堀川眼鏡店《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:和智弘子(プロフェッショナル・ゼミ)
*この記事はフィクションです
「ホントさ、アキラ君がお店を継ぐことになってよかったよー。わたし、実はおじさんから相談されてたんだから!」
カノコが笑いながら、すりガラスの引き戸を開けて店に入ってきた。
「またその話しにきたのかよ。もう、三回目だぜ? でも実際問題、カノコんちみたいな老舗の団子屋とは違うから、おれでつとまるのか心配だよ」
「ちょっと。アキラ君、うちは団子屋じゃないよ? 和菓子屋、香月堂ですからね! 間違えないでよ!」
カノコは、ぷぅっと頬をふくらませて、怒ったような素振りを見せる。白い頬が、やっぱりお団子みたいだ、なんて言ったら本気で殴られそうだ。
カノコの家は、代々続いている老舗の和菓子屋だ。お茶の席には必ず「香月堂」のものを、と指名されるほどに味は折り紙付き。幼なじみのカノコはその和菓子屋の八代目の跡取りとして店をまかされている。高校を卒業して、すぐにカノコはお店に入った。気配りが細やかだと、かなり評判も良いようだ。
「でもさ、今日いらっしゃるお客様のこと、アキラ君聞いたの?」
カノコは心配そうな表情で聞いてくる。
「ん? いや、あんまり。夜しかお店に来られないってことぐらいしか聞いてないよ。人目を気にしてくるってことは、もしかして芸能人かな?」
好奇心まるだしの口調でおれがいうと、カノコはちょっと呆れたようだった。
「なんだ。ほんとに聞いてないんだね……。まあでも、言えないって決まりだしね……」カノコは小さな声でつぶやいている。
「なんだよ? おまえ、知ってるお客様なのか?」
「当店をご利用くださるお客様の情報は、簡単に漏らしてはいけませんので」
カノコは口にチャックをするようなジェスチャーをしながら、これ以上は言えないとアピールする。
……一体どんなお客様なんだろう? 余計気になるじゃないか。
「あっと、もうこんな時間。うちも今夜は忙しいんだ。じゃあね。アキラ君、しっかり、がんばってねー」
話を勝手に切り上げて、カノコはバタバタと慌ただしく店を出ていった。
おれがおやじの後を継ぐことになったのは「堀川眼鏡店」という小さな眼鏡屋だ。
「堀川眼鏡店」も、カノコの和菓子屋ほどではないが、それなりに歴史は古い。
いつから商売を始めたとは、はっきり残されていない。しかし江戸時代の終わり頃に、この場所で店を始めたらしい。高祖父が店を始めて、おれで五代目、ということになる。
おれは眼鏡屋の後を継ぐことに、少し前までは、あまり前向きに考えていなかった。
「堀川眼鏡店」は細い路地を入った場所にあって、表通りからは、まったく目立たない。通りすがりのお客様なんて、ほとんど来ないのだ。
いまどき、眼鏡なんて、五千円も出せばそれなりの品が買えるのに、堀川眼鏡店では既製品はほとんど取り扱っていない。お客様の注文に合わせて発注する、いわゆるオーダーメイドだ。そのため、単価も高い。眼鏡にこだわりのあるお客様が利用してくださっている。店番を頼まれて、一日中店内にいても、だれひとりお客様がこない日なんてしょっちゅうだ。
さっきのカノコみたいに、近所のお店の人たちが、休憩がてらお茶を飲みに来るほうがよっぽど多い。
祖父が生きていた頃は「アキラも、大きくなったら店を継ぐんだぞ」なんて、さんざん言われていて、その気になっていたけれど。大きくなるにつれ眼鏡屋なんて、儲からないんじゃないか……と考えるようにもなっていた。
しかし、来春には大学を卒業するけれど、眼鏡屋以外に特にやりたいことも思いつかない。フリーターで適当にアルバイトをしながら、店を手伝うぐらいなら、真剣に店を継いだほうがいいのかな? なんて考えていた矢先、突然おやじが倒れてしまったのだ。
「おやじ、あんまり心配させないでくれよ。一過性の脳梗塞だってさ。夜遅くまで、仕事してるから、からだにガタがきてるんだよ」
近所の人が店に遊びにきていたときに、様子がおかしいと気づいてくれた。即、救急車で運ばれて、幸い大事には至らずに済んだ。けれど、様々な検査を受けていたこともあって、ゆっくりと話をするのはおやじが倒れてからはじめてだった。
「おい、アキラ、今日は何日だ?」
おやじが突然、慌てた口調でおれに話しかける。
「なんだよ? お客様の予定があるのか? 延期の電話しとくからさ、寝てろよな。倒れてるんだから……」
「だめだ。明日のお客様は、なにがあっても断っちゃだめだ」
おやじは厳しい口調でぴしゃりとさえぎった。
「入院してんだから、仕事のことは一旦考えるの、やめたら?」
おれもついムッとして、言い返す。おやじのことを心配してんのに。
しかし、父親の表情はどんどん暗くなっていった。まるで秋の夕暮れのように。先ほどの厳しい口調からは想像できないほど不安そうな顔つきになっていた。
