「オチ」という呪い
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記事:ちくわ(ライティングゼミ 日曜コース)
「ほんで、オチは?」
私は友人から何を聞かれたか、一瞬わからなかった。
「いや、だからその話のオチは、何やったん?」
再度、友人から聞かれた私は、おそるおそる答える。
「えっと、これで話は終わりっちゃけど・・・・・・」
「そうなんや、ふーん」
何気ない会話。友人の表情や声のトーンからして、本気で私を責めているわけではない。
ただ、なんとなく申し訳なくなって、思わず
「なんか、ごめんね」と小さくつぶやく。
10代の頃、私は九州から関西に引っ越した。すると自然に、関西で生まれ育った友人・知人が増えてくる。そこで思春期の悩みとして、私が直面したのが「オチ文化」だった。
私だけだろうか。全ての会話が絶対にそうとは言い切れないが、関西には「オチ」をつけて話を終わらせる人が、圧倒的に多い気がする。
だからといって、周りの友人たちは九州出身の私に配慮し「オチ」は強要しなかった。
とはいえ、一度そのように指摘された手前、
「何か話すなら、オチを言わねば・・・・・・」という勝手な強迫観念に駆られるようになった。でも、うまく話せない。次第に口数が減る。
もはや私にとって「オチ」は呪いになる。
日を追うと、さらに呪いが強くなった。みんなのしゃべりが、「オチ」をつけることで、面白くなるのだ。もちろん九州にも話が面白い人はいたが、早口でも、関西弁独特のイントネーションを使いながら、わかりやすく、テンポよく話す。そして「オチ」で笑いも起こす。
そもそも話の「オチ」とは何なのか。
私は、正解がわからず、悶々としていた。
今、思い返すと、正解なんてそうそう出ないし、毎回出ていたらプロだ。完全に自意識過剰で慣れない関西弁の空気に飲まれていただけだったが、その当時は不安で仕方がなかった。
徐々に、関西弁にも、話のテンポにも慣れてきた頃。友人たち会話を重ねていくうち、ふと気づいた。
あぁ、そうか。私は思いつくままに、ダラダラと話を続けているだけだった。
でも友人たちは、言葉選びや流れ、締め方が定型化されている。
かといって彼・彼女らは考えすぎて、凝っている感じでもない。
これは、なぜだろうか?
なぜ、「オチ」を無理なく会話の中に組み入れることができるのか?
私なりに考えた結果、やはり、根底に流れるお笑い文化、しゃべりの発達があると見ている。
「オチ」の文化は、江戸時代に関西地方で流行った上方落語がルーツといわれている。今から約400年前、前前前世の時代から、しゃべりを生業とする人びとが関西にいた。
しかも関西は、“天下の台所”。商人が人にモノを買ってもらうため、心をつかむ工夫、サービス精神も旺盛な気質もあって、余計に発達しやすかったのだろう。
数十年前からも、落語の寄席はもちろん、漫才の劇場や新喜劇の舞台など、気軽にお笑いを観に行く土壌があった。若手漫才コンクール、地域のお祭りレベルでも漫才大会の賞レースがあり、鍛えられる場も豊富だ。
しかも今なら、わざわざ足を運ばなくとも、テレビやネット番組がある。スマホで見ることができる時代だ。関西で放送されているお笑い番組は、全国で圧倒的な数がある。今や東京でも珍しくないが、落語家さんや、お笑い芸人出身の方が司会・ゲストの番組も、昔から関西は非常に幅広かった。
しかも関西は準キー局として番組作りの体制もできており、制作費もキー局より潤沢ではないため、コロコロ番組が変わりにくい。よって長寿化し、安定し、曜日・時間が固定化する。
関西でおなじみの大御所もたくさんいる。だからこそ若手になれば、世に出るため、ライバルに負けぬよう努力する。お笑いの基本である「しゃべり」を学び、爪あとを残そうと技術を磨く。
そんな長寿番組を幼い頃から、ずっと見て育ってきたら、お笑いやしゃべりをシビアに見る目線が、育たないわけがない。大人になった現在でも思う。全国各地の色々な人と知り合うが、関西の人たちは群を抜いて平均的にしゃべりが上手い、と。どうしたら「オチ」るのか、卓越したプロのしゃべりが生きた教科書となって、叩き込まれてきた年数が違う。
そう理解したら、呪いがとけてきた。
「オチ」は呪いではなく、地下鉄の駅だった。それだけ関西の老若男女には、日々の生活の言葉に密着している。
航空写真のように外から俯瞰しても、表層から見えないかも知れない。
だが、目的地まで言葉を届けたいと思ったとき、流れていく言葉たちを車両にまとめ、話として走らせ、「オチ」という駅へ停車させる。
この「オチ」に停車するために、快速でいくべきか、各駅停車でいくべきか。テンポやリズムは時刻表ダイヤにあっているか。様々な路線変更を繰り返し、目的の駅にたどり着く。
当たり前にある日常の中に「オチ」は溶け込んでいて、行き着く途中で事故があると、時間がかかって困るし、周りに多大な迷惑をかける。
大げさに聞こえるかもしれないが、あの頃は「オチ」の呪いに怯えていた。でも私は、これから生涯死ぬまで付き合っていく言葉に対し、向き合える良いきっかけだったと今は思える。迷子にならず、今日も目的「駅」にたどり着くため、私は地下の奥深くで、言葉を線路に走らせていく。
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