思い切って、捨ててしまおうか
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:ちくわ(ライティング・ゼミ 日曜コース)
「もう、嫌だ」
心の中で、何度思っただろう。
でも、諦めがつかない自分がいる。
「はぁ・・・・・・」
思わず、ため息が出てしまう。
いつもはもっと上手くいくのに。
いつもと同じ順序なのに、何で今日は違うんだろう。
「お願いします・・・・・・」
祈りながら続ける。
一つになってほしいのに。
顔から、体から、汗がとまらない。苦しい。
体だけでなく、心も、この部屋の暑さと焦りで汗だくになった気がする。
もう何分、格闘しているだろう?
見渡しても、私の手元に時計はない。ただ、夜23時は過ぎていたはず。
今日の私は、朝早くから仕事をして、家事もして、ジムにまで行って疲れたから、さっさと寝ようと決めていた。なのに、なぜ今、こんな状況に?
そう、私は寝ようとベッドに入ってから、もやもやしていた。
最近、人間関係が立て続けに上手くいっておらず、完全に自分が悪いと割り切れるものもあれば、納得がいかないものもあった。数日経てば、この悲しみフォルダは、日々の出来事で上書きされ、忘れると思った。だが現に、うまく更新されないまま。
布団をかぶって、心地よい音楽を流してみても、頭が冴えていく。
なんだか寂しくなった。考えれば考えるほど、どんどん寂しくなって、この気持ちを何かにぶつけたくなった。
「もうだめだ」
観念して、私はスマホを手にとり、別の部屋に向かう。
「あること」を、始めるために。
「時間はそんなにかからないはず」と、タカをくくった自分がいけなかった。
汗だくの状態から、私はいまだ変わらない。
いつもなら、あいつは、もっと素直に聞いてくれる。
私のストレスを受け止めて、短時間でしっかり、まとめあげてくれる。
最後には、いい表情をみせてくれるから、私も安心できる。
コロコロと表情が変わるあいつに、今日もいつもと同じように気持ちをぶつける。
オレンジ色の間接照明一つ。明るすぎないほうが、ちょうどいい。
手で触って、指で押して、でも、自分の汗がつかないように気をつけながら、体重をググッとかける。
様子をみながら、ぎゅっとつかんで対話をする。
振り回されても、最終的には私は、あいつを思い通りにしてきた。
普段なら、これだけ時間をかければ、すべすべしてくるはずだった。
つるんとまとまって、弾力がうまれる。
なのに、今日は私の手に、ベトベトまとわりついて離れない。
親指、ひとさし指、中指。一本ずつ、はがしてまとめる。
今まで数十回、同じことをしてきて、こんなことは一度もなかった。
上手くいかず、時間だけが過ぎていく。
すぐまたベトベトしてきた。
指や手のひらから、何度はがしてもすぐ、ぐちゃぐちゃっとなる。
用意した材料も、つい先週と全く同じだったのにと思うと、原因がわからず腹がたつ。
まるで、ワガママな気まぐれペットみたいだ。たとえば猫のような。
同じように接しているのに、日によって態度が変わる。
相手は、私にわかる言葉を伝えてくれないから、表情から読み取るしかない。
ニュアンスで、感じとるしかない。
何が違う? 何がいけなかった?
再度、今までの手順を思い返してみる。いや、やっぱり何も変わらない。
いっそのこと、捨ててしまおうか。
私は、追いつめられていた。
気力・体力ともに消耗し、諦めたほうがいいのではと思い始めた。
明日も朝早く仕事に行かなければいけない。
このまま続けても、うまくいかないかもしれない。
思い切って捨てることも選択肢にいれなければ、沼にハマっていくだけかもしれない。
ふと、自分が呼吸を止めていたことに気付いた。
手は、台に寄りかかったままで、ゆっくり深呼吸をすると、頭の中が酸素で満たされる。
今までカッカとしていた気持ちが落ち着く。
窓の外から、やわらかい雨の音が聞こえる。
あぁ、ストレスを与えすぎたから、まとまってくれないのだろうか。
いつも私の愚痴をまるごと受け止めてくれるから、そっぽ向いちゃったのかもしれない。
よし。あいつなんて呼び方はやめて、あの子にしよう。
いい子、いい子。あなたはいい子だよ。
すると、なぜか不思議と、ぐんぐんまとまりはじめた。
愛情が、この両手から伝わったのか。
私の心持ちが、変わっただけのはずなのに、あの子は、こたえてくれた。
のど元を触ると、グルグル気持ち良さそうに鳴く猫のように、いつものいい顔をみせてくれる。
膜がつるんと張って、白い気泡がぷつぷつ。指で押したら、肉球のようにぷにぷに。
ここまでくれば、もう大丈夫。
次の段階、一次発酵に進める。いい子だから、そのままでいてね。
お尻をしっかりとじたら、ボールに入れ、ラップをふわっとかける。
良かった。ようやくまとまった。
思いに任せて捨てなくてよかった。さっきまでの辛さもふっとぶ。
だから手ごねパンはやめられない。
機械にまかせず、自分の手で混ぜ合わせ、こねあげる。
0から育てた「たね」は、一次発酵、二次発酵とぷっくり膨らみ、愛おしさが増す。
ほんの数時間しか寄り添わず、結局食べてしまうけれど、やわらかな生地が、いつも私のストレスを包んでくれる。
香ばしい匂いが漂ってきた。
うん、今日もおいしいパンになってくれそうだ。
さっきまでのもやもやも、どこかへ漂っていったのか、心は軽くなっていた。
「ピーッ」
焼き上がりの音が鳴る。
私は、オーブンにワクワクしながら手をかける。
***
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