「……アキラ。いいか、よく聞きなさい。……看護師さんが入ってこないように、扉は閉めてくれるか?」
おれは急に様子が変わってしまったおやじに、すこし圧倒されながらも病室の扉を閉めた。
「なんだよ? 突然あらたまって」
「いいから、聞きなさい」
おやじは寝そべっていた身体を起こそうとしたが、おれがムリすんな、といって、やめさせた。
「アキラ。あの店に明日いらっしゃるお客様は、当店でないと眼鏡を買わない、お得意様なんだ」
「うん」
意を決したように、おやじはぽつりぽつりと話はじめた。
「うちの店が、今まで続けてこられたのは、その方のおかげだ。だから、その方の希望にはできるかぎり応えたい。もちろん、できないことはできないって、断るのは構わない。うちだって商売だ。わかるな?」
「うん……。でも、おやじ倒れてるんだからさ、できないって言っても良いんじゃないの?」
おれは、つい、口をはさむ。
「だまって、聞きなさい。その方が店に来られるには、ある条件が揃わないとだめなんだ。……いろいろと決まり事があって、いつでも、ってわけにはいかない。明日、と約束した以上その約束は守らんといかんのだ」
おやじはちいさく首を縦に振りながら、ひとこと、ひとこと力強い口調で話し続ける。確実におれに伝えようとしているのだろう。小さく振り続けている首は、まるで金槌のようだった。少しずつ、おれの心におやじの想いを打ち続けていた。
「……でも、そんな大切なお客様の相手、おれで務まるのかな?」
おれは、率直な気持ちを口にした。万が一おれが対応して怒らせてしまったら。 「堀川眼鏡店」の信用を、おれが簡単に壊してしまうんじゃないかと思い、怖くなってしまった。
「いや、心配しなくていい。代替わりをした、ときちんと話せば分かってくださる方だ。眼鏡に関する技術は……それほど問題じゃない。……問題は、アキラ、おまえだ」
「おれ……?」
「そうだ。おまえは、店を継ぐのを嫌なんじゃないのか? ……気持ちも、分からなくはない。そのお客様は、店の当主じゃないと取引して下さらない。おまえが店を継ぐ、といったら、これから先は、ずっとおまえが担当することになるんだぞ」
おやじが申し訳なさそうに口にした言葉で、おれの胸はチクリと痛んだ。
ただ、時代に逆行しているんじゃないか、と感じているだけで、眼鏡屋が嫌いなわけじゃない。おやじも「後を継げ」なんて、これまで一言も言わなかった。やる気のない息子に継がせる気はないのかな、なんて、おれは勝手にそう思っていた。
「……おれが、堀川眼鏡店を継いでも、いいのか?」
胸に込み上げてくる熱い気持ちを押さえながら、しっかりとした口調でおれはおやじに伝えた。
「……後にはひけないぞ? いいんだな?」
おやじの目が厳しくキラリと光る。
おれは覚悟を決めた。
「はい。よろしくお願いします」
そう言って、深々とお辞儀をした。
おやじは、頼むぞ、と言って、おれの手を強く握った。
おやじの手は乾いていて、シワだらけだった。
……年をとったんだなと、改めて感じた。
店を継ぐという決意をしたけれど「お得意様」の情報を、おやじはほとんど教えてくれなかった。
その方は夜遅くにしか来られない、ということと、昼間に、「今夜伺います」という『しるし』を店の前に置いていく、ということだった。
そのしるしは、ちいさな碁石を三つ、置いていくのだという。
なぜ、そんなまどろっこしいことをするのかは、おやじも知らないらしい。けれど、それは昔からの「しきたり」だそうだ。夜遅くまで店を開けておいてくれ、ということか? または「夜に、ほかの客は入れないように」という意味かもしれない。
そして、一番大切なことだとして「何があっても、驚いちゃいけない」と何度も言われたのだった。
「碁石を置きにくるときに、眼鏡を引き取ればいいのに……」
おやじとの会話を思い出しながら、おれはぶつぶつとひとりごとを口に出す。
夜に来店される前に、今日お渡しする眼鏡のチェックをしたいけれど、それもだめだという。
今日お渡しする眼鏡は、お客様から修理のために持ち込まれたもので、すでに調整はおわっている。お預かりしている眼鏡は古い桐の箱に入っていて、ふたを開けるのに、すこしコツがいる。そのため、お客様に開けてもらうようにとおやじからきつく言われていた。
「はじめてお客様にお会いするときは、手が震えるだろうから、箱を持つときは、慎重にな」
古い正方形の桐箱が、戸棚に入っていることは確認済みだ。
眼鏡が入っている箱にしては、すこし大きな気もする。
「玉手箱じゃないんだから……」
箱をあけてはいけない、といわれると余計に気になってしまう。戸棚を開けては箱の外側をチェックだけして、また戸棚を閉めるのを何度も繰り返していた。
……それにしても、何時頃に来るのだろうか?
