他人には言いにくい人混みでの私の密かな楽しみ
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記事:ほう(ライティング・ゼミ平日コース)
平日の朝8時半。
電車の中はいつもの様に通勤・通学客で混雑している。
今日はその中に、リクルートスーツの学生が数人混じっていた。
着なれないスーツと大きな四角いかばんが、初々しい。
……これは、今日はいつもより楽しめるかもしれない。
私は一人で内心にやりとした。
会社の最寄り駅に到着すると、ダムが決壊した様に、人がホームにあふれ出した。
私もその波にまぎれて、改札口までの階段を足早に上る。
改札を出ると、会社までの空中通路が約500m続く。
幅は、人が5人並んで歩けるぐらいだ。
行く先を見ると、先ほど電車の中で見かけた学生の他にも、就活生がちらほら。
どうやら今日は近くで、どこかの会社の説明会がある様だ。
さらにその先を見ると、外国人観光客が連なってやって来るのも見えた。
通路はいつもよりも混んでいた。
よしよし、これは突破しがいがありそうだ。
さて、今日はどれだけスムーズにすり抜けられるか!
そう、私の密かな楽しみは、人混みを人とぶつからずに通り抜けることだ。
本当は、人の多いところはむしろ苦手だ。
身動きのとれない満員電車も、息がつまりそうになる。
でもこれは、自分の中ではゲームとして楽しむべきことなのだ。
ことの起こりは17歳の夏。
複数大学の入学説明会イベントを目的に、私は初めて一人でJR大阪駅に降り立った。
郊外の自宅からバスと電車を乗り継いで、約1時間20分。
今では駅前の再開発で徐々に整備されつつある大阪駅前だが、当時はまだ古く、乗り換えの看板も今よりももっと分かりにくかった。
大阪駅から目的地への間にある地下街も例外では無く、人の流れが複雑だった。
地下鉄御堂筋線と阪神電車の改札口、阪神百貨店の食品売場エントランス、JRへの地上出口、地下ショッピングモールへの通路に、阪急電車への連絡通路……と、動線が入り混じり、四方八方へ人が散らばっていくイメージだ。
東京でいうと、新宿駅の規模を小さくした様なところだろうか。
JRから何とか地下へと降りると、あまりの人の流れの複雑さに一瞬腰が引けた。
ところどころで肩がぶつかっている人や、道を譲り合っている人が見える。
正直、怖かったけれど、目的地にたどり着く為は仕方がない。
えい、とその人の渦の中に飛び込んだ。
と、早速。
「っわ、あぶな!!」
向かいからやって来たサラリーマンが、ぶつかる寸前で私を避けた。
いや、避けてくれた。
「す、すみません!!」
すれ違いざまに振り返ってそう謝るので、精いっぱいだった。
そのサラリーマンの目には、キョロキョロと辺りを見回し、おぼつかない足取りで進む私は、いかにも『都会に慣れていない田舎の子』に映ったに違いない。
そう思い、思わず赤面した。
その後もみんな、すごいスピードでぐんぐん迫ってくる様に感じた。
私は目的地への看板を見つけるだけでも精いっぱいで、人の進行方向を気にする余裕など無かった。
結局、その六叉路を通り抜ける間だけで、私は2人とぶつかりそうになり、1人と肩がかすり、もう1人の行く先を邪魔してしまって、軽く舌打ちをされるはめになった。
大阪人はせっかちなのだ。
「大阪、人多すぎ! 地下街ムリ!」
というのが、その時の感想だ。
ただ人混みへの苦手意識を持って、終わった。
その後大学を卒業し、私は大阪で働くことになった。
営業アシスタントだったので、外出もある。
そこでその苦い思い出の地下街六叉路を、頻繁に通ることになった。
最初にそこに再度立った時、高校生の時の記憶がよみがえって、ちょっと嫌な気持ちになった。
そうだ。ここ昔、ぶつかりそうになって舌打ちされた場所だ。
地上など、違うルートが無いわけではない。
けれど、どう考えても一番効率がいいのは、その通路だった。
またぶつかるのが嫌だった私は、人混みの手前で立ち止まってみた。
邪魔にならない様に、柱の横に身を寄せる。
ちょっと人の流れを観察してみることにした。
落ち着いてよく見てみると、一見ランダムに動いている人達だけれど、その動きには前兆があるのが分かってきた。
キョロキョロと上を眺めている人は、目的の看板を見つけると、急に方向転換する。
急ぎ足のサラリーマンは、前の人を避けて急に横に飛び出す。
おしゃべりに夢中の大学生4人組は、全く前を見ていないから、柱の前でつっかえる。
携帯メールを打っている男子高校生は、こっちが避けるしかない。
あれ、何だか動きが見えてきたかも。
思い切って、前に進んだ。
うん、前の人、右に曲がりそう。
後ろから人が急いでやってくる。
『謎の動きの地下街の集団』だと思っていたけれど、こちらが個々によく観察して、動きを予想したら、その日は人にぶつからず、無事に通り抜けることができた。
その日以降、日常でも人を注意深く観察する習慣がついていった。
それは移動だけではなく、仕事をする上でも役に立った。
それまでの私は、どうも仕事の上でタイミングが悪かった。
出かける直前の営業さんに話しかけてしまったり、
まだ降りる人がいるのに、エレベーターの『閉』ボタンを押してしまったり。
実際に、営業さんから「相手が何を望んでいるか、よく考えてから行動して」と
注意されてしまったこともある。
でも、何かをする前に人の行動に注意する様になると、
だんだん相手が何を考えているか、自分がどういう時に動けばよいのか、が分かる様になってきた。
それがいわゆる『空気を読む』ことだと知ったのは、もう少し後の話だ。
今でも私は、その地下街をたまに通る。
整備されて昔よりは綺麗になったけれど、人の多さは、変わらない。
土日の昼ともなると、まっすぐ進むのが難しい位だ。
でも、その複雑な人の渦を見ると、今では私はひとりニヤリとする。
さて、今日もぶつからずにスムーズに通り抜けられるかな。
それは都会で働く大人の、ささやかなゲームだ。
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