上で、大切なことは、まずそれを
お前自身が実感できるかどうかなんだ。
この2週間、お前はデスクでパソコンにかじりついていたよな?
ネットで検索すればたくさんの情報が見えてくるだろう。
でも、そこからじゃ「人々の不」は見えてこないよ。
ネットではすべてがデジタルな世界だ。
「人々の不」なんて、すべて「0」か「1」という
ビット情報に圧縮されているに過ぎないんだ。
お前、地元に戻って、京都の街を歩いてみたか?
祇園、先斗町、河原町、烏丸……、四条通の繁華街を
歩けば、人々の喜怒哀楽を感じることができるだろう?
人に会って感じるんだよ。それが企画の第一歩だ」
坂本さんの言わんとしていることが
ようやく理解できた。
同時に、前職での編集会議を思い出していた。
「ちゃんと考えろ」というメッセージの真意も
このあたりにあったのではないか。
あたりさわりの無い、
まるでビジネス書を写したかのような
ぼくのプレゼンテーションには
大切なことが抜け落ちている……。
「藤井、この後、どうする?」
「もう一度チャンスをください!」
間髪入れずに答えた。
悔しさよりも、挽回したいという思いが勝っていた。
そして、積年の悩みに対する答えの糸口が見えていた。
今まで原因不明の症状に苦しんでいたのに、
病名が判明したような感覚だった。
やはり病気だったという事実を
確認したのはショックだが、
病名が分かれば原因が分かるということ。
あとは対処法を見つければよいのだ。
「少し時間をいただきますが、必ず企画を
ブラッシュアップさせてきます」
「……というわけで、藤井には、
もう一度チャンスを与えることにしたんだけど、
秀さん、このやりとりどう思う。
藤井の企画は、ものになるかな?」
やりとりの一部始終を
秀さんに話した。
入社4年目での転職。
まだ、仕事の真髄を知らないどころか
トラック競技に例えると、やっと1週目を走りきった、
ところだろう。
大手に入社してからの3年で
仕事の全てを見た気にでもなったのだろう。
でもそれは、仕事の表面にすぎない。辛さも喜びも
本当のところは、これからなのだ。
秀さんなら、こんなおれの思いを
汲み取ってくれるだろう。
今日は、藤井に対して少し疲れた。
話を聞いて欲しかった。
「真一郎さん、お疲れな1日になりましたなぁ」
秀さんの口元が笑っている。
気持ちが分かりますよ、と言わんばかりの表情だ。
「でも、もう一度、チャンスをください、
というのは藤井から出た言葉でしょう?
若者らしさが良い方向に出ていると、
評価できそうですが」
秀さんは、人の良いところを探す天才だ。
おれは人に対して、そんなに優しくない、というか
ムカついたら、率直にそれを伝えてしまう。
それが原因で、いがみあう時もあるのだが……。
秀さんと話すと、そんな思いを中和してくれる。
「それにしても、真一郎さんの発言を聞いていると
先代を思い出しますわぁ。
最近、めっちゃ良く似てきましたなぁ」
先代である父の口癖は、「答えはお客さまに聞け」だった。
責任感の強さと、一方で、とても頑固な人だった。
バカの一つ覚えのように、そしてどんなに非効率でも
自分のこだわりを貫く父におれは、嫌気がさしていた。
いつしか京都の印刷屋という世界そのものから
逃げ出したくなった結果、大学卒業後に
東京のネットメディアへ就職を決める。
40歳にも近づき、社長になって10年。
今になって、ようやく父のこだわりを理解できた。
どんなにITが進化しても、それを使っているのは
結局は人なのだ。
「おれは藤井を諦めないぞ」
心の中でそうつぶやくと、藤井に対して
高ぶった気持ちが落ち着いてくるのが
分かった。
坂本さんに言われたとおり、
京都を歩いてみよう。
ぼくは、四条河原町の交差点にいた。
思えば久しぶりの京都だ。
町並みは変わらないように見える。
でも、阪急はきれいに改装された。
小さな商店たちの入れ替えがあったようだ。
見知らぬ店舗が散見される。
東京の人は、京都の街並みが
変わらないことに驚く、
でも、本当に変わっていなければ、
廃れているだろう。
驚くべきは、変わらないように
変わり続けていることだ。
京都の人はそんな素振りを
ぜったいに見せない。
そんな美とプライドが人に宿っている。
