プロフェッショナル・ゼミ

この世には才能も個性も夢もない。だからわたしは「ライターになりたい」ということを止めようと思う。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》

記事:木村 保絵(プロフェッショナル・ゼミ)

平日の午前8時。通勤途中の駅の中である広告に目を奪われた。
『天才はいない。』
この春、有名私立中学に合格したばかりの女優芦田愛菜ちゃんを広告キャラクターとして起用した進学塾のポスターだった。
子役として愛嬌を振りまくこれまでのイメージとは違い、ポスターの中の彼女はニコリともしていない。まるで素の表情を切り取ったかのような真剣な眼差しで、まっすぐにこちらを見ている。
『天才はいない。』
芸能活動の傍、休みの日には12時間机に向かい続ける。
猛勉強の結果、見事志望校に合格したというニュースが話題になったばかりだった。
そんな彼女のまっすぐな瞳は、32歳のすっかりいい大人になったわたしの心に真っ直ぐに突き刺さってきた。
それが痛い程に刺さったのは、わたしが隠していたある思いを露呈させられたからだ。
「天才はいてほしい」
わたしは無意識の内にそう思っていた。
才能がある人が存在してほしいと、心のどこかで願っていたのだ。
そうすれば、「あの人は天才だからね」「才能がある人はやっぱり違うよね」と言い訳ができる。「だからわたしは出来なくても仕方がない」「この程度でも上出来だよね」と自分を納得させることができる。だから、天才がいてくれなきゃ困る、そう思っていたのだ。

「天才はいてほしい」
そう願っていたのには、別の理由もある。
その広告を見かける数日前のことだった。
「個性なんて、あると思うな」
とあるライターの方々のトークイベントでそんな話を聞き、わたしは打ちひしがれていた。
イベントも終了が近付いた頃、質疑応答の時間に一人の女性が手を挙げた。「私はライターとして仕事をしていますが、なかなか結果を出せずに悩んでいます。ライターとして成功されている方々は、他人とは違う強い個性を持っていたり、独自の着眼点を持っていたりしますが、私にはそれがなく平凡なんです。一体どうしたら強い個性や、独自の着眼点を身に付けられるのでしょうか」というものだった。
——あぁ、わかるな。面白い文章を書く人ってやっぱり個性的だもんな。なかなか普通の人が当たり前のことを書いたって面白がってもらえないんだよな。個性が無いって、書く上では辛いよな。
わたしは心の中で頷き、質問者の女性に共感していた。
すると、ライターとして活躍しているゲストの方が彼女に向かってまっすぐと話し始めた。
「個性なんて、あると思わない方がいいですよ」
わたしは意表を突かれた。だって、文章を書くことなんて、どれだけ個性を出せるかの勝負じゃないか。個性的で華のある人は面白い文章を書いて活躍するし、そうじゃない人は埋もれていく。そういうものじゃないか。そう思っていた。
「個性は書いているうちに滲み出てくるものです。だから個性を出そうとせずに、とにかく書いて、あとは読んだ人の声に耳を傾けてください」
——とにかく書く。
胸がズキッと痛んだ。わたしが受講している天狼院書店ライティング・ゼミ プロフェッショナルコースでも、店主であり講師の三浦崇典さんが、毎度毎度口を酸っぱくして言っていることだ。
「とにかく書いてください。つべこべ言わず書いてください。書けば見えてきますから」
プロフェッショナルコースももう三期目が終わろうとしているが、三浦さんの言うことは、一期の初回の授業から全く変わっていない。
「とにかく書け」
そう言われ続けているのに、わたしは言い訳をし続けている。
「今週は忙しくて」「元々才能がある人とは違うから」「わたしには個性的なものは書けないし」
自分が書かなくてもいい理由、結果を出せない理由ばかりをひたすら並べてきた。
そのくせ季節の変わり目が来れば「一体どうすれば面白い文章が書けるんだろうか」と頭を抱え悩み出す。それが全く無駄な時間だということには、気付かないふりをし続けた。
悩んでいる時間があるなら、とにかく書くしかない。言い訳をして逃げていても結果は出ない。上手くなりたければ、書き続けるしか道は無いのに。

