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涙は世界を変えられない


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記事:コヤナギ(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
一週間も終わりさしかかった、金曜日のオフィス。
それは突然のことだった。
仕事を始めようとパソコンを立ち上げた途端、わたしは涙が止まらなくなっていた。
 
隣に座っている上司は、何のことだかさっぱりといった顔。
前に座っている先輩は、目を見開いて驚いた顔をしつつ、かかってきた電話の応対でそそくさと視線をパソコンの画面に戻した。
 
「何なんだ、こいつらは」
 
頭のどこかで冷静な自分が呟いた。
とはいえ、いっこうに感情の揺らぎが収まらない。
息がうまく吸えなくなくて、体が痺れはじめた。
この場から一刻も早く逃げ出したい。でも、なぜだか体が動かない。
 
すると近くを通りがかったユキコさんが、心配してそっと寄ってきてくれた。
ユキコさんは社内のデザイナーさんで、困った時にいつも助けてくれるお母さんみたいな人だ。
 
「ちょっと、あっちに行こうか……」
「……」
 
真っ赤な顔で泣きじゃくるわたしの腕を優しくひいて、人のいない非常階段に連れ出してくれた。
そしてわたしの息が落ち着くまで、20分だったか、30分だったか、ずっと隣に座っていた。
 
もちろん、わたしが会社で号泣するまでの間、何も前ぶれがなかったわけじゃない。
 
ことの始まりは2ヶ月くらい前のこと。
入社してから1年ほどお世話になった部署から、今の部署へと異動が言い渡された。
社内で唯一女性がひとりもいない、わたしが最も恐れていた、体育会系色溢れる部署だった。
 
ただ実際に異動してみると、外からのイメージとは全く違い、皆陽気で優しい。
確かに仕事量は急激に増えたけれど仕事は面白かったし、「一緒にがんばっていこうな!」という周囲の人たちからの声かけで、気持ち新たにスタートを切った。
 
それからは、毎日13時間以上は働いていただろうか。
家に帰ってからも、土日の間も、ばんばんメールが飛んでくるような職場だった。
常に締め切りに追われ、朝昼晩と食事もろくに食べない生活が続いた。
それでも、「がんばろう」「がんばらなきゃ」と自分に言い聞かせ、休みなく働いた。
 
そして、いつ頃からだったか。
帰りの電車で、涙が急に出てくるようになった。
はじめのうちは週に1回。そのうち週に2・3回と増え、毎日になり、電車の中だけでなく最寄駅のホームのベンチ、家の前と抑えが効かなくなっていった。
頭の中は真っ白で、完全に思考が停止状態。
友達からのメールにも返信する気力がなくなり、遊ぶ予定も全て断るようになってしまった。
 
毎日泣きはらした顔で帰宅する娘を見て、母親もかなり心配していたようだった。
けれど、説明する気力も起こらない。
 
そして迎えた例の金曜日。
 
パソコンを立ち上げても頭の中は真っ白のまま。
今日は何の仕事をするんだっけ。涙が溢れてきた。
 
会社で泣くのは、この時がはじめてだった。
仕事で失敗するたびに泣いてる同期を見て、情けないと思っていたわたしは、会社では絶対に涙を見せないと決めていた。それなのに。
 
30分ほどユキコさんに付き添ってもらった後も、けっきょく階段とトイレの往復で合計3時間くらいはデスクを離れていた。
そして戻ると、わたしの席の周りには誰もいなかった。
そういえば上司も先輩も今日は外出行ったきり戻らない日だったっけ。
 
その日の夜、わたしははじめての行動に出た。
先輩からの仕事の指示がずらずらと書かれたメールに、こう返答したのだ。
 
「もう、できません」
 
最寄り駅のホームのベンチで、2時間ほど悩んだ末の決断である。
「できない」という言葉を口にすることに、とてつもない後ろめたさを感じていた。
社会人として失格なことも痛いほど分かる。
「これだから、ゆとりは」という誰かの声が聞こえてくるようだった。
けれどこの時のわたしに、これ以外に自分を守る方法が分からなかった。
同時に、言いようのない晴れやかな気持ちが心の隅から湧いてきた。
できないものは、できない。
罪悪感に駆られながらも、社用と私用ケータイを2台とも電源オフにしたまま土日を過ごした。
 
そして日曜日の夜、決意を固めた。
部署を異動させてもらえるよう部長に掛け合うこと、無理ならば会社を辞めることだ。
 
月曜日、ドキドキしながらケータイの電源をつけると、メールは友達からのメッセージのみ。
大きく息を吸って、さあ、会社に行くぞ。
まるで戦争に行くような心持ちで、家を出た。
今戦わなければ、わたしは一生負けたままのような気がして。
 
そうして部長、上司、先輩とのミーティングで午前中が終わった。
今まで首を縦にしか振らなかったわたしから、多くの言葉が出てきたことに皆驚いていた。
 
結果、わたしの願いは受け入れられなかったけれど、仕事量はそれまでの半分となった。
部署への疑問や自分のキャパシティを正直に打ち明けると、部署の組織編成が大幅に見直されることとなった。
 
果たしてこれが良い結末だったのかは分からない。
それでも労働環境が見直されることとなり、わたしの食生活がもとに戻ったことは確かだ。
何より、会社でも家でも笑顔になることが増えた。
そして分かったことが2つある。
 
一つは、自分から声を発しなければ何も変わらないこと。
 
誰も見ていないところで声を殺して泣いても、誰も助けてくれない。
ましてや駅のホームで泣いてたって、疲れたサラリーマンたちは関わりたくなさそうに足早に通り過ぎていく。突然現れたイケメンが助けてくれて、ドラマティックな恋愛に発展する……なんてことも起きない。これが現実。
 
そして自分ひとりの力だけでは、どうにもならないことがある。
けれどまずは自分から、涙ではなく言葉で誰かに訴えないと、周りの環境は変えられない。
相手からしてみても、どう動けば良いのか分からないのだから。
 
それでも状況が全く変わらないのであれば、後先考えずにその場から脱出すべきだと思う。
どんなに他人に迷惑をかけても。自分のプライドが許さなかったとしても
自分のことを守れるのは、自分しかいない。
世界を変えるのは涙じゃない。心配や同情は集められても、それまで。
わたしという狭い世界の話だけれど、荒削りな心からの言葉が、拙い行動が、変化を起こした。
 
そしてもう一つ。辛い経験を笑い話に変えられた時こそ、レベルアップした証。
しなやかで強い、素敵な心を持つ人は、やはり苦しい経験をたくさん経てきた人なのだと思う。
だからきっと、人に優しい。
今回の経験が良かったとはまだ思えないけれど、誰かのSOSサインを見逃さない人になりたい。
ユキコさんみたいに、静かに、けれど優しく付き添ってあげられる人になりたい。
 
よく「困難を乗り越える」と言うけれど、乗り越える必要はないんじゃないかなあと思う。
くぐり抜けても良いし、違う道に方向転換しても良い。
それで笑顔になれるなら。
 
 
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2017-06-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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