坂本さんが言っていた人の喜怒哀楽という
言葉が思い出される。
河原町から四条通を祇園方面へ流れた。
先斗町の入り口までくると、四条大橋が見える。
鴨川の水は、あいかわらず美しかった。
祇園の入り口の手前で見つけた
扇屋で足を止めた。
看板にある創業の年号は江戸時代のものだった。
それでもこのあたりでは古いほうではない。
店には、おばあさんが一人で店番をしていた。
目が合うと、ほほえんだ。
「おいでやす」
「素敵な扇子が並んでますね」
ふいに話しかけられ驚いた。
目に入った、美しい扇子に
思わず反応する。
京都に帰ってきても、スムーズに
標準語で話せてしまう自分がいる。
「おいでやす」と挨拶されて
違和感があった。
京都では、常連客には、
「おこしやす」と挨拶する。
この店にとって、ぼくは一見さんだから、
仕方ないのだが、東京のよそ者になったようで、
少し寂しくなった……。
そして、その思いは、ぼくにある決意を促した。
この界隈のすべてのお店から「おこしやす」と
挨拶される人間になれないのだろうか?
それは文字通り、顔なじみになるということだ。
それが今後の企画作りにどうつながるのか?
想像はできなかったけど、坂本さんの言葉とも
符合するような気した。
「なぁ、おかぁちゃん、この店では
どんな扇子が売れてんの?
あんまりきれいな扇子ばっかりやから、
お土産に迷ってまうわぁ」
「なんや、地元の子やったん。
きれいな東京弁しゃべるから、
むこうの子かと思ったぁ」
急な京都弁の応答にも、
おばあさんは気さくに返してくれた。
そう、このノリ、やりとり。
ここは京都なのだ。
ぼくが生まれ育った街なのだ。
「秀さん、今日、藤井見ました?
最近、社内で見かけることが少ないんだけど、
どこに行ってるのか知ってます?」
初プレゼンをボツにして以来
藤井は外出することが増えた。
いや、オフィスにほぼいない、
といったほうがいい。
外で何をしているのか?
報告もなく、よく分からなかった。
ただ、藤井の机には、日増しに
名刺やお店のカードが増えていた。
営業でも無いのに新規開拓でも
してるのだろうか……。
「最近、祇園界隈の店に出入りしてるらしいですわ。
私の連れがそのへんで店やってるんですけど、
ちょくちょく来てくれる、なんて言うてましたよ」
秀さんも不思議そうな顔をしていた。
話を続ける。
「なんでも、店を手伝うかわりにお店のことを
いろいろ聞きたい、とか言うてるみたいですよ。
企画の参考にでもしようとしてるんですかね」
なるほど。
人を大事にするようには伝えたが、
行き過ぎなければ良いが……。
「秀さん、藤井を見かけたら、企画の進捗を
おれに報告するように言ってください。
おれからもメールはしておきますが、
ここ数日は、全然見てないみたいなんで」
その夜、古くからのお得意さんから
電話があった。よりによって藤井の話だった。
「坂本さん、こんばんは。おひさしぶり。
最近、うちの店がおたくの若い子に
ずいぶんと世話になったみたいで
お礼がてら、電話しました」
電話の主は、清水寺から祇園界隈の
土産物屋を仕切っている
若い旦那衆の一人だった。
その近辺の実力者として、京都市内で
土産物屋を営む者なら知らない者はいない。
その気になれば、市内の重要文化財をも
借り切って宴会を開いてしまう。
京都ではそれくらいの実力を持っていた。
うちは、印刷物を請け負っていた関係で
父の代から付き合いがあったが、
最近は、縁遠くなっていた。
「ありがとうございます。
突然お邪魔しているようで
何かご迷惑をおかけしておりませんか」
「いやいや。京都のことを勉強したいから、って、
坂本さんとこの仕事と関係無いのに
ようやってくれてますよ。
なかなか見どころのある子ですわ」
突然の連絡に戸惑ったが、
安心した。
「何かあれば、今度はうちも協力しますから、
何なりと言ってくださいね」
京都ならではの社交辞令ということも込みで
受け取った。電話を切った。
翌日の朝一、今度は藤井から連絡があった。
夕方に企画のことで、もう一度話がしたいと言う。
藤井が、企画を持ち帰ってから
もう3週間経っている。
だが、藤井は市内の店を回って、
手伝いだか、何だかに走り回っていた。
期待できるものに仕上がっているのだろうか?
