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あの本が僕にかけた呪いを解くには


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:薬師寺 舞 (ライティング・ゼミ 通信専用コース)

 
 
「新しい職場でも頑張ってね」
 
そう言って、僕の教育係だった佐藤先輩は1冊の本を僕に手渡した。
『入社1年目の教科書』という本だった。
 
そのとき、僕はもう入社3年目だった。
 
2年前の今日、僕は新卒で入った会社を辞めた。
僕はひどく仕事ができなかった。
文章を考えるのが苦手で、メール1通作るのにも人の倍は時間がかかっていたし、書類の整理はそれ以上に苦手で、机の上はいつも書類で溢れ返っていた。
いつも段取りが悪く、報告・連絡・相談は上手くいった試しがない。
報告しようと思ったときには、そうすべきタイミングはとうに過ぎていて、別にしなくても大丈夫だろうという根拠のない自信からろくに連絡をせず、相談は手短に済ませなければと焦るあまり早口になって、途中から自分でも何を言っているのか分からなくなった。
 
佐藤先輩にはたくさん迷惑をかけた。
夕方5時を回った頃におずおずと手遅れの報告をしては、そのたびに怒られた。
僕の仕事が終わらなかったせいで、先輩の誕生日に予約していたディナーをキャンセルさせてしまったこともあった。
100パーセント僕が悪いのだが、隣のデスクで不機嫌そうにキャンセルの電話をかける、その一部始終を見ているのは中々にキツいものがあった。
 
同期が順調に仕事を覚えて次のステップに進んでいるのに、自分だけが迷惑をかけてばかりで同じところにずっと留まっている。
早く追いつかなければと焦ると、その焦りがミスを生んでまた迷惑をかける。
その悪循環を断ち切ることができず、職場にいるのがだんだんと苦しくなり、半ば逃げ出すように会社を辞めることを決めた。
 
最終出社日、同じ部署の人たちにお菓子を持ってあいさつまわりに行った。
みんな心の中ではどう思っているか知らないけれど、当たり障りのないやさしい言葉をかけてくれる。
最後に厳しいことを言って波風を立てようなんて人はそういない。こちらも当たり障りのない言葉を返す。
 
佐藤先輩のところへあいさつに行く前に、先輩が帰る時間が来てしまった。
先輩が時短勤務なのをすっかり忘れていた。最後の最後まで段取りが悪い。
帰りがけに先輩が僕のデスクに寄ってくれた。
そして渡されたのが、『入社1年目の教科書』だった。
 
なぜこの本なのか、という説明は全くないまま、佐藤先輩は行ってしまった。
しかし、その一連の出来事は、僕に「今の君は社会人失格だ」と伝えるためにこの本を渡したと思わせるのに十分だった。
もしかしたら違う理由があったのかもしれないが、一度そう思うと、もうそれ以外の理由は考えられなくなってしまった。
 
人から本を贈られるというのは、その人から「私はあなたのことをこんな風に思っています」と告白されることに等しい。
その人のことだけを考えて選ばれた1冊の本には、その人への感情や面と向かっては言えない言葉を託すことができるし、託そうと思わなくても勝手に伝わってしまうこともある。
その力は、不特定多数に向けたお薦めの本とは全く次元の違う強さを持っている。
本を贈られるということは、僕にとって特別なことだった。
 
だからこそ、職場で一番長く時間を共有していた人から「社会人失格」というメッセージが込められた本を受け取ることは、とんでもなく情けなく、辛かった。
そのメッセージは、僕の中に、告白ではなく、呪いとして残った。
 
あの時かかった呪いは今でも解けていない。
新しい職場に移って2年が経ち、できることが少しずつ増えてきた。
時々、今、自分は役に立っているんじゃないか、と思えるときがある。
しかし、そんな時に、あの1冊の本のことが頭をよぎる。
 
ああ、そうだった、僕は社会人失格なんだった。
そう思い直して、ほんの一瞬浮かんだ淡い希望をなかったことにする。
その繰り返しから抜け出せずにいる。
 
どうやったらこの呪いから逃れることができるのか。
最近たどり着いた答えがある。
 
冒険を続ければ、きっと呪いは解ける。
 
呪いは恐ろしいもの、一生抱えていかなければいけないものだと思い込んでいたけれど、よくよく考えてみれば、世の中に物語は数あれど、物語のはじめに呪いにかかった人に、呪いがかかりっぱなしで終わる物語は、全くといっていいほどないのだ。
あの小説も、あのRPGも、みんなそうじゃないか。
冒険を続け、その中で困難に立ち向かい苦しみながらも、最後には必ず呪いを解いているじゃないか。
 
それに気づいた今、僕は鬱屈とした気分から解放され、自分にかけられた呪いを解くRPGの主人公のような気分になっている。
ボスは、前の職場があった東京・丸の内のビル群だ。
あそこには、僕の2年半の苦い記憶がすべて詰まっている。
今はまだ、そこに立つとのどが渇いて心臓の鼓動が早くなってしまう。
レベルが足りていないのだろう。
でも、RPGの主人公が冒険を続けるように、僕も日々の出来事を積み重ねていけば、きっと、いつの日かボスを倒して呪いを解くことができる。
そう今は信じることができている。
東京駅の丸の内南口に堂々と立つことができたとき、呪いを解くための僕の冒険は、終わる。
その日まで、黙々とレベルを上げるのだ。
 
 
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2017-09-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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