ゆとりが開き直れば世界を変えてしまうかもしれない
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記事:なみ(ライティング・ゼミ)
「これだからゆとりはさ……」
仕事中、こんな会話が聞こえてきた。
ここは事務所の中。
先ほど、私を叱った40代男性社員が、他の社員へ愚痴をこぼしているのが聞こえてくる。
事務所に20代は私一人だけ。
この「ゆとり」は私を指していることは明らかだった。
そもそもゆとり教育とは、急に湧いて出た新しい発想ではない。
むしろ、古い日本流の教育にさかのぼる狙いがあったのだ。
昔は近所の物知りなお年寄りが、様々な知識を子供たちに教え、地域全体で子供を育てる雰囲気が根付いていた。
学校で教える勉強だけではなく、視野を広げて、高度経済成長期に活躍した先人たちのような人材を育てるため、子供の人生の幅を広げさせる狙いがあった。
そう日本史の専門家から聞いたことがある。
もちろん、ゆとり教育を浸透させるには、本人たちの幅広い物事への好奇心が必要不可欠であるが、地域全体で子供を育てるという視点から、周りの大人たちの理解や協力も必要だったのだ。
しかし、核家族世代がほとんどを占める現代社会では、地域教育、つまり「ゆとり」の考え方は、やはり難しかったのだろう。
こうしてほとんどの大人世代は、ゆとり教育を理解せず、ゆとり教育は失敗した、とされている。
個人主義の世代に、全体主義の教育を無理やりねじ込んでも相反する、やがては人間関係でも。
今では、テレビでも街中でも何かとつけて、ゆとり、ゆとり、ゆとり……
もううんざりだ!
入社したばかりである私は、どんどん自分の酷評が耳に入るたびに、パソコンの画面に前のめりになった。
今に見てろ。
そう、心を燃やしながら。
こんなに執念を燃やしてしまうのはきっと、前の会社でお茶出しをした経験があったからだ。
1年前、私は別の会社で働いていた。
そこでは、社内の半数以上が女性社員で占めていた。
各部署ごとに、お局、といった雰囲気をまとったおばちゃん社員がおり、こうした複数のお局社員によって、お茶出しのマナーを鍛えられた。
女だけがお茶出しなんて古い?
いえいえ、それは幸運なことだった。
女らしさの欠片もなかった私にとって、「お茶を淹れる」、これだけでも、相手への心遣いを学ぶ貴重な機会だったし、会社にいる、多くのお局社員たちは、叱咤激励をしながらも一生懸命に教えてくれる。
ありがたいことだった。
しかし、どうしても解決できない問題が一つあった。
それは、指導してくれるお局によって、微妙にお茶出しのやり方が違うことだ。
些細な事なのだ。
おしぼりを出す、出さない。
お客様が来る前から、湯呑と茶たくはセットしておく、セットしないで棚の中に入れておく。
お茶っ葉を二度ごしをする、しない。
ここで挙げたのは、ほんの一角。些細な事まで各々こだわりがあり、違うと指摘を受けるのがやや面倒だった。
このことに気づいた当初は、お茶を淹れる時に、その都度ついてくれているおばちゃんの様子を伺いながら、恐る恐る淹れていたのだが、それでもちょっとしたことで指摘を受ける。
そんな指摘をされる日々が続き、ある時思ったのだ。
ああ、どうせ何しても言われるんだと。
もちろん、私だって、指導をしてくれる人それぞれのやり方に合わせるようにしていた。
この人と一緒の時はおしぼりも出そう。
この人の時は、直前まで湯呑は閉まっておこう。
それでも、ほころびは必ず出てしまうのだ。
もちろん、お茶出し一つでも、何度も何度もやれば、手際もよくなってくる。
自分では完璧にこなせていると思っても、経験豊富な人から見ると、良くなってきているからこそ見つかる、新しい指摘があるのだ。
指摘されないように頑張ろう、そんな完璧主義を求めていた私だったが、考え方を変えた。
自分ではどんなに完璧だと思ってやっても、経験豊富な人が見れば、まだまだ未熟者だ。
それならいっそ自分が思う通りに思いっきり、やってみよう、と。
そんなこんなで、叱咤激励の日々はしばらく続いたが、更に時が過ぎると徐々に、お偉いお客様相手でも、一人で任されるようになっていった。
難しい対応相手に、真っ先に声を掛けてもらえるようになったのが、認めてもらえているようで嬉しかった。
どうせ何やっても指摘をされる。
それなら自分が思うとおりに、思いっきりやってみようじゃないか。
この考え方は、ゆとり世代の私自身が思う、世間が向ける「ゆとり」への冷たい視線の対処法にも繋がった。
ゆとり世代の私たちは、何かにつけて「ゆとりはこれだからダメだ」と言われる。