さらに、そのトークイベントに参加している間、もう一つ、自分の言い訳に気が付いてしまった。それは「夢」を大義名分に逃げていたことだった。
わたしは2016年の9月に、ライターになりたい、書くことで食べていけるようになりたい、それが夢だと、初めて人に伝えた。その前には「書くことを職業にしたい」なんて恥ずかしくて言うことすらできなかった。それでも、書くことを学んでいくうちに、もっと上手くなりたい、これを仕事にできたらどんなにいいだろうと言う思いが強くなっていった。
それから8ヶ月。その間に記事を書いてほしいと言う依頼をいくつか受けた。中には、仕事としてお金をいただいて書いた物もある。それでも、わたしは自分が「ライターだ」と言うことはできなかった。そんな風に口に出す自信はなかったからだ。
それでも、「夢を叶えたい」、少しでも何か得るものがあれば、夢に近づける方法があれば。そう期待してライターの方達が登壇するイベントに足を運んだ。だけど、現実は違った。何かを得るどころか、ただ自分の甘さを思い知らされるばかりだった。
会場にいる人達のほとんどは、既に書くことを仕事にしている人達だった。
すると場内からは「一記事当たりの単価を上げるにはどうしたらいいか」「良い編集者に出会うにはどうしたらいいか」など、日々書くことを仕事にしていく中でぶち当たる悩みが多く出てきた。
そんな中で、書くことを職業にしていないわたしは、肩身の狭い思いをすると同時に、胸がズキズキと痛むのを感じていた。
「なりたいなんて言っている場合じゃない」
そう思ったからだ。
初心者から始めて、プロとしてお金をもらえるレベルに到達するようになるまでは、どんな職業でも簡単なことではないだろう。
だけど、そのレベルになってから、プロとして活動を始めてからは、現実はもっとシビアだ。
なぜならその職業を夢にしている間は、闘う相手は「なりたい人達」、いわば素人だ。
それが一度プロになれば、ベテラン選手とも同じ舞台に上がらなければならない。そんな人達と闘って全敗していたら、仕事は取れないし、職業として継続していくことは不可能だ。
フリーランスであればもちろんだが、企業に雇用されていても同じことだ。
結果を出さなければ意味がない。
そして結果を出せるようになるには、早く実戦を積んで力を付けていくしかない。
自分には才能がない、個性的でもない、まだ夢の途中だからと言い訳をしていては、その中途半端な場所から動けず、ずっと「なりたい人」でい続けるしかないのだ。
「なりたい人」でい続けることは、苦しいようで、実は楽なことだったと気が付いた。それは、逃げ道が用意されているからだ。失敗しても「自分はプロじゃない」と言い訳ができる。チャンスが来た時だけは「プロを目指しています」とアピールして恩恵を受けることができる。責任を負わず、美味しいところだけを味わい続ける。それでは、いつまで経っても上達するわけもければ、「プロだ」と自信を持って言えるようになるわけもなかった。

「ライターになりたい」「書くことで食べていけるようになりたい」
そう言い始めて8ヶ月。最初の内はそう宣言できることが恥ずかしくないように、何とか上達しようと必死で書き続けてきた。だけど、ある時点からわたしは逃げていた。もう一段も二段も駆け上がっていくべきなのに、「難しいね」「大変だね」と言い訳をし続けてきた。
そうやって自分が逃げてきたことに気が付いたのは、「書いてほしい」と依頼された記事を提出した時だった。「もっとこういう視点で」「ここは全部いらない」そんな風にフィードバックを受けながら、わたしは気が付いてしまった。
「わたしはこの記事をプロとして引き受けるなんて少しも考えていなかった」と。
心のどこかで、ダメならダメで仕方がない。書けないかもしれませんよ? そんな情けないことを思っていた。「ライターになりたい」と宣言することで、同時に「プロではありません」と宣言し、「だから上手く書けなくても許してね」と逃げ道を作っていたのだ。
そのことに気が付いて顔から火が出そうなほど恥ずかしくなったわたしは、必死で記事を書き上げた。素人もプロも関係ない。肩書きなんてどうでもいい。わたしにお願いしたいと思ってくれた人がいた。それに全力で応える。期待以上の物を書き上げる。それは、人として、社会人として当たり前のことだった。覚悟を決めて泣きながら書いた記事は、「あなたに頼んで良かった」と喜んでもらえることができた。
そしてわたしは覚悟を決めた。
「もう、ライターになりたいなんて言わない」と。
才能がないし、個性的でもないし、まだ夢の途中だから。
そんな言い訳をしている内は、良い仕事は出来ない。わたしは「ライターになる」という夢が見たいわけじゃない。書く仕事がしたいだけだ。だとしたら、書き続ける為には「書いてほしい」と思ってもらえる成果を出し続けるしか道は無いのだ。