夕方、藤井がオフィスに戻ってきた。
二人で会議室に入るなり、ここのところの
自身の行動について詫びてきた
「報告もせず、外出ばかりで、
申し訳ありませんでした」
まぁそれはいいと思っていた、
肝心の企画案さえ進んでいれば、
後は何をやっていたって
本質的にはかまわないと思っている。
「坂本さん、ここのところ、市内のいろんなお店に
顔を出して、街のこと、お店のこと、そして悩みとか
いろんな話が聞けました。
実は皆さん集客にはさほど苦労してないって
おっしゃるんです。
最初は、京都の観光客の数の多さを想像して
そんなものかと、納得してました。
でも、実際は京都ならではの
見栄の部分からの発言だっていうことが
分かってきたんです。
確かに集客している数は悪くありません。
でも、その店ならではのこだわりとか売りが
全然、お客さんにアピールできてないんです。
事実、京都ならどこでも、極端に言えば、
東京にだって売ってそうなお菓子とか小物なんかが、
どこのお店でも売れています。
飲食店だってそうです。京料理といったって湯葉とか
おばんざいとか、そんなの東京でも出してる店は多いです。
それで原因をお店の方と考えました。
そしたら、どのお店もいくつかのネットメディアに
広告を出しているんですが、内容が一緒なんです。
それも、お店の名前さえ変えれば、どこでも通用しそうな
うわべのことだけが書かれたコピーとかレンタルフォトで
構成されているんです……。
京都に旅行する場合、かならずネットで情報を検索するはずです。
Googleで上位表示している大手サイトは、軒並みに
そういった内容です」
藤井は、確信を掴んでいるというか
何やらオーラをまとって話し続けている。
3週間前とはまるで別人だ。
それは、京都の様々なお店の代表者として
おれに「不」を代弁しているようだった。
「なるほど。確かに競合サイトを見る限り
中身は薄そうだね。でも、だったらうちはどうする?
スケールメリットじゃ勝てない。
つまり、情報量で勝つのは難しいぞ」
おれはするどく返した。
でも、藤井は動じない。
「はい。それは、ぼくも感じています。
ぼくがいろんなお店に出入りしている間にも
競合が顔を出していましたし。
でも、だからこそな企画があるんです」
藤井は、息を吸うために一瞬沈黙した。
語気を強めて言い放つ。
「紙で勝負します」
藤井の一言に、混乱した。
よりによって今さら「紙」?
詳しく話すよう、促した。
「突拍子も無い話に聞こえると思いますが、
いたってシンプルな話なんです。
なぜ、どこのサイトにも同じ情報が掲載されるのか?
