メディアグランプリ

人生が変わる、気持ちの底と3週間


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:萩本孝子(ライティング・ゼミ 日曜コース)

 
 
それは、22才の春。
私は、中国・南京のホテルの部屋で、一人テレビを見ながら泣いていた。
日本では絶対見ないような、浪曲がナレーションの、とてつもなく暗い日本語の時代劇。
「なんで私、こんなところに一人で来てしまったんだろう。日本に帰りたい」
そう思いながら。

高校の時、椎名誠が愛読書だった私は、大人になったら、絶対一人で海外に行こうと決めていた。
そして22才の3月15日。
神戸ー上海を結ぶ、大型船の鑑真号に乗って、念願の海外一人旅、中国へ向けて旅立った。

鑑真号の乗船時間は48時間。
日本海に出るとけっこうな荒波で、多くの乗客がダウンする中、鼻歌を歌いながら廊下を右へ左へ、ゆるゆると斜め歩きで渡っていた中国人女性スタッフの姿が印象的だった。
日本人だったら、仕事中にあんな風に歌いながら歩いたりはしない。船内では日本語が通じたが、なんとなく醸し出される外国の雰囲気に、これから始まる旅への期待で気持ちが高揚していた。

丸2日かけて、船は上海に到着し、日本から予約していた浦江飯店というレトロなホテルに入った。
ホテルは石造り、町の街灯はオレンジ色。当時の中国は日本の20〜30年前の景色と言われていて、タイムスリップしたような風景は逆にとても新鮮だった。
そして、鑑真号で同時に着いた同世代の日本人達と一緒に、上海雑技団や本場の美味しい饅頭(肉まん)を満喫し、4〜5日後、次の町南京へ、一人移動した。

他の日本人も一緒だった上海とは一転して、一人になると不安や緊張が襲ってきた。
それでも、南京のホテルに到着すると、一人旅のバイブル「地球の歩き方」を片手に、バックパッカーならドミトリー(大部屋)に泊まりたいと、ホテルのフロントで交渉した。だけど、通じなかったのか、無視されたのか、よくわらかないまま通されたのは、ツインルームだった。

南京は雨で寒かった。

実は、日本で準備中の時、当時バックパッカーのバイブル「地球の歩き方」の情報誌に、「中国へ一人旅に出るので、同じ時期に旅している人、現地で会いませんか?」という投稿をしていた。
メールやネットのない当時、手紙のやりとりで3名の人と予定を合わせ、その最初の人と南京で会う約束をしていた。

雨の中、中国語辞典と「地球の歩き方」を頼りに、待ち合わせ場所に行ってみたが、待ち人は現れず。
バックパッカーの予定は未定。仕方がなく、一人帰った。

中国語は旅行前に2ヶ月だけ習っていたけど、現地の中国人には、ほとんど通じなかった。
それに、中国の人は、とても明るいがつっけんどんだ。
とりわけ仕事中の女性は怖い。日本人のように優しい接客はありえなく、買い物をしても「ありがとう」とは言わないし、むしろ、いやそうに商品を渡し、つり銭も投げつける感じ。
心が殺伐として、寂しさと不安で、打ちのめされそうになっていた。

薄暗いホテルのツインルームに帰ってからも、考えるのは、
「誰かと話がしたい。日本語がしゃべりたい」そんな事ばかり。

なんで、こんなところに一人で来てしまったんだろう。
あぁ、日本語が聞きたい。
そうだ! テレビで日本語の番組、何かやってないだろうか。

で、見つけた、冒頭のあの番組。

ストーリーは確かこんな感じ。

浪人が、小さな子どもが外で泣いているのを見つける。
なんで泣いているのかを尋ねると、お母さんに家の中から追い出されたという。
かわいそうに思って、子どもの家を尋ねると、お母さんは遊女で「その子を連れてどこかへ行っておくれ」と言って、家の障子をピシャッと閉めてしまう。
仕方なく、浪人は子どもを連れて、帰るあてのない旅に出る。

セリフがなく、暗い浪曲がナレーションがわり。
暗い、寂しい、救いようがない。

だけど、私は、ただもう日本語が聞きたくて、必死で見ていた。
もちろん楽しい気持ちには全くなれず、見終わった後、もう他の日本語の番組もなく、ただ薄暗い南京のホテルのツインルームで、ベッドの布団にくるまって、落ち込んでいた。

ずっと雨は続いていて、あいかわらず寒い南京。
観光するところもあまりなく、日本に帰りたい気持ちのまま、数日、鬱々と過ごしていたが、ここまで来て日本にすぐ帰れるわけもなく、しかたなく、次の町「鄭州」に行くことにした。

「鄭州」に行く列車は、4人掛けのコンパートメントだった。
私以外は、みんな中高年のおじさん達。
好奇心旺盛の中国人のおじさん達は、あれやこれや中国語で話しかけてくる。
まだ、南京の鬱から立ち直っていなかった私は、「めんどくさいなぁ、一人にしてくれよ」と内心思っていたが、日本人らしいつくり笑顔で、筆談で会話した。

お昼の時間になり、弁当売りがやってきた。
おじさんの一人に弁当の買い方を教えてもらい、無事、お昼ご飯を食べることができたのだが、量が多くて全部食べられない。
残った弁当はどうしたらいいのか? と身振り手振りで尋ねると
「こうやったらいいんだー!」
列車の窓を大きく開け、そこから弁当箱ごと、遠くへ投げ捨てた!
「うわっ! うそー!!」

その時、何かがふっきれた。
何か未知のものに対する好奇心が、日本に帰りたい気持ちや不安を追い越した。

その後も続いたコンパートメントのおじさん達との筆談は、めんどくさいと思いながら、少しづつ楽しめる気持ちに変わっていって、無事「鄭州」にたどり着いた。

これは、一人旅を始めて約3週間目の出来事。
不思議なことに、この後からは、いろんなことが平気になっていった。

次の町では、ホテルもちゃんとドミトリーを案内してもらえたし、中国人とも、いろんな外国人のバックパッカーとも、言葉はめちゃくちゃだが、何とか話せるようになっていって、旅はどんどん面白くなっていった。
日本で約束をしていた後の2人は、1人は会えなかったけど、もう1人とは昆明で会う事ができ、私はこの後もずっと一人旅を続け、西安、昆明、石林、ウルムチ、フフホト、北京、香港など、中国をぐるっと回って、ちょうど2ヶ月後の5月15日に、無事日本に帰国した。

新しい習慣を身につけるには、3週間続ければいい、というのを聞いたことがある。
私にとって、この旅の最初の3週間は、22才まで日本で培った習慣や価値観をひっくり返す、とても重要な期間だった気がする。
だけど、きっと時間だけじゃなくて、逃げ出せない環境で、一回どーんと気持ちの底まで沈むことが出来たので、その後、浮上できたんじゃないかと思っている。

なので、もし、今、何か始めてみたけど、面白くなくて、止めそうかどうか迷っている人がいたら、まずは3週間、逃げ出さないでやってみることをオススメしたい。
もしかしたら、3週間の間、気持ちの底まで沈んだら、その先、見える世界が変わるかもしれないと思うから。

 
 
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2017-09-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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