助産師はごはんをつくる
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:木佐美乃里(ライティング・ゼミ 平日コース)
「そうそう、とってもいいですよ」
「大丈夫、上手にがんばれていますよ」
「もう少しですよ、しんどいけど、少しずつゴールに近づいていますからね」
わたしが仕事中に相手にかける言葉はこんな調子だ。
そっと声をかけながら、あるいは黙って寄り添いながら、腰をさすったり、身体に触れる。
わたしの仕事は助産師だ。助産師は、分娩の介助をするだけでなく、妊娠してから産後まで、新生児の世話を含めて指導を行う。母乳育児や、性教育を専門で行う助産師もおり、仕事は多岐にわたる。
産婦人科の病棟で働いているわたしにとって、いちばん難しいのは、お産の介助をすることだ。産婦さんの全身の状況から、分娩の進行の予測を立て、赤ちゃんの健康状態を判断し、母児ともに健康に出産の時を迎えられるように介助を行っていく。
お産の介助は、それまでの知識や経験によるところも大きいが、思ったように進まなかったり、かと思うと、思わぬスピードで進行したり、想定外のことがいつでも起こりうる場だ。
その晩は、初めてのお産を迎える産婦さんを受け持っていた。
お産が進むにはあと一歩陣痛が強まりきらず、赤ちゃんもスムーズに産道を降りてきてはくれず、眠れない痛みが日中から何時間も続いていた。
産婦さんも、付き添っていた家族もみな疲れ切っていて、言葉少なになっている。
少しでも痛みが楽になるように、腰をさすったり、温めたりしながら声をかけるが、こちらのほうもかける言葉が見つからなくなってくる。
「もう嫌だ……痛い……もうやめたい」
そう訴えられても、つらさに共感して、がんばりを認めてそばにいることしかできない自分に無力さと疲れを感じる。
受け持っていた産婦さんを同僚にお願いして、短時間の食事休憩に入る。
受け持ちの産婦さんは他にもいる。その他の雑務もたまっている。ため息をつきながら、自分で作ってきたお弁当をあける。やるべきことを順番に頭に浮かべながら食べすすめていたが、ふと、今頃同じものを食べているだろう夫のことを思い出した。夫の好物のからあげだ。
学生の頃や、この仕事についてすぐの頃、わたしは自分の食べるものにほとんど注意を払っていなかった。仕事がら、栄養が大切なことはもちろん知識としてはわかっていた。けれど、勉強や職場に慣れるのに精いっぱいで、コンビニ弁当や、ファストフードに頼ることも多かった。食べ物のせいばかりではないだろうが、その頃のわたしは体調を崩しやすく、すぐに風邪をひいて、長引くことも多かった。
変わったのは、結婚して夫の食事を用意するようになってからだ。
夫はわたしの作ったものを、それはうれしそうに食べる。向かいに座っているわたしが、くすっと笑ってしまうほどだ。それで作るときのつまらない気持ちもどこかに溶けて消えていってしまうようだ。
食事をつくることを面倒に思うこともある。疲れ切った日には、惣菜ですべて済ませてしまおうかと思うこともある。それでも、夫がおいしそうにほおばる姿を想像すると、「よし、やるか」と思える。それで、夜勤の日には、夫のために作った夕食の残りをお弁当箱につめて持っていくようにもなった。
そんなことを続けていると、ある日わたしは気づいた。そういえば、ずっと風邪をひいていない、最後に風邪をひいたのはいつだろう。わたしの作ったごはんは、夫を喜ばせるためのものだけではなくて、実は確実にわたしの身体を養って、少しずつ丈夫にしていたのだ。
「木佐さーん!受け持ちのお母さんが呼んでるよ!」
そんな声が聞こえて、私は慌てて最後のからあげを口に放り込み、弁当箱を片付ける。
「大丈夫、とっても上手です」
産婦さんにかけるそんな声に、いちばん励まされているのは、ほんとうはわたしなのだ。
小さな赤ちゃんを抱いた、うれしそうなお母さん、お父さん、家族の顔。それらを思い浮かべれば、いつでもわたしは「よし、やるか」と思える。
赤ちゃんの産声を聞いたとき、最初に胸に抱いたとき、このお母さんはどんな顔をするだろう。お父さんは、顔をくしゃくしゃにして泣くだろうか。赤ちゃんのお顔は誰に似ているかな。つらくて泣いたこの夜も、うれしい思い出の一部分として、いつかきっと誇りになりますように。
助産師としての自分も、いろんな夜を乗り越えて、少しずつ強くなれているだろうか。もっとたくさんのお母さんを笑顔にできるように、成長していけますように。
たくさんの気持ちを込めて、腰をさする手に力を込める。
「大丈夫。しんどいけど、がんばれていますよ」
きっと、朝には生まれるだろう。
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