私はあいつに溺れている
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:及川智恵(ライティング・ゼミ 平日コース)
疲れた。
午後6時。あるオフィスでの仕事を終えたところだ。家に帰ったらまた別の仕事があるのだが、もうエネルギーを使い果たしてしまった。そしてすっかり空腹だ。
こんなときは辛いものが食べたい。身体がカーッと熱くなるようなものを食べて、元気を補充したい。
何がいいだろうか。とぼとぼ歩きながら脳内検索をかける。
答えはすぐに見つかった。あいつだ。あいつしかいない。
思い浮かべるだけで、口の中に刺激がよみがえってくるあいつ。元気が湧いてくるあいつ。胃の中がほかほかしてくるあいつ。今こそ、あいつが食べたい。
1つ問題があるとしたら、あいつの辛さは容赦ないという点だ。なにしろ、辛いのを通り越して痛みを感じるほどなのだから。
それでも定期的にあいつを食べたくなってしまう私は、マゾなのか中毒なのか、はたまたその両方なのか。
いずれにしても、もうあいつのこと以外考えられなくなってしまった。電車を途中下車して、あいつのいる店に向かう。
テーブルが6つ、カウンター席が4つ。
それほど大きくない店内は、お盆休みに入っていたせいか、いつもより少しすいていた。
カウンター席に座って、意味もなく「よし」と軽く気合いを入れる。
一応メニューを開いたが、迷う必要はない。ここに来たら、頼むのはいつもあいつだ。
お水を持ってきてくれた店員さんに、すぐさまオーダーする。
あいつを、麺大盛りで。
オーダーすると、店員さんから2つ質問が返ってくる。
「普通の麺と唐辛子入りの麺、どちらがいいですか?」
唐辛子入りでも特に辛くないのはわかっている。ここは普通の麺を選ぶ。
「赤山椒と青山椒、どちらがいいですか?」
青山椒のほうがビリビリとした辛さが強い。迷わず青山椒を選ぶ。
これでOK。お水を一口だけ飲んで、ぼんやりと待つ。
あいつ、いつからか、麺の量も具のネギの量も減っちゃったんだよな。
その分値段も少し下がったけど、満足感も減っちゃったんだよな。
それなのにやっぱり忘れられなくて、麺を大盛りにして頼むようになっちゃったんだよな。
結局、昔よりかえって高くつくようになっちゃったんだよな。
満足感が下がったと言いながらも、高くつくと言いながらも、結局来店を続ける私。しかも、他店ではまず頼まない大盛りを頼む私。
やっぱりマゾか中毒か、はたまたその両方なのか。
5分ほどであいつが運ばれてきた。2、3ヵ月ぶりだろうか。久しぶりだ。また会えて嬉しい。
皿が目の前に置かれた瞬間、ふわりと山椒が香る。たまらなく良い香りだが、もう既に辛い。ゾクゾクしてくる。
大盛りの麺の上に乗っているのは、ネギ、ピーナッツ、ザーサイ、そして飾りの鷹の爪が1本。
ぼんやりしていると麺同士がくっついてしまう。熱いうちに一気にかき混ぜて、お皿の下のほうに溜まった真っ赤なオイルを絡めていく。
麺が赤く染まっていく様子を見ていると、不思議な高揚感を覚える。
もう全身が待ちきれない。麺を口に運ぶ。
麺のしこしこ感とともに、ネギのしゃきしゃき感と、ピーナッツのぽりぽり感と、ザーサイのこりこり感。
食感がとにかく楽しい。この具材のチョイスは最高だと思う。
しかし、楽しいなんて言っていられるのもここまでだ。
2口、3口と麺をほおばる頃から、口の中は大騒ぎになる。
とにかく辛い。というか、痛い。
山椒が容赦なく暴れ出す。ビリビリとした痺れるような刺激だ。
今なら本当に火を噴けるのではないかと思うほど、口の中が熱い。
そう、これこれ。これが欲しかったのよ、私。
凶暴なこいつを食べきるコツは、途中で水を飲まないことだ。
何度も食べるうちに学んだ。食べている途中で水を飲んでしてしまうと、かえって口の中がヒリヒリしてしまって苦しいということを。
何も飲まずに一気に食べきったほうが、感覚が麻痺したままになるのか、痛みは少ないのだ。
だから、私はただひたすら麺をすする。集中して一生懸命食べる。全身がどんどん熱くなっていく。
ああ、辛い。ああ、痛い。ああ、おいしい。
いくらおいしいとはいえ、なんでこんな痛い想いをしてまで、なんでこんなにも必死になってまで、私はこいつを食べているのだろうか。
たまに本気でわからなくなるのだが、きっと私がマゾで中毒だからなのだろう。
食べ終えたところで、水を一気に飲み干す。
テーブルの上には水の入ったポットが用意されている。もう1杯水を注ぎ、一気に飲み干す。
口の中はまだ完全には落ち着かないが、だいぶ鎮火した。もう大丈夫だろう。
ごちそうさま。幸せだ。よし、まだまだ働けるぞ。
あいつは完全に麻薬だ。
単に元気をくれるだけではない。どんなに濃いコーヒーも、どんなに高い栄養ドリンクも、あいつにはかなわない。
辛さの刺激と闘うと、疲労や余計な考えごとがすべて焼き払われたような、なんとも言えない爽快な気持ちになる。
実際に体験したことはもちろんないが、違法な薬は高揚して気持ちが良いと聞く。あいつはやっぱりその仲間だと思う。
まして、さんざん痛みを味わったはずなのに、疲れた身体は必ずあいつを思い出してしまうのだ。それも、「おいしい」という快感として。
もう離れられない。私は立派な中毒患者だ。
池袋駅直結、Esolaというビルの6階。
私が溺愛し、麻薬代わりに注入するあいつの名は、「香家」という香港料理店の「麻辣汁なし担々麺」という。
このお店がなくなってしまったら、大好きなあいつがいなくなってしまったら、既に中毒患者と化している私は、廃人同然になってしまう恐れがある。
だから、1人でも多くの客に恵まれて、長く続いてほしいと願うばかりだ。
そして、そう願うあまり、たびたびあいつを食べにいってしまう私の中毒症状は、どんどん悪化するばかりなのだ。
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