訪問販売のお姉さんにジャンケンで勝てば、ムフフな展開が待っている!
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記事:牛丸ショーヌ(ライティング・ゼミ平日コース)
ときは1999年の7月。
ノストラダムスが予言した「恐怖の大王」は果たして空から降ってくるのか?
大学生の僕にとっては、世界がどうなろうと知ったこっちゃない。
いっそ、さいとうたかおの漫画「サバイバル」のような刺激的な展開になったら、面白いかもしれないなどと不謹慎な妄想をしたりする。
今日はバイトのシフトも入れていないため、自分から行動しない限りは、一日中用事もなく平穏無事に過ごす日となりそうだ。
僕の住んでいるこの部屋は、学生向けの1ルームなのにロフトが付いているため、普段はそこで寝ているのだが、高いところにある分、朝は太陽の光がカーテンから漏れ入り、まぶしくて目が覚めてしまう。
昨夜は深夜までテレビゲームをしていたため、まだ眠い。
冷房を点けて二度寝でも決め込むかと、ぼんやりした頭で考える。
「ピンポーン」とインターフォンが鳴った。
この築10年のアパートの設備はまだ新しく、インターフォンの音もクリアーだ。
枕もとの目覚まし時計は朝の10時を若干過ぎたあたり。
どのみち、そろそろ起きる時間だ。
「ピン、ポーン」とピンで1度止まったような気がした。
その分、ポンの音が力強く室内に響き渡る。
「ごめんくださーい」
若い女性の声だ。
ロフトから階段を下る。
「はい、はい」
間取りは6畳の1ルームにロフト付。
ドアの外からでも部屋の中にいる気配を悟られる程の狭さだ。
在宅していることはバレているだろう。
この部屋を訪ねてくるのは新聞か、宗教か、英会話学校の勧誘と相場が決まっている。
面倒くさいと思いつつも、若い女性の声に期待を持ちドアを勢いよく開ける。
「あ、こんにちは」
そこには、黒のパンツスーツを着た女性が過剰な程の笑顔で立っている。
「は、はい」
僕は緊張した声を気づかれないように平静を装う。
大学2年生の20歳で童貞、もちろん生きてきた年数と等しく彼女がいたこともない。
そして、サークルにも入っていないし、バイト先は男性ばかりの職場ということもあり、若い女子と話すことに圧倒的に慣れていない。
目の前の女性はとびっきりの美人だ。
しかも黒髪のポニーテール。
僕の好みのど真ん中ストライクときた。
ほんのりと、魅惑的な臭いが漂う。
大人の香り。
「えーっと、学生さんですか?」
「あ、はい」
「もしかしてF大?」
「あ、はい」
「へぇ、そうなんだぁ。何年生?」
「あ、はい。あ、じゃなくて2年生です」
「えぇー、若いねぇ。わたし23歳なんだよ。あまり、変わらないね」
「あ、はい」
「もう、そればっか。面白いね」
「あ、はい。えへへ」
「わたし、牧田っていいます」
「あ、はい」
「えっ、名前教えてくれないの?」
「あ、はい。あ、じゃなくて、ワクダです」
「ワクダくんっていうんだね」
「あ、はい」
そこで彼女はいきなり右手を差し出してきた。
「よろしくね!」
僕は何が何だか分からないまま、彼女の右手を握り返す。
「ワクダくん、時間いま大丈夫?」
「あ、はい。今日は特には何もないので……」
「そう? よかった」
牧田さんはポケットから皮の小物入れを取り出し、そこから1枚の名刺を出した。
「わたし、こういう会社に勤めてます」
名刺の上半分近くに大きな文字で「快適な睡眠ライフを」と書かれていた。
その下には「株式会社スリープシープ」とある。
右下には羊っぽい漫画のキャラのような絵があった。
僕はその名刺を受け取ったが、特に何を答えてよいか分からないので無言だった。
「ワクダくんって、いまフトンはどんなの使ってる?」
「フ、フトンですか? えっと、ロフトにベッドを敷いてますけど……」
「へぇ、この部屋にロフトあるんだね」
「あ、はい」
「ベッドって大きなやつ?」
「あ、いや一人用の小さいのです」
「あのね、ベッドってさぁ、敷きっぱなしでしょう?」
「あ、はい」
「知ってる? ベッドはすぐに埃が溜まるし、寝ている間に汗がたくさん染みてるから衛生上、悪いんだよ」
「え、あ、そうなんですか」
「絶対にダニとかたくさん繁殖してるよー」
「え、そうなんですか?」
「身体がかゆくなったりしない?」
「あ、えーと、そういえばたまに……」
「ほらね、やっぱりぃ」
彼女は距離を詰めてきた。
「ちょっと、ここじゃあれだから、玄関に入っていい?」
「あ、え、は、はい」
牧田さんは半ば強引にドアの内側に入ってきた。
玄関といっても、1ルームなので、スペース的には恐ろしく狭い。
彼女はバックを置くと、中をゴソゴソとしている。
美人で僕のタイプのお姉さんが部屋の玄関まで入ってきた状況は嬉しいが、何だかイヤな予感がした。
何か勧誘をされるのだろうか?
