椿のある家
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:河本幸治(ライティング・ゼミ平日コース)
「胃カメラめっちゃしんどかったわ」
15時前、携帯電話の向こうで彼女は開口一番そう言った。30歳になったばかりの彼女はその日、会社の健康診断を受診し、ついでにバリウム検査と胃カメラも実施したのだ。その辛さたるやを冗談も交えて僕に語ってくれるのだが、初めての胃カメラを経験し、その語気には少し興奮している様子が伺えた。
「一応、化粧して行ったんやけど、涙と唾液でほぼほぼ流れ落ちるねん」
これまで1度も化粧も胃カメラも経験したことのない僕は、涙と唾液にまみれて化粧が流れ落ちている彼女の顔を想像すると少し笑いがこみ上げてきた。とはいえ自分も今年36歳。酒もタバコも減らして、そろそろ自分の体とも真剣に向き合わなければならない年齢であることを、彼女の話を聞きながら密かに思った。
僕らは秋に結婚が控えている。良い天気だ。この家を新築した時に庭に植えた椿の枝が、風に揺らめいた。
「ようがんばったやん、おつかれさん」
僕は彼女にそう言って電話を切った。
「胃」という一文字を聞いて、僕には思い出さずにはいられない事がある。
それは6年前の3月11日、あの震災の日だった。
その日、僕は仕事が休みだったので部屋で昼前に起きて、パソコンを開いて適当にネットサーフィンしていた。
15時前、「東北地方で震度6」というニュースが画面に飛び込んできた。震度6はかなりでかい。
腰を上げ、リビングに降りてテレビをつけて地震のニュースを追おうとした。
ちょうどそのとき母が帰宅した。玄関からリビングに入るなり、母は手荷物も下ろさぬまま、僕に言った。
「お父さん、ガンかもしれへん」
僕は母から発せられたその言葉を、まるで遠くの景色を眺めるように聞いていた。
父は先週から胃の不調を訴えていた。内科で検査を受けた結果、腫瘍が見つかった。末期の胃ガンだった。
テレビの画面には真っ黒い濁流が堤防を越えて建物や車を押し流す光景が映し出されていた。
これから大変なことになる。ショックは受けなかったが、テレビを見ながら僕はそう思った。
高校3年生のとき、現代国語の先生がある日の授業で、
「お前ら、ガン見たことあるか?ガン」
と急に言い出した。相手は全員16、7だ。誰も「ありますよ」とは答えない。
普段から少しファンキーな側面を兼ね備えていたその先生は、なぜかニヤニヤしていた。
どうやら先生の母上が先日ガンの摘出手術を受けた際に、執刀医に頼んで切除したガン細胞を見せてもらったらしい。
「ガンてな、めっちゃ固いねんで。これぐらいの石ころみたいな大きさやで」
右手の人差し指と親指でOKサインのように輪っかを作り、ニヤニヤ自慢気に語る先生を見つめながら僕は、石ころを思い浮かべていた。
高校の3年間、僕は1度も父と口を利かなかった。
思春期剥き出しの僕は、いつも夕方から酒を飲んではくだを巻く父が嫌いだった。母も辟易していたし、しょっちゅう喧嘩していた。そのせいで家の中には常に不協和音が鳴り響いていた。父は外でも酒を飲み歩いて深夜に帰宅。酔っ払いのガサツな物音で夜中に眠りから覚まされたことも何度もあった。
イライラさせられっぱなしだった僕は、高校生になってついに父と口を利かなくなった。
なので、高校卒業後に遠方の大阪の大学に通って1人暮らしをするのは僕にとっては念願だった。
実家に戻ったのは25の時。東京での生活もうまくいかず、手に負えない父を抱えた母にも懇願されて実家に帰ることにした。僕が実家に戻ってからも、父との関係や会話も高校時分と変わらなかった。ギスギスした家庭内。
僕は家族の絆を呼び起こすことよりも、再び家を出るチャンスを窺っていたが、収入が安定せず予定は未定になっていた。
それから6年経った2011年3月11日。母が父のガンの報せを持ち帰って来たのだった。
闘病生活が始まり、父は入退院を繰り返した。
主治医から、父の病状は転移も考慮して10ヵ月から1年の命だとキッパリ言われた。
主治医は母に延命手術を打診した。延命手術。僕と母の答えはイエスだった。
あんなに嫌いな父だったが、ざまあみろ、早く死んでしまえなんてことは思えなかった。
暗い入院生活を嫌がった父は手術までの約1ヵ月を、自宅で過ごしたいと言い出した。
僕は職場に無理を聞き入れてもらって休暇を取り、母と2人で父の看病に専念した。
父はもう自力で立つことも食べることもできなくなっていたのだ。
毎日決まった時間に父のパンツを脱がせておむつを替え、風呂で体を洗ってやった。
幼い頃、あれほど大きくて強かった父。高校時代1度も口を利かなかった父。そして今、ガンになって死期が迫っている父。
顎の筋肉が落ちて話すこともできない本人は、自分に死期が迫っていることをわかっているのだろうか。
僕はやせ細りきったその背中を洗いながら、父と2人きりの浴室で嗚咽に気付かれるのが恥ずかしくて蛇口を強く捻った。
ガンに冒された胃の5分の4を摘出する手術は、7時間にも及んだ。
術後の安堵の中で、僕はあの現代国語の先生の話を思い出していた。
ちょうど摘出した胃の入った箱を、台車で運んでいる執刀医を呼び止めて僕は思い切って声をかけた。
「先生、ガン見れますか?」
隣にいた母は驚いていたが、僕はどうしてもガンというものをこの目で見定めたかった。
「いいですよ」と、執刀した医師は意外なほどあっさり快諾した。
そのガンは、高校時代に現代国語の先生が言ったような石ころではなかった。
赤黒く変色した細胞の数々。
それは30年間の父と子の関係の中で蓄積されてきた、様々な感情が唸りを上げているマグマのように僕の目には映った。
これが、ガンなのか。
今年で父が他界し、5年目になろうとしている。僕はこの秋に結婚が決まり、色々と準備に取り掛かり始めているところだ。
もうすぐ夏には家を出る予定だ。
不思議なことに、最近になって庭の椿の枝が、母のリクライニングチェアーを覆うよう伸びてきている。
天気の良い日に、時々2人はそこで楽しそうに何かを話しているように見えることがある。
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