プロフェッショナル・ゼミ

R15指定の映画が、私に、母親として一番必要なものを教えてくれた《映画『月と雷』×天狼院書店コラボ企画》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

 

 

記事:中村 美香(天狼院書店ライティング・ゼミ・プロフェッショナルコース)
 

「いい加減、宿題始めたら?」
「もうすぐ、夕食だから、おやつはもう食べないでおこうよ」
命令口調にならないように気をつけながらも、結局、私は、日々、自分の言葉で息子をコントロールしようとしている。
スイミングスクールだって、「普通」に泳げるようになって欲しいから、息子が、行きたくないと泣いても、通わせているし、学校の授業についていけなくなったら大変だから、勉強だってさせている。

そんな私の心が、映画『月と雷』のワンシーンを見て、ざわついた。

小学一年生くらいの智と泰子が、クリープの黄色い瓶を戸棚から降ろして、指を突っ込んで舐めても、洋服ダンスの服をまき散らし、その上にダイブしても、直子は、叱らず、縁側に腰かけ、タバコをくゆらせていた。
ひとしきり、遊んだ後、智と泰子は、満面の笑みで直子の背中に抱きついたり、ひざを枕にして寝転んでいた。
直子は、息子の智や同性相手の娘の泰子を抱き返さない代わりに、ふたりをあしらうこともなかった。
私は、タバコの灰が、泰子の顔にかからないかと心配しながらも、こんなに、子どもたちを笑顔にさせている直子は、母親として、決して、ダメなんかじゃなく、むしろ、母親として一番必要なものを持っている気がした……。

私は、息子が生まれると、いや、生まれる前から、生まれた子には、まっとうに生きて欲しいと思っていた。
正しく、人から後ろ指をさされないように、生きて欲しいと思った。
すると、その途端「普通」が気になり始めた。
「普通」はどうするのだろう?
「普通」こんなことはしないだろうか?
「普通」を探し、それをなぞろうとしてきた。
そして、息子がそうでなかった時は、「ダメ」と言ったり、例え、言葉で言わなかったとしても、態度でそのメッセージを送っていた。
そして思ったのだ。
私も、ちゃんとしようとしているんだから、あんたもちゃんとしなさいって。

ある時、人に、「ちゃんと」ってなに? と聞かれて、一瞬、戸惑ったことがある。
「『正しく』とか『普通に』ってことなんじゃないの?」
逆質問して、答えたつもりになっていたけれど、なんだかモヤモヤは残った。

本当に、私は、息子を「普通」に育てたいのだろうか?
誰のために、「普通」に育てたいのだろう?
本当に、息子のためだろうか?
自問自答しながら、気がついてしまったのは、多分、息子のためなんかじゃなくて、自分が、後ろ指をさされないように、息子に「普通」であって欲しいんだということだった。

息子が、なかなか歩き出さないことに、やきもきした日々もあった。
息子が、1歳の頃、周りにいる同じ月齢くらいの子が、どんどん歩き始めた。
早い子は、10ヶ月くらいから、おおかたは1歳3ヶ月くらいまでには、よちよち歩きはもちろん、中には小走りくらいまでできるようになっていた。
ボールを追いかけて、楽しそうに笑う親子が、妬ましかった。
息子は、ハイハイの時期が長く、つかまり立ち、伝い歩きも遅かった。
そろそろ、歩かないかなと思っても、全く、机や手すりから手を離す素振りもなく、月日ばかり過ぎて行った。
いよいよ、心配になり、1歳4ヶ月くらいに保健所に行くと、発達がゆっくりな子のための相談会で、歩くことに詳しい医師に診てもらえることになった。
人見知りする息子をおもちゃであやしながら、その先生は、息子の膝を木槌のようなもので軽くたたいてみたり、足の作りを確認したりして、こう言った。
「足に悪いところはないから、あとは、彼の気持ちの問題」
「えっ! 1歳の子に歩くことに対して必要な気持ちってあるんですか?」
「慎重なんだよね。でも、大丈夫。絶対歩くようになるから」
それでも、唖然としている私に、先生は、
「人間はね、一度歩くようになると、転んでも、必ず、立ち上がって歩こうとするんだよ。歩くことをやめないんだよ。だから、大丈夫。もう少し、待ってあげて」
と言ってくれた。
先生に勇気をもらったものの、まだ、歩く気持ちにならないのか、息子は、その後もなかなか歩かなかった。しかし、それでも、2ヶ月すると、支えがなくても立つことができるようになった。
そして、ある日、テレビを夢中になっていた息子は、テレビを見ながら、一歩前に出た。
「あれ? 今、歩いたんじゃない?」
それは、まさに、うっかり歩いちゃったみたいな感じだった。
体の準備は、本当に整っていたようで、よちよち歩きの期間はなく、急にスタスタ歩き出した。実に、1歳6ヶ月のことだった。
「普通」よりも3か月遅いだけだったけれど、私にとっては、とても長く感じた3か月だった。