もう、日が暮れそうな時間になってきたのに、「しるし」も置かれていない。
少しずつ日が暮れてきて、闇がせまってくる。
逢魔が時、という言葉がチラリと胸をかすめる。
夕方の、薄暗くなる時間。
何やら、怪しげなものに、出会いそうな時間。
ブルリっと急に背筋が寒くなってしまった。
……おかしなことを考えるのはよそう。頭に浮かんだ言葉を振り払うかのように、頭を左右にぶんぶんと振る。
そのときふっと、店先に気配を感じた。
何か、黒い影が動いたように、見えた。
様子を見に行ってみると、扉のそばに、みっつ、白い碁石が一列にならんであった。
「しるし」だ。
今日伺いますよ、という合図。
ようやく置かれた「しるし」を見て、おれは少しだけホッとした。
おやじが店に立ってないから、しるしが置かれないのかと不安になっていたのだ。
第一関門、突破ってところかな?
おれは少しだけ胸をなでおろした。
夜、といっても何時にくるのだろう?
おやじからは「夜」とだけ聞いている。
たしかに、おやじは月に何度か、朝方まで家に帰ってこないこともあった。家からこの店は目と鼻の先にあるのだから様子を見に行こうとしたこともあった。けれど、それも祖父に止められていたな、とぼんやり思い出す。
とりとめもなく思いを巡らせているうちに、おれはいつの間にか机に突っ伏してねむってしまっていた。
「やべ」
慌てて机から身体を起こす。手の甲で、よだれが垂れていないかをとっさに確認する。
ちらりと時計を見ると、あと5分ほどで12時になり、日付が変わろうとしている。
「寝てたあいだに、来てないよな……?」
それにしても、いったい何時まで待っていればいいのだろう?
だんだんと不安になってくる。
……やっぱり来ない、とかってパターンもあるのかな?
その時、かつん、かつんと音が響き、店の前で止まった。
磨りガラスにはぼんやりと人影がうつし出されている。
その人影は、遠慮がちに、ガラス戸をこんこん、と叩いた。
「どうぞ。お待ちしておりました」
緊張して、おれの声は少し、上ずってしまう。
ゆっくりと引き戸を開けて、そのお客様は店に入ってきた。
かつんかつん、という音の正体は、下駄をはいていたからだった。
着物姿の、背が高くがっしりとした体つきの男の人だった。
何か、スポーツでもしている人なのだろうか? ラグビー選手とか、そんな感じの体格だ。時代遅れ、と言っては失礼かもしれないけれど昔話のなかに出てくるような、藁で編んだ傘を深くかぶり、うつむいている。おれの立っている位置からだと、顔がよく見えない。
「……いつもの店主と違うようだが?」
腹に響くような低い声だった。
空気が、ぴしっと張りつめたように感じた。
お客様は、おやじがいないことを不審に思っているのか、すこし警戒しているようだった。店に一歩、足を踏み入れたところから動こうとしない。
「あ、失礼いたしました。ご挨拶が遅れました。私は当店の五代目になるものです。いつもお客様の担当をしておりました者は、私の父親にあたります」
おれが一息でそう言うと、お客様は大きく頷いた。
「……よろしい。嘘は、ついておらんようだな。では五代目、これからよろしく頼みますぞ」
そういって、そのお客様は、かぶっていた傘を取って、ぐいっと顔をあげた。
……驚いちゃいけない。
そう思っていても、恐ろしい気持ちが、ぞわぞわと、心の底からこみ上げてくる。
何でもいいから、大声でさけび出したかった。
落ち着け、落ち着け、と何度も心のなかで言い聞かせた。
お客様の顔には、見慣れないものがあった。
右目。左目。
それからもうひとつ、眉間の少しばかり上に、ぎょろりと動く目玉。
そのお客様は、目が、三つ、あった
おれはごくりと、つばを飲み込んだ。
……驚くなっていわれても、無理だ。
人間なのか、それとも人間じゃないのか。
おやじはなんで、ちゃんと言ってくれなかったのか。
なにやら得体の知れないお客様の相手をするなんて。
