プロフェッショナル・ゼミ

彼女はすべて、お見通し。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》

記事:和智弘子(プロフェッショナル・ゼミ)
*フィクション

「お姉ちゃん、一緒に遊んでぇ」

私にとって、5歳年上の姉は、あこがれの存在だ。
人気者で、たくさんのお友達と遊んでいたし、運動も得意だった。
自治会が主催しているソフトボールのチームに参加していて、日曜日はいつもチームのみんなと楽しそうに練習していた。
おしゃべりも、とても上手で、姉の話してくれる、お友達との小さな冒険の話には、いつも引き込まれた。

私はというと、姉とは真逆の性格だった。
お友達は少しだけしか、いなかった。
幼稚園で、お話しできる子はいるけれど、それを「お友達」と呼んでいいのか分からなかった。
なんとなく苦手だな、と思うところがあると、すぐに一緒に遊べなくなった。
姉のおやつまで、欲張って食べていたから、ぷくぷくとフグのように太っていた。運動神経も悪かった。ソフトボールなんて、触りたくもなくて、姉の練習にくっついて見に行ったとき「ナオちゃんも一緒にやらへん?」と誘われても、聞こえないふりをしていた。

空想の世界に浸ってばかりいた私は、人と話すことも苦手だった。
アニメのドラゴンボールや、まんが日本昔話のオープニングを見るたびに「竜って、本当にいるんやろか? 干支にもいるぐらいやし、大昔はいたんやと思う?」と不思議なことばかり言って、母を困らせたりしていた。

私にとって姉はあこがれの存在だったし、「姉の言うことを聞いていれば何も間違いない」と思えるほど、私にとって神様のようにも感じていた。
姉が少しでもヒマそうにしていると、一緒に遊んでと、せがんで離れなかった。
姉のおしりにくっついて離れない、金魚の糞のように。

姉は、いつもぴったりとくっついてくる私の存在を、うっとおしく感じたこともあるに違いない。

けれど、姉は優しかった。
ぴったりとくっついて離れない、金魚の糞の私を邪険に扱うことはなかった。
お友達の輪に「妹も来ているから、混ぜてあげて」と入れてくれたりした。

しかし、姉は、優しいばかりではなかった。
姉はずるがしこい一面も持ち合わせていたのだ。

私は絵を書くことが大好きで、新聞広告に入っている片面だけが印刷された、裏の白いチラシに、色鉛筆で絵を描いて遊ぶことが好きだった。スケッチブックを買ってもらうこともあったけれど、すぐにページを埋めてしまうため、チラシの裏でもいいや、と思うようにしていた。
女の子の絵や、お花の絵を描くことが多かったけれど、ときどき空想の生き物を描いたりしていた。竜や、宇宙人のような得体のしれない生き物を紙いっぱいに描いて満足していた。
だけど、ある日私は、紙に絵を描くだけでは物足らなく感じてしまった。
「階段の途中にある柱の黒いところ、なんか、宇宙人の顔みたいやなあ」
そう思うと、柱の節が宇宙人の顔にみえて仕方がなかった。
体を書き加えたくて、たまらなくなった。
……母は、テレビに夢中だし、二階には誰もいない。姉は遊びに出かけたばかり。
今なら、ちょっと描いても、ばれへんかな?

そう思って、紫色の色鉛筆を手に持ち、階段をそろりそろりと上がっていった。

家の階段には、窓がついていなくて、薄暗く光が差し込んでこない。
昼間でも、薄暗くて、電気をつけなければよく見えないぐらいだ。

階段の途中にある柱の節は、すこしいびつな楕円形で、まんなかに小さなヒビがふたつ入っていた。
「やっぱり、このヒビのところ、宇宙人の目みたいに見えるなあ」
自分の思い描いていた通りだった形に満足して、私はその柱の節を宇宙人の顔に見立てて、体を描き始めた。柱は、いつも描いている紙よりもボコボコしていて描きにくかった。
けれど、そのボコボコした描き心地も、これまでに体験したことない感覚で私を夢中にさせた。

