プロフェッショナル・ゼミ

ごめんなさい、ウソついてました。私、メンクイでした。《プロフェッショナル・ゼミ》


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【東京・福岡・京都・全国通信】人生を変える!「天狼院ライティング・ゼミ」《平日コース》〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事: 村井 武 (プロフェッショナル・ゼミ)

「パートナーに求めるモノって何?」

こんな質問には、ぼんやりと「人柄」とか、「優しさ」とか、「笑うツボが一緒であること」とか答えてきた。でも、内心では、それだけじゃないんですよと常に思っていた。

50余年の人生を振り返ると、初めて好きになった家族以外の異性人格は、魔法のマコちゃんだった。

アニメ、である。二次元、である。当時の基準でいうと美少女、である。

絵心はないくせに、雑誌に掲載されたマコちゃんの顔を、ノートに描き移して、悦に入っていた。こんなに瞳の大きい女性というのは、現実の世界にいるのだろうか、私の暮らしていた地方都市には見当たらないのだが、ひょっとしたら東京というところには、こんなキラキラ瞳のお姉さんがいるのかもしれない、なんて思っていた。

マコちゃんのストーリーも、他の登場人物もまったく覚えていない。同じシリーズの前作「魔法使いサリー」や「ひみつのアッコちゃん」は結構エピソードとか、他のキャラとか、記憶しているのに。

私は、端的にマコちゃんのルックスに惚れていた。

さらに記憶を辿ると、アニメ「鉄人28号」に出てきた正太郎少年のルックスも好きだった。鉄人28号というのは、人がリモコンで操縦する巨大ロボット。鉄人のリモコンは、主として少年探偵・金田正太郎君が支配・操縦し、正太郎君は年端もいかぬ少年でありながら、警察組織からも頼りにされ、国家権力も手を焼く悪漢やらを鉄人を操り爽快に倒していくのだった。

私はどうも正太郎少年のルックスになりたい、と思ったらしい。正太郎君も当時の感覚で言うと美少年だった。彼は、いつもブレザーと半ズボン姿である。そして、髪型は七三分けっぽい横分け。半ズボンはともかく、ブレザーなんて持ってなかったので、ちょっと悔しい思いをした。

せめて髪型くらい正太郎君みたいにできないかしら。

正太郎少年にあこがれていたのは、小学校に上がるか、上がらないかの頃。当時、私の通う床屋さんは、毎回、前髪をまっすぐに切りそろえてくれた。今でいうパッツン系だったのだろう。横一列に揃った前髪に水をつけて横分けをしようとしても、分け目はつかない。

思い余って、時間も持て余していたこどもの私は、ハサミを手にして母親の鏡台の前に座った。まっすぐ横一列に切りそろえられた前髪にハサミを入れ、その左半分を三日月形に切り落とした。

前髪が七三になった。七三分け、ではなく、七三切り。ご本尊とはちょっと違う気もするが、自分の努力で正太郎君のルックスに少し近づいた気がする。母親の化粧品の香りのする鏡台の前で、七三切りの前髪を見ながら、ひどくご満悦だったのを覚えている。

私のお手製の正太郎カットを見た母親は、驚き、呆れ、そして激怒した。とりあえずの弥縫策として、母は私の前髪をさらに短く横一列に切りそろえた。私の前髪は殆どなくなり、しばらくの間、私は福禄寿的におでこ丸出し少年となった。

なんのことはない、私はリアルタイムのショタコンだったということではないか。

今振り返ると、性別を問わず、その時、その時の美形が好きだったのだ。恋愛感情とか、ややこしい気持ちが生まれるずっと前に、私の中にはメンクイとしての素地があったのだ。

正太郎少年、魔法のマコちゃん。リアルな血の通った人に惚れる前に、二次元の美形に入れ込んでしまった。私の出会いに関する運命の大きな部分はここで決まったと言っても過言ではない。

中学校くらいから、私は少女マンガを読むようになった。父親の買ってくれる少年マンガも読んではいたのだが、私のメンクイ志向は、少女マンガ家の書く美形によって強烈に導かれることになる。

くらもちふさこ、成田美名子、吉田秋生……。

これらマンガ家の描くキャラクターは、男女を問わず、美形だった。私は、男女を問わず、美形が好きになった。

特に彼女らの手になる男性キャラは、この世のものならざるほどに、非の打ちどころなく美形だった。私は、性別を問わず、good lookingな二次元人格が好きになっていたので、男性キャラの造作も、しげしげと眺め、うっとりしていた。

メンクイを英語で表現すると”I can’t settle with nothing less than the ultimate state of beauty.”なのだと読んだことがある。「至上の美でないと納得できない」といったところか。マンガ家が目指すのは至上の美少女、美少年だろうから、彼らが生みだす作品の美しさに妥協がないのは当然なのだ。人の想像力には限界がない。私の美意識のハードルは思いっきり上がってしまったことになる。

そして総じて当時の少女マンガ家の描く男性キャラは、長髪だった。私も、中学生以降、素の造作を顧みず、似あうとか似あわないとか、まったく考慮することなく、校則に触れない限度で髪を伸ばし始めた。と言っても、あれこれ理由をつけては、床屋に行く頻度を下げただけのこと。当時は、髪質も厚かった私がただ髪を伸ばしても、傍から見ればむさくるしい中高生がひとりできあがったというだけのことなのだけれど。

