すべては体の相性で決まる
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:けだもん(ライティング・ゼミ)
「はじめまして」
僕は紹介された子と口づけを交わす。
今日だけで一体どれほどの相手に同じことをしただろうか。
冷たかったその子の唇が僕の体温を奪ってじんわりと温かくなる。
そろそろ頃合いだろう。
僕は自分のものをその子の中に入れる。
狭い室内に甘い声が響き渡る。
その声は僕の動きに合わせて舞い踊る。時には高くかけ上がり、時には低く落ち着きを取り戻す。
素晴らしい感度だ。
「じゃあ、今度は本気で行くよ。」
その直後、部屋に響き渡ったのはその子の悲鳴だった。
「はいダメ。次いくよ」
悲鳴が聞こえるや否や、同席した友人が僕からその子を引き離す。
またフラれてしまった。
ただいま13連敗。絶賛記録更新中だ。
都内、新宿駅から徒歩5分。少し入り組んだところにある雑居ビル。
殺風景な外観とは対照的に明るい店内。
僕はここに新たなパートナーを探しに来た。
ただ、自分ひとりでの判断は難しいので、経験の長い友人にも同行してもらっている。
僕は友人に言われるがまま、出会いと別れを繰り返していた。
「それじゃあこの子はどうだい?大口径グラマラスボディ。これなら君の本気にも耐えられるかもしれない」
続いて紹介されたのは、出るとこの出たずっしり体系。これは確かに頼もしい。
僕は一連の流れで馴染ませたあと、さっそく本気をぶつける。先ほどの子と違い、悲鳴を上げることなくやすやすと受け入れてくれる。ところが、それだけでは満足してくれない。混信の一発ですら貪欲に飲み込んでいく。むしろ僕の方が吸われているようにさえ感じる。
もう息が持たない。意識が遠のき始めたところで、僕はその子から口をはなす。
「うーん、さすがにこれは扱えないか」
友人はそう呟きながらまた僕から引き離す。
温もりを残すマウスピースを。
ここでいうマウスピースとは金管楽器(ラッパに代表される管楽器)の部位の一つ。楽器と奏者との接続部分にして、奏者の息や唇の振動を音に変換する重要な部分。取り外し可能で、これによって音が決まると言っても過言ではない。まさに楽器のエンジンだ。
外観は手のひらサイズのハンドベル、内側は理科の実験や台所で使うような“ろうと”のようになっている。イメージとしては底にパイプの突き刺さったお猪口のような形だ。
楽器のエンジンとはいえ、マウスピースに何か仕掛けがあるわけではなく、決まった形をした金属の塊でしかない。
それでも、お猪口部分(カップ)の厚みや深さ、パイプの径などちょっとした違いが音や吹き心地に大きな影響をもたらす。繊細さで言えばエンジンにも劣らない。
例えば、僕が冒頭でフラれた理由は出力の問題。はじめの子は低出力でも扱いやすい反面、上限を超える息で放たれる音は悲鳴のようになる。一方で次の子は大型カップの大出力。大きな可能性を秘めるが、それを発揮するためにはこちらもそれ相応の息を吹き込まないといけない。
このように、些細な変化が多様な特徴をもたらす。それは膨大な選択肢として楽器奏者に迷いを持たせることになる。
僕もその例に漏れず、こうして新宿の楽器店に新たなパートナーを探しに来ている。
しかし、僕みたいなアマチュアには選択肢なんてあってないようなもので、ことごとくフラれるのであった。
「じゃあ次の子いくよー」
14回目の玉砕を迎え、撃沈している僕を慰めるかのように、友人が次の候補を連れてくる。
「これはどうだい?大きなカップにパイプは細め、操作性抜群の中級モデル……だめだ、音が全然響かない」
「次はこれ、分厚いエッジに深めのカップ。ダークで深い音が自慢……これじゃ音程が低すぎる」
「こんなのもあった。標準に似ているけどちょっと大きめ。真っすぐなサウンドが特徴……また悲鳴上げてる。やっぱこの程度じゃ足りないか」
ことごとく破談になる僕のお見合い。その度に新たな候補を取りに行く友人。一方、座ったままその帰りを待つばかりの僕。
「ねえ、さっき吹かせてもらった大口径のやつ、あれでもいいと思うんだけど。練習すればいずれコントロールできると思うし」
その後もいつまでたっても決まらず、僕はとうとう音を上げる。そして今までフラれてきた中でも比較的馴染んでいたものを再度取りに行く。
「ダメダメ、合わないマウスピースは自分の型を崩すだけだよ。妥協して変なものを買うくらいなら買わない方がまだいい。」
全くの正論を説かれて何も言えない僕。持つべきものはお節介な友人だと思う。
「それにしても難しいね。君の場合、コントロール性は未熟だけど瞬間的な出力はなかなかのもの。通常と本気、両方の出力に耐えられる子が見つかればねぇ」
普段は手を抜きがちな僕をぐいぐいと引っ張り、僕が本気を出した時にはしっかりと支えてくれる。
それはまさに理想の異性そのものではないか。
「見つかるわけないだろ、そんな白馬を乗りこなすお姫様みたいなの」
自分の未熟さと理想の高さにうんざりする。
「わからないよ。相手によってまるで違ってくるのは人も楽器も同じ。実際、楽器は奏者を選ぶものだし」
そんな友人がなんだかオリバンダー老人に見えてきた。
