お医者さんは、泣かないの?
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:さつき(ライティング・ゼミ 日曜コース)
※この記事はフィクションです。
悲しくないわけじゃないんです。
患者さんが亡くなった後って、実は結構するべきことが残っているのです。どうして亡くなったのか、はっきりわかっている場合はいいんですが、場合によっては死後にさらに検査をしたり、解剖のお願いをしなければならないこともあります。解剖となると専門の先生にお願いしなくてはいけませんし、厳格な手続きもあります。死亡診断書もできるだけ早く書かなければ、ご家族が何の手続きもできずに困ってしまいますが、かと言っていい加減な診断書を出すわけにもいきません。
何よりも医師としては、どんな時も冷静であるべきというか、感情に流れずに判断を下せる状態であるべきだという職業意識もあります。
医者になってもうすぐ30年になりますが、正直、診療中に涙を流したのは、一度だけです。それも患者さんが亡くなられた時ではないです。
その時の話、お聞きになりますか?
緩和ケアチームというのを作って、活動を始めたばかりのころのことです。緩和ケアっていうと、末期がんのお看取りをする……みたいなイメージですが、実際には重い病気の痛みや苦しみをとる、という仕事です。
Hさんという患者さんがいらっしゃいました。70歳少し過ぎ、私の実家の父と同じ年で、すい臓がんの痛みが取れなくて入院されました。
すい臓のすぐ近くには神経のかたまりがあるので、進行するとしつこい痛みに苦しめられる方がとても多いのです。早期に見つけることが難しいですし、本当に怖い病気です。がんは大きくて転移もあり切除不能、そして抗がん剤も効かなくなっての入院でした。
初対面の印象は「気難しそうだな」。強い痛みがあるせいもあって、言葉少なで、愛想のない方でした。毎日「調子はいかがですか」と伺うんですが、返事がたった一言「痛い」だったりすると、それは落ち込んだものです。でもいつもHさんの病室にはお見舞いの方が絶えず、毎日新しいお花やプレゼントが飾られていました。
Hさんの場合、痛みと、そしてしつこい吐き気に悩まされていました。神経に直接がんが悪さをするのですから、それはもう耐え難い痛みです。直ちに医療用の麻薬を必要量使い、痛みについて大学の詳しい医師に相談して、神経ブロックを併用することでかなり痛みを抑え込むことができました。吐き気のほうは文献にあるすべての吐き気止めを使い尽くして、もうこれが効かなければ使う薬がない、という薬が効いてくれて。「今日は、良い」と言ってくれた時は、感激しましたよ。スイカがお好きだったんですけど、亡くなる前日まで奥様お手製のスイカジュースを楽しみにされていました。
お付き合いしているうちに、言葉少ないながらも、誠実で実直なお人柄もわかってきました。何かしてもらえば、医療者に必ず感謝を伝えてくれました。ご家族も代わるがわる絶えずお見舞いがありましたし、元の職場の方たちが、「若いころに助けていただいて」とお見舞いが絶えないのも、なるほどと思いました。
どうにか症状は抑えられて、穏やかに過ごされていたのですけど、がんの進行は避けられません。日に日に弱られて、脳梗塞を併発されて。ご存じない方が多いと思いますが、がんの患者さんは、とても血管が詰まりやすくなるのです。Hさんは半身が麻痺し、言葉が不自由になりました。だからといってもう治療のすべもありません。お話はできないのですが、毎日回診に行くと、一生懸命ご自分の状態を伝えてくださるのです。自分も誠実に診療しなければ、と襟を正されるような気持ちでした。
症状が進み、もう明日には意思の疎通ができなくなるかもしれない。そう思って回診に行った日のことでした。
一通りの診察が終わり、薬や治療の変更をして、「それではまた明日、参ります」とご挨拶をした時のことです。
Hさんがしきりに、まだ動かすことのできる片手を振るのです。残り少ない力をふり絞って。必死に言葉を発しようとされますが、聞き取ることはできません。
その手が10回ほど振られたとき、気がつきました。手刀を切っているのです。ありがとう、と。
それは彼の渾身の感謝の表現でした。
がんに侵され、痛みに苦しみ、体の自由を奪われ、そして死が迫っている。その時の彼に残っていたものは、感謝、だったのです。
「Hさん、そんな……」
私にはそれしかお答えする言葉はありませんでした。どんな時にも出なかった涙が、あふれて止まりませんでした。。
自由も未来も失ったとき、彼の心に残っていたものは感謝だったのです。なんて人とは尊いものであろう。
若いころは救急医で、散々災害や事故でむごい死に方をした人を見ても泣いたことのなかった私ですが、その時だけはこぼれる涙を止めることができませんでした。
2日後、Hさんは亡くなられました。
急変でご家族が集まられたのですが、一番かわいがっていた末孫の3歳のお嬢さんが間に合いそうにありません。
「携帯は通じるのですが……」
「お耳は最期まで聞こえるんです。電話でお声を聞かせてあげてください」
当時携帯電話は病棟では禁止だったのですが、そんなの知ったこっちゃない。
Hさんは携帯電話を耳に当て、最愛のお孫さんが「じいちゃん、じいちゃん」と呼ぶ声を聴きながら、亡くなりました。
携帯電話がこんなに優しい機械だということを、初めてその時知りました。
涙は出ませんでした。Hさんがご自分の命を生き切ったこと、私も力を尽くし切ったことを、納得していたのです。
診療中に泣いたのは、あの一度だけです。
冷たいかもしれません、でも医者には患者さんが亡くなっても使命があるのです。
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