薄情者が、素直に喜べないわけ
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【6月開講申込みページ/東京・福岡・京都・全国通信】人生を変える!「天狼院ライティング・ゼミ」《平日コース》〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
→【東京・福岡・京都・全国通信対応】《平日コース》
記事:バタバタ子(ライティング・ゼミ日曜コース)
「来月のお弁当の発注って、まだですよね。やっておきますね」
「本当だ、忘れてた! 思い出すなんて、さすが、しっかりしてるね」
「えっ、いやぁ、私もすっかり忘れてたんですけど、たまたま思い出したんですよ」
「いやいや、さすがだよ」
そんなそんな、と口にしつつ、気をつけて笑顔を作る。褒められて喜んでいると相手に伝わるように。かといって、調子にのったり、得意げな印象をあたえて「なんだこいつ」と思われない程度に。加減が難しい。
褒められるのが苦手だ。褒められ慣れていないせいか、その場でどう振る舞えば正解なのか、わからない。
理想としては、褒められた喜びに身をまかせ、嬉しさが自然とにじみ出てリアクションをとってしまった、そんな風になりたい。
でも実際は、嬉しさよりも先に、とまどいが来てしまう。
えっ、褒められた、どうしよう。これは、イヤミじゃなくて、本当に喜んだほうがいいやつだよね。でも100%で喜んじゃダメだ。ちゃんと謙遜しないと、カンジ悪いって思われる。かといって謙遜のしかたを間違えると、褒めてくれた相手に失礼だ。へりくだりつつも相手を立てて、かつ、相手の期待にこたえる程度に、慎重に喜ばなきゃ……。
だからその場では、本当に喜ぶ気持ちが出てくる余裕なんて全然ない。でも、「褒めてもらえて嬉しいです!」との振る舞いがすぐさま必要だと思うから、なんとか嬉しさを想像して、それを適切に表現するのに力を尽くしてしまう。
我ながら、薄情なやつだと思う。
本当に嬉しい気持ちが出てくるとしたら、その場面が過ぎ去って、しばらく経ってから。
水がしみ出すように、胸の奥底から、じんわりと出てくる。
思うに、「褒められる」という出来事は、私にとって消化困難なのだ。だから、急に直面しても、すぐには吸収してリアクションをとることができず、戸惑ってしまう。
牛のように、何度も反芻したのちに、やっと消化できるのだ。
人間なら、食べたものは口で噛み、のどを通って胃に送り、そのあとは腸へと一方通行である。
だが牛は、食べた草を噛んで、飲み込んで、胃に送ったあと、なんともう一度、口に戻して噛みなおすと聞く。そうして何度も反芻することで、時間をかけてゆっくり消化し、栄養として体に取り込んでいく。
褒められたときの嬉しさもそうだ。
その場では、戸惑い以外の何の感情も生じなかった出来事が、後になってふと思い出される。
例えば、湯船に浸かっているときとか。例えば、布団に入って、でもまだ頭は起きているときとか。
「そういえば、あのことで褒められたな。フフフ……」
と、そのとき初めて嬉しさがこみあげてくる。
時間をおいて消化し、嬉しさとして吸収できる状態となった出来事は、心の中の「褒められた思い出」ボックスに収納される。そして時々とりだして、反芻しては、ちょっとずつ味わい、ニマニマする。賞味期限も長いようで、数年前のものから、小学生の頃のものまで、まだ美味しく残っている。
万が一、味わっているときに、他の人に見られたら、きっと気持ち悪がられることだろう。何でもないときに突然ニマニマし始めるのだから。そのため、一人のときにだけ、こっそり反芻して楽しむようにしている。
何事も、このように、ちょっとずつ楽しむのが、私の性には合っている。
もともと、美味しいものなどは、惜しみながら、ちょっとずつ食べたい人間である。小皿に取り分けられた羊羹も、更にちまちまと薄くスライスして食べる。バウムクーヘンも、一層ずつ剥がして食べてしまう。
高校の茶道部に入部してすぐのころ、お茶菓子のうぐいす餅をちまちま食べていたら、叱られた。
「ちびちび食べない。大きく切って、いただきなさい」
そのとき、ケチケチ食べるのはマナー違反なのだと知った。
だからそれ以来、人目のある場でものを食べるときは、口におさまる程度のサイズで、かつ小さすぎもしないように、慎重に切り分けている。加減がむずかしい上に、美味しさを100%楽しめている気がせず、もったいないと思いつつではあるが。
褒められたときの喜びも、すぐに素直に反応せずに、こうやって何度も反芻したり、ちびちびと楽しむのは、本当はマナー違反なのだろう。
だって、私が他の人を褒めたとしたら、目の前で喜ぶ顔を期待する。「そうですか」の一言で終わってしまったら、「なんだこいつ」とムッとするだろう。
また、もし他人から、何年も前に褒められた経験をしつこく自慢されたら、うとましく思うに違いない。
お茶菓子のように、大きく切り分けて、すぐに食べてしまい、その場で味わいつくす。しつこく何度も詳細に思い出したりしない。それが一般的な、褒められたときの作法だと思っている。
でも実際問題、褒められたときに即座に消化して吸収するのは、薄情者の私には難しいのだ。
処理が追いつかないため、どう反応すればいいかわからないし、嬉しさなんて分からない。
だから、マナー違反に後ろめたさを覚えつつも、こうしてコソコソ、ちびちび反芻して、褒められた記憶を楽しむのを、やっぱりやめられずにいるのだ。
***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
http://tenro-in.com/zemi/writingsemi/36546
天狼院書店「東京天狼院」
〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
東京天狼院への行き方詳細はこちら
天狼院書店「福岡天狼院」
〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN
〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
【天狼院書店へのお問い合わせ】
【天狼院公式Facebookページ】
天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。