せっかく公園に連れて行ったのに、ブランコでも、滑り台でも遊ばない息子にイライラしたこともあった。
子どもだったら喜ぶはずの、スリルのある遊びも、息子は異常に怖がったし、せっかく抽選で当たってやっと買えたチケットのコンサートも、「怖い」と言って泣かれて、途中退出せざるを得なかった時には、私は、怒りに震えた。

子どもならこうあるべきだ! こうであるはずだ!
こんなに愛しているのに、どうして、わかってくれないんだ!
なぜだ!
なぜだ!
愛情という名の荷物を息子に背負わせて、イライラしている日々だった。

クリープの黄色い瓶を戸棚から降ろして、指を突っ込んで舐めること。
洋服ダンスの服をまき散らし、その上にダイブすること。
それらは、「普通」ダメなことだし、それを注意しない大人も、ダメだとされる。

直子は、子どもの面倒なんて見ていなかった。
料理だって、滅多にしない。
だけど、こんなにいい加減に育てたのに、直子の側には、智という優しい子がいる。
たった、一年だけ、一緒に暮らしただけなのに、連れて行って欲しかったと泣いた泰子がいる。

なぜだろう?
そう考えながら、映画を観ていた。
そして、その訳がわかった。
それは、子どもに抱きつかれても、直子は、拒否しなかったからだ。
どんな時でも、子どもを連れて行ったからだ。

私自身は、小さい時から、「普通」であろうとしてきた。
父も母も、私を愛してくれていると実感していたけど、それは、私が「言うことを聞くいい子」だからだと思っていた。「普通」に、宿題や勉強をし、「普通」に友だちとも仲良くし、問題も起こさない。だから、愛してもらえていると思っていた。
私は、自分のことが嫌いじゃないけれど、それは、頑張っている時の自分だけで、頑張れない時やうまくいかない時の自分を認めることが、未だに、できていない。
だから、子育てに必要とされている「自己肯定感」というものが、「どんな自分にもOKを出すこと」だと聞いた時、ショックだった。
高いと思い込んでいたはずの私の「自己肯定感」は、とても低く、だからこそ、息子にも、頑張り続けて欲しいと思っているんだとわかった。
頑張っている息子なら、愛せるけれど、そうでない状態は、私にとって好ましくない。だからこそ、口うるさくなってしまうのかもしれないと思った。

だけど、直子はそれができているのだ。
自分が何もしない代わりに、息子にも何も期待しない。
だけど、見捨てず、側にいる。

直子は、「生活」から逃げていたかもしれないけれど、智からは決して逃げていなかった。

拒否しない。ダメと言わない。そして、逃げない。
もしかしたら、母親に一番必要なものはこれなのかもしれない。

どうしたら、ちゃんとした母親になれるだろう?
子育てをしていると自分の子どもへの接し方が、合っているだろうか? そう迷い、悩むことがたくさんある。
そうすると「普通」という基準に照らし合わせたくなり、そのことがとても重要に感じてしまう。
そして、「普通」が載っているたくさんの育児本を読んで、そこに書いてあることができず落ち込む、今まで、その繰り返しだった。
だけど、実際は、いくつかの「普通」でない状態を乗り越えて、少しずつ、普通でなくても大丈夫だったという経験を積み重ねて、ようやくここに立っている気もする。

「何かが始まったらもう、終わることないの。どんな風にしたって切り抜けられるの」
直子は言っていた。

映画『月と雷』を見て、自分は、ありのままの息子を愛せていないのではないかと思い、胸が痛くなった。だけど、そんな完璧じゃない「普通」でない自分でも、きっと大丈夫なのだと気がつかせてもらえた。
そして、息子を抱きしめたくなった。

 
 
 

『月と雷』
出演:初音映莉子、高良健吾 、草刈民代 / 原作:角田光代 / 監督:安藤尋
10月7日(土)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー!
http://tsukitokaminari.com
(C)2012 角田光代/中央公論新社 (C) 2017 「月と雷」製作委員会

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