フトンのことを訊いてきたが、何か関係あるのか?
「ほら、これこれ。見てくれる?」
パンフレットのようなものを出してきた。
受け取ってみるとA4サイズの1枚のチラシだ。
「いまね、学生さん向けにキャンペーンやってるの」
そこには「学生さん向け 夏でも快眠生活」と書いてある。
「ワクダくんのようにベッドを使っている人用の吸水性に優れた敷パットと、この季節でも気持ちよいシルクの肌かけ布団をキャンペーンで販売してます」
「は、はぁ」
「いくらだと思う?」
「え、え、まぁ、どれくらいですかね」
僕がフトンの値段なんて知る由がなかった。
一人暮らしが決まったときに親が買ってくれたベッドと実家で使っていた布団一式をそのまま持ってきただけだ。
「普通はね、このセットだったら30万円なのよ」
30万円と聞いても現実感がない。
「それが、学生さん応援価格で9万8000円なんでーす」
「あ、はぁ」
3分の1になるものなんだ。
率直に驚いた。
「ワクダくんさ、いまのベッドってすごく不潔な感じじゃん」
見てもないのに、失礼な言いようだ。
「どうかな、買ってみないかな?」
一瞬、考えた。
確かに、今日だって太陽が昇るとともに室温もあがり、冷房なしでは部屋でも快適に過ごせなくなってきている。
汗っかきな僕は寝汗を多量にかいているのも自覚している。
これを使えば、快適になれるのかな?
いや、無理だ。
まず10万近くの大金をフトンに使うこと自体、僕の頭にはない。
「あ、いや、お金ないですよ」
僕はやんわりと断った。
「ワクダくんは2年生ってことは20歳になったのかな?」
「あ、はい。20歳です」
「バイトしてるって言ってたよね?」
「あ、はい」
「そしたらね、いいのあるんだよ」
牧田さんは再び、バッグの中から書類を取り出してきた。
「はい、これね。いま、10回払いまで無金利で分割払いできるキャンペーンやってます」
「え、そうなんですか」
「だから、10回分割なら月9800円で買うことができまーす」
30万円が10万円になるキャンペーンに加えて、10回払いまで無金利のキャンペーンもって、何てお得なんだろう。
「あ、でもこれね。100人限定なんだけど、昨日までで81人が買ったのね。だからあと19人なんだ」
僕の他に、もうそんなに購入しているのか。
考えてみればそうかもしれない。
こんなにお得だったら、買う人が大勢いてもおかしくない。
月に9800円。
バイトで払えるお金だ。
しかもたったの10カ月間だけ。
確かに今後、僕に彼女ができて部屋に泊まりに来たとき、そういう状況になれば、綺麗なフトンは必要かもしれない。
「ワクダくんのフトン、気持ちいい」って言われるかもしれない。
清潔感があるほうが好感度もあがるだろう。
よし、いける。
買いたい。買おう。買える。
ただ、今まで大きな買い物といえばライダース(皮ジャン4万円)をバイト代を貯めて購入したくらいで、10万円もする高価なものは買ったことないし、ましてやローンなんて初めてだったので親に相談したいと考えた。
「あの、そしたら買おうと思います。で、でも一度、両親に相談してもよいですか?」
「ワクダくんは20歳なんだから、親に相談しなくてもいいじゃない?」
「は、はぁ」
「もう大人なんだから、ローンだって一人で組めるし、自分で決めることが大事だと思うよ」
「うーん、まぁ、そうなんですけど」
「ワクダくんが払うんだから、自分が買うと決めたなら、親に相談するなんてしなくていいと思うなぁ」
「う、うーんまぁ。で、でも、やはり」
牧田さんは食い下がる。
こんなに美人で愛想がよいのに、僕の話を聞く気はないようだった。
かれこれ、10分以上は時間が経過しただろうか。
僕はローンというものを初めて使うので、注意点などを親から訊きたかっただけなのだ。
電話の1本するくらい別によいではないか
僕は何だか、もうどうでもいいような気になりかけた。
「ワクダくん、分かった。どうしてもっていうなら……」
「は、はぁ」
「あのね。他の人には絶対に内緒にしてね」
「えっ」
「わたしとジャンケンして3回連続で勝ったら、してもいいよ」
「は、は?」
「3回連続だよ、連続で勝ったら、してもいいよ」
僕は混乱した。
「してもいい」とはその、つまりアレのことだろうか。
牧田さんにジャンケンで3回連続勝つと、僕も晴れて本当の意味での「おとこ」になれるということなのだろうか。