その時。
ガラッと大きな音をたてて玄関の引き戸が開いた。
「ただいまあ」
帰宅を知らせる姉の声が、家の中に響き渡った。

……どうしよ。
突然の姉の帰宅に、私はうろたえた。
玄関から一歩進むと、階段がほとんど丸見えになるのだ。

階段の途中で、壁に向かって座っている私は、だれがどう見ても怪しいだろう。
だけど、私は柱の宇宙人に夢中でわざとらしく「今、階段から降りてきたところですよ」というような演技なんてとっさにできるはずもなかった。

変な姿勢で固まっている私の姿をみつけた姉は、私の目をしっかりと見た。
確実に、私と目が合っていた。
けれど「なにしてるん?」とは聞かなかった。何事もなかったかのように靴を脱いで、母のいる部屋に向かって歩いて行った。
姉は「由美ちゃん、急に用事できたんやって。せやから帰ってきてん」と、お友達と遊べなくなった理由を母に報告していた。

お姉ちゃん、見てへんかったんかな?
ちょっと、ホッとした。
夢中になって、柱に宇宙人の絵なんて描いていたけれど、冷静に考えてみると、単なる落書きだ。お母さんにばれたら、怒られるに決まっている。
お姉ちゃんに、見られたと思ったけれど、たぶんお母さんには言わんといてくれるはず。

なんとなく、楽観的な気分になって、私はそっと階段をおりた。筆箱に色鉛筆をしまってから「お姉ちゃん、おかえりー」と、何事もなかったかのように、母と、姉のいる部屋にいって、みんなで母が焼いてくれたホットケーキを食べた。
姉と私がホットケーキを食べているときに、母が「そろそろ洗濯物、取りこまないと」と、二階へ上がっていった。
母が二階に上がりきったことを、足音で確認した後。
姉がわたしに、問いかけてきた。
「なあ。さっき、階段で何してんたん?」
私は、一瞬、言葉に詰まった。
柱に絵を描いていたことを、素直に言っても大丈夫かな?
お姉ちゃんは、いつも私の味方やし……。優しいし……。
でも……。
口ごもっていると、「なんか、鉛筆持ってるみたいに見えたけど?」

ああ。
やっぱり、お姉ちゃんには、見られていたんや……。

「あんな、階段の途中のな、柱やねんけど……」
「うん」
「あそこにな、宇宙人がいてな……」
柱に描いた落書きが、悪いことだと、だんだん気が付き始めていた私は、姉に怒られるんじゃないかとびくびくしていた。
「どうしても、体をかきたくなって……」
「ふーん。そうなんや。ナオちゃん、落書きしたんやね」
「……うん」
「お母さんは、知ってるん?」
「……知らん」
「ふぅん」
姉は、そういって、少し考えるそぶりをしていたけれど、その後にニッコリと笑って私を見た。
「お母さんに言ったら、怒られるやろうから、内緒にしといてあげるわ」

やっぱり、お姉ちゃんは、私にとって神様みたいやわ。
お母さんに内緒にしといてくれるなんて。

「……でもな、タダではあかんで。内緒にしとくかわりに、お姉ちゃんの言うこと、聞くんやで」
そう言って、笑顔で私を見つめてきた。

お姉ちゃんは、何を言うてるんやろう?
いつでも、お姉ちゃんの言うこと聞いてるつもりやけどな……?

姉が出した内緒にしておくための条件が、いまいちピンと来なかった。

しかし、その私の考えは、とてつもなく甘かった。
たっぷりとメープルシロップのかかったホットケーキに、練乳と生クリーム、チョコレートソースのトッピングを加えたほどに。

姉は、ことあるごとに、「なあ? ナオちゃんも、そう思うやろ?」と
私の意見が姉と一緒であることを求めてきた。

夕飯のおかずは何がいい?
おやつは何を食べたい?
見たいテレビ番組はどれ?
遊びに行きたい場所はどこ?