それは、競合同士が情報をパクり合っているんです。
いや、本人たちはリライトと言うでしょうが、
何の工夫も見られませんので、コピーと言っていい。
広告原稿は、クライアントのOKが出ないと
入稿できません。テキストや写真が中心だから、
クライアントの好みや注文もあるでしょう。
それがゆえ、他社がOKをもらったものなら
間違いない。クライアントが掲載のGoサインを
出しているんです。それに従えばOKが出ないはずがない。
サイトとしても制作原価を圧縮できるし、
営業担当は何度もやりとりせずに済む。
では、Googleから見た場合、これらのサイトの
評価はどうなるでしょう? 同じものだから、
各個社間の評価に差は出ません。
早くGoogleにインデックスされたほうが、
良いに決まっているものの、大手2社を比較すると
あるクライアントはこっちが、早く、別のクライアントでは
タイミングが逆だったりする。結果、2社間に差は出ない。
2社はそれぞれ大手サイトだから、プロモーションを
全開している。
だから、カスタマーが京都の情報を探す、様々なルートで
待ち構えているわけです。結果、カスタマーは来訪する。
そしてこれが決定的な問題です。
毎月、完全流用もしくは、多少季節感を意識した
コピーや写真が使いまわされる程度の状態が続く。
では、サイトを見たカスタマーは
どう思うでしょうか?
毎月、同じような原稿が掲載されている。
情報のオリジナリティや更新性を感じられない……。
そんなお店に行きたいと思いますか?」
その質問の答えは自明だった。
おれは、首を振るでもなく
藤井と視線を合わせた。
興奮しているのだろう、顔が高調し
額には汗を書いている。
「どのお店にも京都ならではの、
それでいてオリジナリティの高い
商品やサービスがあるんです。
それらは、その店ならではの方法で紹介されるのを
待っているんです。
そして、それは、京都ならではのメディアに
掲載されるべきだ。
箔押しをご存知でしょう?
金箔や銀箔が表面に貼り付けられた
本を見たことありませんか?
京友禅の色彩も独特です。
あんな色合いや鮮やかさのバランスは
レティーナディスプレイでも再現できない。
京都の書体の力強さと繊細さ。
WEBフォントでも作れません。
紙は当然、電源も電波も必要ありません。
どこの大手サイトも、地域やジャンルによって
フォーマットの要素一つ変わらない。
すべて共通化している状況です。
この状態に京都オリジナルの技で対抗したい。
そして、極めつけですが、
紙はすぐにパクれません。
カスタマーの手に届けてから、
他社がネットに掲載する。
でも、オリジナルの情報はうちなんです。
ネットならではの細かい検索機能なんて
誰も求めていません。バラバラめくりたいんです。
友だちや彼氏とおしゃべりしながら、妄想したいんです」
いつの間に京都の紙や色彩、
書体のことを勉強していたのだろう?
ネットマーケティングとは真逆の発想だ。
藤井の言葉を聞くうちに、自分自身も
興奮し始めていることを感じていた。
発想はバカげているが、極めて筋が通っている。
世の中の多くのイノベーションは、
誰もやらないことから生まれている。藤井は続けた。
「ネットか紙か、の問題じゃないですよね?
それは手段の問題であって、
お客さまが望んでいるものが正解ですよね?」
父の口ぐせを思い出しながら
藤井の企画に賭けようとし始めている
自分がいることに気がついいた。
印刷業を実質廃業して
10年たっているらしい。
聞けば、今さら動くかも分からない
輪転機が1台残っているだけで
それをまともに動かせる人間なんて
残っていなかった。
ぼくは、秀さんと協力して
昔、働いてくれていたという職人たちに
片っ端から連絡を取った。
その結果、何とか一人の印刷技術者を
確保できるメドがたった。
でも、当初はかなり復帰を渋っていた。
どうやら、過去に急な退職をお願いしたらしい。
ぼくは、熱意を持って企画の意図を
説明することしかできなかった。
京都のお店がぼくたちを待っている、
大げさだがそれは事実だ。そして説得を続けた。
最終的には、先代である坂本さんの
お父さんの恩を報いたい、ということで
復帰を決めてくれた。
印刷機だけ動いても肝心な材料が無ければ
メディアは完成しない。