「ほ、ほ、本当ですか?」
「本当です。わたしウソつきません。でもね、1度でもワクダくんが負けたら親に連絡しないで、フトン買ってちょうだいね」
「は、はい。まぁ、いいですよ」
僕は「全く興味はないが、しょうがないなぁ」という体で答えた。
夢にまで見た僕の卒業式がこんなかたちでやってこようとは……。
その後、僕は人生における「運」を全て使い切ってもいいという強い思いで決戦に挑んだが、牧田さんと「いいこと」をする願いは叶わなかった。
3回連続で勝つ可能性は27分の1だ。
しかも、3回連続で勝っても、勝てなくても結局はフトンを「買う」ことになっていたことを後ほど知ることになる。
ローン用紙を記入して、銀行の印鑑を押すと彼女は「一旦、事務所に戻るね」と出て行き、2時間後の昼過ぎにフトンの実物を持ってやってきた。
「ワクダくん、ローン大丈夫だったから。夕方にローン会社から電話があったら、適用にハイ、ハイって答えておいてね」
「はぁ、分かりました」
フトンは予想以上に軽かった。
シルクってこんなに手触りよいのか。
その場で、包んであったビニールを剥がされ、フトンをセッティングまでしてもらった。
その後、何ごともないまま、「じゃあね」と言って牧田さんは帰っていった。
僕は何だか、騙された気分になった。
牧田さんのことを少しだけ、キライになった。
でも、牧田さんのような美人に騙された自分って少し、カッコいいとさえ思った。
何だろう、この気持ちは。
その日から3日後。
もともと友人の少ない僕だったが、高校で唯一仲が良く、今でも友人関係を続けている桜井に電話してみた。
桜井は僕より偏差値が高い大学に行っていて、インターネットも巧みに使いこなす頼れる存在だ。
「実はさ、3日前のことなんだけど……」
事のあらましを全て桜井に話した。
「それさ、完全に騙されてるやん」
桜井は呆れるようにそう言った後で、牧田さんがいかに僕を言いくるめていったかを事細かに説明してくれた。
「消費者センターに相談するべきやね」
「なにそれ?」
「まだ3日なら、クーリング・オフ使えるしね」
「クリーニングオフ?」
僕が牧田さんの美しさに見惚れて、フトンを買ってしまった恥ずかしい「罪」をきれいにクリーニングするってことか?
驚くべきことに、僕はその2日後にフトンの購入をキャンセルすることができた。
桜井のアドバイスに従い、電話帳で調べて消費者センターというところに電話を架けて、事情を説明したのだ。
すると、その消費者センターの相談員が牧田さんの会社に連絡してくれたようで、翌日の午前中に彼女が自宅にやってきた。
もう1人、作業員のような男性が一緒に来て、僕の部屋に置かれたフトンを持っていった。
牧田さんは契約書を僕の見ている前でビリビルに破く。
「ワクダくん、残念だなぁ。せっかく仲良くなれると思ったのに……」
悔しいが相変わらずキレイだ。
ただ、どうしても牧田さんが僕を騙したようには思えない。
僕のことを想って、いろいろとアドバイスしてくれたことを信じたい。
「はい、僕も残念です」
これで良かったのだ。
牧田さんの話を聞いていたときは、今すぐにでも買わないと損するのではないかと錯覚に陥ったが、今は買わなくてよかったと思えた。
その後、日を改めて牧田さんが個人的にここを訪れてくるのではないかと僕の妄想は加速したが、現実になることはなかった。
2年後、入社した会社の飲み会の席で先輩社員が話しているのを聞いた。
「あぁ、あそこの会社な。女性の営業はみんな美人ばかりでフトンを買ってもらうためにジャンケンをするらしいよ。3回連続で勝てばムフフなことできるけど、負ければ買わないといけないんだって。それで、もし3回連続で勝ったお客がいた場合は、そのフトンの上ですることを強制されて、事を終えた後にはフトンが汚れたから責任とってと、結局は買わされるらしいぞ」
「なんだそれ、ひでー!」
「あははは、枕営業だぁ」
それを聞いていた周りの先輩たちが盛り上がる。
「そんな営業に引っかかる男、いるんですかねぇ」
僕は顔を引きつらせたまま、その輪の中に入っていった。
※本内容は事実を元にしたフィクションです。
2004年の特定商取引法改正により訪問販売の勧誘時における規制が強化された。
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