言われないようにしようと、いい若者になろうと努力をしたって、どうせ言われるのだ。
ちょっとしたほころびを拾われて「これだからゆとりは」なんてセリフを。
こんな言葉に落ち込む必要はない。
さぁ、開き直っていこう。
何をやっても「ゆとりだから仕方ないね」、と言われるのであれば、いっそのこと思いっきり「ゆとり」になりきってやろうじゃないか。
そして、実際に「ゆとり」になりきってみたのが、つい3か月前の出来事だ。
それはちょっとした成功体験になったので、お話をさせて頂きたい。
仕事の都合で、まちづくりの講演会を聴ける機会があった。
繁忙期の最中、会社で私一人、勉強して来いとのことで派遣された。
ちょっぴり緊張しながら会場に向かうと、そこで登壇された方は、東日本大震災の発生当時、被災地の市役所で復興の指揮を執った方だった。
彼の話の一言一句が知識の塊で、講演中ずっとノートからペンを離すことはなかった。
とても感動した、ぜひ話をもっと聞きたい。
あっという間の1時間、終わった後に拍手をしながら、そんな感情が残った。
講演後、彼の周りには名刺を持った色んな会社の中堅社員たちが列を作っていた。
次々と名刺交換しているが、他の人に気を遣って、あいさつ程度の会話しかしていないようだった。
列が途切れたタイミングを見計らって、どうしても話をしたくて声を掛けに行った。
どう思われてもいい、絶対自分の糧になるはずだから話をしたい。そんな気持ちを奮い立たせながら、勇気を出して声を掛けた。
「お疲れのところ申し訳ございません、少しだけでいいです、お話しさせて頂いてもよろしいでしょうか」
いきなりノートとペンをもった小娘が現れたのだ、驚いたような様子だった。
どうぞ、という言葉を聞けば、用意していた質問を投げかけた。
「防災に関わる仕事がしたくて、今の会社に入ったばかりの新人なのですが、防災を考える上で一番大事なことは何だと思われるか、お聞きしたいです」
常識がない新社会人、ゆとり、そう思われたかもしれない。
それ以上に、質問内容がおかしかったのかもしれない。
周りにいた他の先生方も大きな声を出して笑った。
目当ての先生も、それは同じで、笑いながらもご自身の考える防災について、話をしてくれた。
とても嬉しかった。
ノートを握りしめて必死にペンを走らせた。
そして彼は最後に、名刺を渡してくれた。
「いつでも連絡しておいで」
そんな言葉を添えて。
恥ずかしさは残ったが、そんな感情が下らないと思えるほど、とてもいいお話を聞けた。
ああ、思い切って声を掛けてみて良かった。
そんな小さな達成感を感じた。
別に、私は美人な訳でも可愛い顔をしている訳でもない。
とにかく一生懸命に話しかけた、ただそれだけだ。
何もかもが平凡な私でも、こんな体験が出来たのだから、世の中の多くの人が出来るはずだ。
「相手に失礼のないようにしなさい」
「言われた事をその通りに聞きなさい」
私たちには子供のころから、「良い子供」になるための細かいルールが存在する。
大人になってもそれは同じで、社会人には、社会人の先輩が決めた「良い社会人」になるためのルールがある。
しかしそれは、個々人や会社によって微妙に違う。
子供の頃と違って、良し悪しでは判断ができないルールが世の中にはいっぱいある。
それゆえ、上の世代が求める社会人像は、人それぞれだ。
子供の頃は、学校の先生が言う通りにしていれば、いい生徒になれた。
これからは、立派な社会人になろうと、言うことばかり聞いていても絶対言われるのだ。
「これだからゆとりは」と。
だったら受け身ではなく、自分の思うようにやってみよう。
どう思われたっていい。
何を言われたっていい。
だって、どうせ私たちは「ゆとり」だもの。
何をしたって「これだからゆとりは」と思われるには変わりがない。
だったら、どうせ何をやっても変わらないことを、バネにして飛び込んでみる。
憧れの人
やってみたいこと
行ってみたいところ
思い切って連絡を取ってみよう
挑戦してみよう
行ってみよう
非常識だって思われたっていい。
バカなやつだ、なんとでも言うがいい。
だって、どうせ私たちは「ゆとり」だもの。
ちょっとした勇気があれば、どんどん世界を開いていける。
様々な人たちと繋がって、幅広い知識を吸収していく。これこそ、ゆとり教育で育ったゆとり世代の強みだ。
大丈夫、少しくらい失敗をしたって、いつも通りこう言われるだけだ。
「これだからゆとりは」
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