何かを決めるときになると、姉はいつも少し考えてから、
「今日はカレーがいい!」とか、「4チャンネルのアニメじゃなくて、8チャンネルの歌番組が見たい!」など、自分の思うままに意見を言った。そして、その後に
「ナオちゃんも、そう思うやろ?」と、必ず確認するようになった。
私は、同じ意見のときも多かったので「うん、今日はカレー食べたいわ」など、同意していた。けれど、姉とは5歳も年が離れていたし、なにもかもすべてが同じ意見ではなかった。私がうっかりと「えぇー、アニメ見たい……」とでも言おうものなら、私の顔をちらりと見て、声にはださず、口をパクパクさせながら「はしら」と、私に合図してきた。母がその場にいなくなってからは、「柱のこと、お母さんに言うてもいいの?」とこっそりとつぶやくのだった。

私は姉におどされはじめた。
姉に弱みを握られてしまった。
神様だと思っていた姉は、神様なんかじゃなかった。
神様のように見える、仮面をかぶっていただけだった。

もちろん、おどされた、といっても大したレベルの話じゃない。
おこずかいをよこせ、などといった具体的なことは要求してこない。
けれど、何かを決めるときに、「ナオちゃんも、そう思うやろ?」と、目に力を込めて私に「うん」と言わせようとするのだった。

母は、違和感があるようだった。
「お姉ちゃん、ナオちゃんは違う意見みたいやねんから。ナオちゃんに同意ばっかり求めたらあかんよ」そういって、母は、姉に度々注意していた。
姉は、不服そうに、口をとがらせていた。

私のせいで、お姉ちゃんが注意されている。

そう思うと、とっさに、「うちもお姉ちゃんが選んだやつ、好きやもん!」と、なぜか全力で姉をかばうようになっていた。
姉におどされていたとしても、私は姉が好きな気持ちは変わらなかった。
ただ、少し、怖いと思い始めた。
優しかった姉の、なんだか怖い一面を、私が引き出してしまった……。
そう感じ始めていた。

何度も、柱の落書きを消そうとした。
姉のことも、怖くなってきていた。
お姉ちゃんは、いつまで私をおどし続けるつもりなんやろう……?
そう思うと、私の落書きが、姉の人生までも狂わせてしまったんじゃないのかと、悩み始めていた。
おどされ続ける以上に、私はだんだんと罪の意識に悩まされ始めたのだった。

この絵がある以上、私は一生びくびくしながら生きていくんかなあ……。
階段を上り下りするたびに、宇宙人の絵が気になって仕方がなかった。
真っ黒な色鉛筆で心の中をぐちゃぐちゃと塗りつぶされたように、惨めな気持ちでいっぱいになった。
柱の落書きは、色鉛筆でしっかりと描かれていて、私が持っているプラスチック消しゴムでは、きれいに消すことはできなかった。紫色の色鉛筆で描かれた、宇宙人の体は、薄くはなっているものの、消えずに残っていた。むしろ、その絵は、体の輪郭がうっすらとしたおかげで、宇宙人がタイムトラベルか、瞬間移動でも始めるのかと言わんばかりの怪しさを醸し出していて、さらに宇宙人らしさが強くなっていた。
何度消そうとしても、その絵は消えなくて、階段には消しゴムのカスがバラバラと散らばっていた。

……やっぱり、ちゃんと謝ろう。
落書きしたことを、お母さんに謝ろう。
その前に、お姉ちゃんに、言おう。
もう、お母さんに謝るって。
私はようやく、そう心に決めた。

「おねえちゃん、あんなぁ……」
姉とふたりでいるときに、私は母に謝る決意したと、姉に告げた。
「お母さんにな、謝ろうと思うねん。柱に落書きしたこと。ずっと黙ってるのも、嫌やし」
お姉ちゃんのことも、怖くなってきたから、とは言えなかった。

姉は少しだけ、ほっとしたような表情を見せたが、すぐに慌ててこう言った。
「ナオちゃん、お母さんにな、お姉ちゃんがイジワルしてたって、言わんといてくれる?」
「イジワルって……。そんなん言うつもりないよ」
「絶対やで!」
「うん」
そういって、姉は私に念を押していた。