そんな時、ふらりと立ち寄った本屋さんで、ある一冊の本に出会った。
『クランボルツに学ぶ夢のあきらめ方』海老原嗣生(星海社新書)
この本の中では、芸能界でも大成功しているビートたけし、タモリ、明石家さんま、松本人志の「夢」に関する発言を例に挙げている。
世間から見れば大きな夢を叶えているように見えるスターたちが口を揃えて「夢なんて叶わない」と言っている。なぜなんだろう。どういうことなんだろう。
その理由をキャリア論の古典「クランボルツ理論」を解説しながら、わかりやすく説明していく。図やイラストも多い157ページは一気に読み終えることができた。
そして、改めて強く思った。
「やっぱり、もうライターになりたいって言うのはやめよう」
その本にも書かれていた。「なりたい」と言い続けても仕方がない。夢を見続けても夢は叶わない。その夢を現実に変えたければ、やるべきことをやり続けるしかない。
夢の世界から自分を引きずり出し、現実に身を置くしかないのだ。
もしかしたら、やりたいと思ったことが自分には向いていないかもしれない。ただ好きなだけで、プロになれるレベルじゃないかもしれない。
でも、その答えを見つかるためには、死に物狂いで全力でやり切るしかない。中途半端に楽しんで途中で「生煮えの状態」でやめてしまったら、「もしかしたらあれを続けていれば今頃もっと幸せだったかもしれない」と、いつまで経っても夢を見続けることになる。
それが嫌なら、覚悟を決めて全力で挑むだけだ。
面白い文章を書き続けることができれば、必然的に「読みたい」と言ってくれる人がいるはずだ。
行動を促す文章を書くことができれば、必然的に「書いてほしい」と思ってくれる人が現れるはずだ。
仕事をもらうためには、「自分にはこれができる」と見せられるものがなければならない。
だとしたらやっぱり、やることは一つ。
書き続けるしかないのだ。
『クランボルツに学ぶ 夢のあきらめ方』
不思議なことに、この本を読んで夢を諦めると前向きな一歩を踏み出すことができる。
それは、夢を見た人なら誰もが経験した苦しいことや、胸の中で抱えてきたモヤモヤが言語化されているからだ。さらに、「勘違いと本物の見極め方」「運も実力の内」ということが図解されている。「あぁ、だからか。そうか。そうだよね」思わず独り言を声に出してしまうほど、納得のいく図になっている。
努力をしたからって夢が叶うと思うな。だけど、努力をしなければ夢は叶わない。
甘えて逃げてきた自分の痛いところをグサグサと刺しながらも、時折そっと背中を撫でてくれる。そしてその「努力」が一体何なのか。分かりやすい言葉で語りかけてくれる。
天狼院書店で出会った才能溢れる人達も、不思議なことにいつも頭を抱えている。
どうすればもっと上手くなるのか。面白いものが書けるのか。
側から見れば才能溢れる個性的な人ほど、貪欲に悩み続けている。
それにプロとして一線で活躍する人達の自伝やエッセイを読んでみても、誰一人として才能や個性を魔法のように使い楽しんでいる人はいない。煌びやかに見える世界でも、輝き続ける為には、裏では地道で泥臭い努力がされているのだ。
『天才はいない。』
そう信じて努力をするのかしないのか。
再び通った駅の片隅に掲示されたポスターの中から、芦田愛菜ちゃんのまっすぐな瞳が、そう問うてくる。

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