……いや、もしかしたら口に出しちゃ、いけないのかな。
何となく、言いよどんでいたおやじの言葉をちらりと思い返す。
とにかく。
このお客様に、きちんと対応しなければ。
怒らせてしまったら、何が起きるかなんて見当もつかない。
おれは小さく深呼吸した。
「……眼鏡は、できております」
震えた声をだしながら、おれはそっと戸棚を開けた。
……やばい。手も震えてしまう。
箱を落としてしまいそうだ。
相手はじっと、こちらを見つめている。
三つの目で。しっかりと。
おれは、ふうっと、もう一度深呼吸をして、どうにか落ち着こうとした。
もう、こうなったら、腹をくくるしかない。
この店を継ぐと決めた以上、この得体の知れないお客様の相手は、これからは、おれがするしかないんだから。
両手で丁寧に桐の箱を包み込んで、そおっと持ち上げる。
カタカタと小刻みに音を鳴らしながら、大切に桐の箱をお客様の前に差し出す。
「机に置いてくれますかな? 落とされてしまうと、困るのだ」
三つ目はそう言って、店内の机の上をそっと指差した。
ゴツゴツと節の目立つ指は、まるで太い木の枝のようだった。
おれは小さくうなずいて、いまにも電池が切れそうなロボットのように、ぎくしゃくとした動きで、桐の箱を机の上にのせた。
「……どうぞ」
おれがそう言って箱を差し出すと、三つ目は「うむ」といって、うなずいた。
三つ目がそっと桐の箱を持ち上げる。とても大切なものだと言わんばかりに。
ふたを優しく撫でながら、なにやらブツブツと呪文のような言葉を発したあと、箱のふたを持ち上げた。
そこには、もちろん、眼鏡がはいっていた。
丸く、小さなレンズが3つ付いている。
しなやかな銀色の金属でレンズは縁取られていて、とても繊細だ。
三つ目のために特別に作られた眼鏡だった。
「かけても良いかな?」
そういって、三つ目はおれに確認する。
「……もちろん。お客様のものですから」
おれは小さくうなずいて、どうにか声を絞り出した。
三つ目は眼鏡を手に取って、うっとりとした表情で眺めていた。
少しでも力を加えると折れてしまいそうな、細いつるの部分をそっと耳に掛けた。
おれは慌てて、鏡を三つ目の前に持っていく。
「いかがですか?」
「うむ」
おでこにある目の位置のレンズも、目にぴったりと定まっている。
うまく作られているなと、おれは感心してしまった。
三つ目は嬉しそうに何度も眼鏡をかけたり外したりを繰り返して鏡を見ている。どうやら納得のいく出来映えのようだ。
眼鏡をかけたままで、三つ目はおれをみて、ニコリと笑った。
「うむ。五代目。たいへん気に入った」
「……気に入っていただけて、何よりです」
おれは、口角を思いっきりあげて作り笑顔をした。
だけど、初めに接したときの恐ろしさは、少しだけ和らいでいることも感じていた。
眼鏡を気に入ってくれた時の、嬉しそうな表情が、人間だろうが妖怪だろうがなにも変わらないと思えたのだ。
おれは、うちの店の眼鏡に対して、とても誇らしい気持ちになった。
「……あの、いくつか質問してもよろしいですか?」
ここまで来たら、もう取って食われるようなこともないだろう。
おれは、思い切って三つ目にいろいろ聞いてみたくなった。
こわいもの見たさ、というやつだろうか。
ちょろりと好奇心が芽を出してしまったのだ。
眼鏡をかけた三つ目の顔は、初めに見たときよりも、やっぱり怖く感じなかった。ついつい、おでこのあたりをチラチラと見てしまう。けれど、あまり見ると目が合うかもしれないし、怒り出すかもしれない。できる限り自然に、見ないように気をつけないと。
「五代目。今日はみやげをもってきておる。夜は長い。食いながら話を聞こうではないか。ここの団子はうまい」
三つ目は、そういって包装紙に包まれた箱を着物の懐から差し出す。
それは、幼なじみのカノコの店「香月堂」の包装紙だった。
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