世界的ファンタジー、ハリーポッターに登場する杖店の店主、オリバンダー老人。主人公にいろんな杖をとっかえひっかえに試させるところなんかそっくりだし、極め付けはあの台詞「杖は持ち主の魔法使いを選ぶ」というところ。
マウスピースにたくさんの種類が存在するのは、使い手もたくさんのタイプが存在するから。唇の大きさ、歯並び、口腔の広さ、息の量、速さ、温度、水分量。マウスピースの特徴は奏者の身体的要素に直結している。特に息は人間の生命維持活動そのもの。つまり、意図的にコントロールできるものではない。だから自分の体に合ったものを使うことになる。
魔法の杖だって、自分の魔力を魔法という形に変換するための道具。魔力は使い手によるものだから当然相性が出てくるはず。物語内では杖の特徴として大きさ、素材が説明されている。手で振るうのだから手触りや太さもかかわってくるはず。
それに、爬虫類を見ただけで背筋が凍る人がドラゴンの琴線入りの杖なんか使えないだろうし、羽毛アレルギーの人が不死鳥の羽入りの杖に触れるわけがない。使えるものなんて自ずと限られてくる。
道具は正直だ。人間みたいに気を使ったり無理に合わせたりしない。自分からどんなにアピールしようとなびいてはくれないし、誤魔化しもきかない。
人間の身体的な素質、体の相性にのみ反応し、合わない者は容赦なく振っていく。
シンデレラを探すガラスの靴のように。
「これ、あまり聞かないメーカーのものなんだけど、試しに使ってみる?」
そんなこんなでフラれ続けること1時間半。さすがに残りの選択肢も少なくなっており、オリバンダー老人……ではなく友人も手あたり次第に提示するようになってきている。下手な鉄砲なんとやら、僕もやけくそでひたすらに吹きまくる。
……あっ。
そのとき、後光が差した。まさに映画で杖を手にしたハリーポッターのように。
明らかに今までとは違う感覚。自分で当てているというよりは、マウスピースの方から吸い付かれているような錯覚に陥る。そして、初めて楽器を手にした時からずっと使ってきたかのような安心感が体中に広がる。
まずは軽く息を吹き込む。明るく響き渡る音、心地よい余韻。まるで親しい友に呼びかけるような軽快な反応。そのどれもが今までで初めての感覚だった。
続いて本気で吹き込むと易々と受け入れる。それに加え、僕の負担にならないような程よい抵抗があり、いつもよりも調子がいい。「もうちょっと頑張れるよね?」と優しく支えてくれているようだ。
となりで聞いていた友人の目が見開かれる。「おめでとう」の言葉は必要ない。
ちなみに友人も同じもので吹いてみたが、特に何も感じなかったようだ。
そう、僕はとうとう選ばれたのだ。
最高のパートナーを見つけた今だからこそ思う。僕は今まで何をしていたのだろうと。
これまで使ってきたものも含め、僕の使ってていたマウスピースはどれも、大して相性が良くなかったことを痛感した。とっくにフラれていた、いや、はじめから相手の眼中にすらなかったはずなのに、僕が勝手に片思いしていただけだったんだ。
楽器本体を買ったときの付属品だったから、中学でたまたま貸してもらったものと同じ種類だったから、有名なモデルだから、著名な奏者の監修モデルだから。
本体そのものにきちんと向き合わず、付随する情報や成り行きだけで選んでいたのは僕自身。
楽器はパートナーだ。情報で音楽を奏でられるはずがない。音楽は心と体で奏でるもの。情報だけで迎え入れたパートナーが僕のことを相手にしてくれるはずがない。
いや、楽器だけではない、僕の持ち物の中で、ここまできちんと本体に向かいあって選んだものはどれくらいあっただろうか。
ひたすら頑丈なものを求めて買った高級ブランドのバッグは、頑丈だったけど使い勝手が悪くて父の日のプレゼントにしてしまった。仕事用の革靴は専門店でフィッティングしたものの、店員さんの言われるがまま。今でも履くたびに足の皮が剥けてしまい、今ではその5分の1の値段で買った合皮靴の方を愛用している。
日常品に至っては言うまでもない。店頭の宣伝や値段、ネットの評判など、誰かが設定した情報だけを頼りになんとなくで買ってしまっている。それ自体を本当に気に入って買ったことなんてあっただろうか。
高度情報化社会ともいわれるこの時代。ちょっと検索すればあらゆる情報が手に入る。でもそれは他の人が感じた情報。専門家の意見や情報の精度などはあるけれど、それでも自分で感じたことにはかなわない。それに、最終的に影響があるのは自分自身なのだから。極端な話、自分以外の情報なんて参考にならない。
特に直接体に触れるものについては、情報として表現できる量にそもそもの限界がある。実際に触ってみないとわからないことばかりだ。
もちろん、情報だけを信じて自分に言い聞かせることはできる。それでも誤魔化すことができるのは自分の気持ちだけ。そして情報に振り回されて辛くなるのも自分の気持ちだけ。道具は嘘をつかないし、自分の体も嘘はつかない。
だったら、これからは体でものを選んでみよう。嘘をつけないもの同士ですり合わせができれば確実だと思う。たしかにいちいち試してみなければならないのは大変だけど、その分適格な選択ができると思う。
言葉やお金も大事だけど、大切なのはやっぱりふれあい。
そう、すべては体の相性で決まるのだから。
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