「お母さん、ちょっといい?」
「なんや? 今、洗濯物たたんでるところやから、終わってからでもいい?」

母は、山のように積まれた洗濯物をせっせと畳んでいた。
「ナオちゃんも、タオルたたむの、手伝ってくれる?」
「はぁい」
そういって、私は洗濯物のタオルを母と一緒にたたみ始めた。

「……お母さん、あんな」
「なんや?」
私は、思い切って話し始めた。
「うち、階段の、柱のところにな……」
「うん」
「……落書きしてん」
絞り出すように、小さな声で母に伝えた。
「……消しても、消しても、消えへんねん」
そこまで言えた安堵感から、涙が止まらなくなってしまった。
「もっと、早く、言わんとって、思っててんけど、言われへんかって。ごめんなさい」
しゃくりあげながら、母に謝りつづけた。
きれいにたたんだタオルを、ぐしゃぐしゃにしながら、私はごめんなさいと、謝り続けた。

母は、ふうっと大きく息をついて
「ようやく、言うてくれたんやねえ」
と、泣いている私の頭をなでた。

「え?」
涙と鼻水にまみれた顔をあげて、母の顔を見た。
母は笑っていた。
「お母さん、知ってたよ。階段の途中の柱の絵のこと。宇宙人か? あれ」
「え……? なんで? お姉ちゃんに聞いたん?」
「お姉ちゃんには聞いてへんよ。あ、お姉ちゃんのことも、知ってるから心配せんでいいんやで。ほんまに、もう。さっさと言えばいいのに」
うかつに、お姉ちゃんの名前を出してしまったことを「しまった!!!」と思っていたが、母は、お姉ちゃんのことも知ってる、というではないか。
ますます、良く分からなくなってしまい、戸惑っていると、母はこう続けた。

「まず、ナオちゃんの落書きが分かったのは、消しゴムのカス。階段の掃除してたら、変なところに消しゴムのカスが散らばってて、変やな? って思ってきょろきょろしてみたら。なんか落書きがあって、ピーンときたわ!」
「……消しゴムのカス?」
「せやで! お母さんの観察力をなめたらあかんでー」
母は、少しおどけた様子で話してくれた。あまりにも私が泣き続けているから、安心させようとしたのだろう。
「あとな、お姉ちゃんのこと。なんか、急に『ナオちゃんも、そう思うやろ?』ってしつこく言うてるなって気になって。なんか、隠してない? って、さっき、お姉ちゃんに聞いたんよ。そしたら、自分から言うてくれたわ」
「え……? さっきって、いつ?」
姉に、「落書きのことを母に言う」と告げたのは今朝のことなのに。
「もう、今さっきやで。15分くらい前かな。お姉ちゃんは、ベランダで洗濯物を取り込むの手伝ってくれてたから」
……なんや。
お母さんには何もかも、すべてお見通しやったんか。
こんなことなら、もっと早く、ちゃんと謝れば良かったな……。
真っ黒な色鉛筆で塗りつぶされていた心の中が、洗ったばかりの洗濯物のように、真っ白になった。

「せやで、ナオちゃん。悪いことしたなあ、って思うんなら、もっと早く、正直に謝らなあかんよ!」
そういって、母はたたみ終えた洗濯物を持ち、よっこいしょ、と立ち上がった。
「お母さんは、なんでも、ちゃあーんと分かってるんやからね」
母は、階段の上にいる姉にも聞こえるような大きな声で、こう言った。
「おやつにホットケーキでも焼いて、みんなで食べよか」

母が焼いてくれたホットケーキは、甘くて美味しかった。
メープルシロップとバターがたっぷりと沁み込んでいるホットケーキを、私と姉は、並んで食べた。
ふたりとも泣きぬれて、少し、腫れぼったい目をしながら。

食べながら、姉は、私にそっと話しかけてきた。
「お母さんって、なんでもお見通しで、神様みたいやと思わへん? ナオちゃんも、そう思うやろ?」
私は大きくうなずいた。

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