この少女マンガ的美形好みの性癖が昂じ、高校生となった私は、禁断の雑誌「JUNE」(ジュネ)にまで手を出すことになる。

今でこそ市民権を得ているBL-Boys Love-ではあるが、当時はまだまだ、まったくの禁忌だった。JUNEは、日本のBLの先駆けとなった雑誌と言われている。高校生のとき、本屋の少女マンガの棚でJUNEに出会った私は、少女マンガ的なるものから「美形青少年」のエッセンスだけが抽出され、集中投下されたこの雑誌に、衝撃を受ける。

それは、世の中に私以外にも美形好きがいたのだ-それも男性のそれに特化した-という驚きと、そこに焦点をあてることによって醸し出されるタブー感のブレンドであった。

「これ、買っちゃまずいのか……でも、成人指定されているわけでもないし、な」

迷いながらも、表紙を裏にしてレジに持って行ったことを覚えている。実家にあれこれ雑誌を配達してくれたアマノ書店のおじさん店主が、レジを打つ。おじさんがちらっと表紙を眺める。果たして70年代の地方都市の本屋の親父さんがJUNEの持つ先鋭的な意味を理解していたのかわからない。

ちょっと見では、エロ系にも見えなくもない表紙-実際、エロの要素は結構あった。

「ムライのとこの息子も色気づいたか」とでも思われるか、あるいは、当時のことなので
「少女マンガだけでは済まずにアブナイ方向に走ってんだな。親に言いつけたろか」とでも思われるか。

JUNEが店主の手で紙の袋に収まったとき、ちょっとほっとした。

後年、BL雑誌の編集の仕事をしている知人に
「僕ね、高校生のときに、JUNE読んでたんだ」
とカミングアウトすると、彼女は
「それはかなりコアだね。今ならどうってことないけど、あの当時のJUNEは時代の先を行き過ぎてたからねー」
と一応共感してくれた。

こんなふうに男女を問わず美形を追求していた私だが、ところで、自分は同性が好きなのだろうか、と自問自答せざるを得ない時期もあった。そうであれば、それで受け入れるしかないかとは思いつつ、確認する術もなかった。高校は男子校だったが、それこそ少女マンガあるいはBL的要素など、マンガ研究会に入っていた私の周辺にさえ全く見えなかった。しばらく軽い煩悶の時期は続いた。

女性目線からの男性同性愛と思われる世界は、JUNEを通じて知った。さらに、この雑誌の記事から、そうした人たちが読む別の雑誌があるということも知り、自分の恋愛・性嗜好を確かめるために、当時すでに老舗と言われていた「S」誌や「B」誌を-これはさすがにアマノ書店で買うわけにはいかないので-街の中心街の顔見知りのいないと思われる本屋で、こっそり素早く買って隠れて読んだ。

どうも違う。男性が好き、というわけではないらしい。実際、色気づいてからの私がリアルな世界で惹かれるのは女性であって、男性ではない。

成人してから-とはいえ、現代ほどにはLGBTが認知されていたとは言い難い時代-パソコン通信(インターネットが爆発的に普及する前のことである)を通じて、ゲイの人たちと知り合い、オフ会で実際に会い、話をして、やはり私自身のパートナーは男性でなく、女性なのだ、女性が好きなのだ、と自覚した。あの時、会って話をしてくれた人びとには深く感謝している。

パートナーや恋人としては異性が向いているのだけれども、ルックスについては男女問わず美形好き、というややこしい嗜好であることに気づき、納得するまでちょっと時間がかかったように思う。

この迷いの時期は成人後もしばらく続き、生物・ニンゲンとしておそらく最も恋愛に向いている期間、私は色恋に臆病になり、多分、多くの機会を逸した。

自分の複雑の嗜好に整理がついてからも、長年養われた美形好きの資質は変わらず、実は、人をまずルックスで見ていた。

そのくせ、外見で人を判断することにはある種の倫理的な後ろめたさがつきまとうし、「そういうお前のルックスはどうなのだ」という当然の反論も容易に想定されたので、決して公言はしなかった。

「まぁ、ルックスはあんまり気にしないかな」

パートナーの好みついて問われれば、そう答えていたけれども、実際にはとっても気にしていた。

しかし、さらに、さらに歳を経て、痛い思い、楽しい思いもして、やっと気がついたのは、人として付き合うことと、美意識でルックスを楽しむこととは、別だという当たり前のこと。

そして、この二つが自分の心の中で、はっきりと分けられること-美形は美形として耽美的に楽しませて頂ければよいのであって、自分がパートナーとしてお付き合いする人が美形である必要はないのだ、と気がついた頃には、私はとっくにおじさんとなっていた。私はメンクイである。そしてメンクイの意味は多様なのだ。

マコちゃんと正太郎君と出会ってしまった因果が数十年間、私を縛ったことになる。

今でも美しいルックスの人びとを見るのは、とても楽しい。これは否定できない。女性限定とされていて、私たち男には禁断の部活である天狼院書店の裏フォト部なんて、私の根源的な美意識の根っこと深く共鳴する素晴らしい企画であって、これを思い付く天狼院書店店主・三浦さんには敬服するしかない。この部活には入れないから、時々SNSで流れて来る写真とか、参加者の声で様子をうかがい知るしかないけれども、すごく楽しい世界が展開されているやに仄聞する。

「僕、ポートレートにしか興味ないから」

そう断言して、特権的なフォーラムである裏フォト部を堂々と企画・運営する三浦さんに出会って、私は今度こそ本当に、正太郎君以来の混乱と自己拘束から抜け出せた気がする。

ごめんなさい。ルックスなんて、どうでもいいって言い続けてきましたけど、美形がずっと好きでした。今でもきれいな人たちのルックス、楽しませて頂いています。

そのうちポートレート、始めようと思っています。端正なルックスのあなた。写真、撮らせて頂けませんか。

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