紙やインキなど、印刷に必要な資材は多い。
でも現在は、何も取引していない状態だ。
ここでも秀さんと協力して 取引先を探した。
時代の流れのせいか、古い取引先も
ほとんど廃業していた。
でも、唯一残っていた会社から
調達にこぎつけた。
ここでも、ぼくは企画の趣旨を
熱っぽく語ることしかできなかった。
結果、取引が再開できたのは、やはり
坂本さんのお父さんの力が大きかった。
「先代の恩を返せて嬉しい」と
前向きに取引を再開してくれたのだ。
みなさんの協力があって、
なんとか完成へこぎつけた。
坂本さんとは、企画をカタチにするまで
何度も話し合った。
18.2cm x 14.9cm。カラーで100pに決めた。
A4のちょうど半分くらいのサイズだ。
これなら女子のカバンにも入るだろう。
中身は広告+特集記事から構成した。
ぼくが企画段階に出入りした各お店はもちろん
旦那衆の声がけもあって、飲食店だけで
100社以上掲載できた。
京都市内30箇所以上のエリアが網羅されている。
これを京都市内と東京で無料で配布する。
製品の原価は完全に度外視していた。
「最初が肝心。カスタマーが手に取ってくれた時
どう思ってくれるのか? 全てはそれで決まる」
メディアがブレそうになった時、坂本さんと
確認しあった合言葉だ。
赤字覚悟での大勝負だ。
坂本さんが、ぼくに何度も語ってくれた言葉がある。
「神は細部に宿る、そのためには狂ったような
当事者意識が必要だ」
ただまともにやってもダメだということは、
自分も大手の側にいたからよく理解できた。
配布もすべて自分たちで行った。
カスタマーの手に届けるまでやり抜いた。
8万部も用意したが、
ものの1時間ですべて配り切った。
配ったその日のうちに掲載している店舗から
広告の反響が伝えられた。
急遽、増刷に踏み切った。
大手の攻勢を予想したが、
意外なほど静かだった。
不思議に思って掲載している
各店舗を回ったところ、
配布直後に大手各社の営業担当が
訪問してきたという。
ところが、意外な形で、
おれ達は守られていた。
なんと、多くの店舗が大手メディアへの
掲載の取りやめを求めたというのだ。
聞けば、うちに掲載したことで、
ブランドイメージが高まり
チープな情報を他社へ載せ続けることが、
かえってマイナスに働くことを
嫌ったのだという。
加えて旦那衆による
口添も大きかったようだ。
「うちらは本気で協力してくれる会社さんとしか
商売しないことにしたんですわ。取引したいんやったら
媒体から見直してもらわんとあきまへんわ」
「クライアントロックイン」と呼ばれる
情報を囲い込むビジネスモデルが存在する。
これは一般的にネットの仕組みを用いて実施される。
業界標準になれば、その仕組を使わざるを得ないから、
情報が集まってくる仕組みだ。
iPhoneもandroidもアプリを作りたければ、
Appleやgoogleのレギュレーションに従うほかない。
このビジネスモデルを、紙のメディアを使い、
クライアントとの信頼関係をベースに実現したのだ。
「信頼」というほど強いキラーコンテンツは無い。
藤井は、なぜ短期間にこんなに成長したのだろう。
もちろん本人にポテンシャルがあったということがひとつ。
でも、それに火をつけたのは、京都の街の人々であり
父だったのではないのか。
父はまだ生きている。あらたに藤井という人間の
心の中で。
ぼくのはじめての企画は、こうしてなんとか成功した。
でも、ここからが本番だ。
勝ち取った信頼なんて、ちょっとしたことでゆらいでしまう。
今回の仕事を通じて感じたのは、
信頼とは「期待に応えること」と「それを継続し続けること」
から成立するということだった。
そして、ぼくがちゃんと考えられていなかったのも
まさにこの2つができていなかったがゆえの
結果だったのだろう。
神は細部に宿るのだ。そのためには狂ったような
当事者意識で、期待に応え続けるために
努力するしかないだろう。
でも、一度企画の魅力に取り憑かれてしまったが最後、
もう努力とは感じなくなってしまうことを予感した。
まだ、まだ、企画屋としての喜びを味わい続けたい。
ぼくの企画屋としての人生は、まだはじまったばかりだ。
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