鉄の女から、ステンレスの女に
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:菊地優美 (ライティング・ゼミ 日曜日コース)
「100個って……」
私は100個のステンレスマグを前に固まっていた。
お湯を入れれば冷めにくい。ビールを注げばぬるくなりにくい。
温度を一定に保ってくれるコップ、それがステンレスマグだ。
一時期話題となったので、おいていればまあ売れるだろう。
それが雑貨やインテリアのショップであれば。
そう、私は洋服屋の店長だった。
洋服屋で100個のステンレスマグは、まず売れないどころか置き場もなかった。
新卒で入社した会社は、とある全国チェーンの洋服会社だった。そこで私は入社して1年半後に店長になった。
それは私が、仕事が出来るスーパーウーマンだからとかではない。人手不足のサービス業ではよくある、まあ言ってしまえば名ばかり管理職の店長だった。
私が店長として配属されたお店は、私が入社するよりずっと前から働いているパート女性たちがほとんどのお店だった。私より何十年も長く生きてきて、何年も社会人をやっている彼女たち。こんなぺーぺーの店長が行っていいものかと緊張した。
しかしそこはさすが、大人の女性たちだ。こんなわけのわからない若い女が店長としてやってきても、ちゃんと店長と慕ってくれた。歓迎会を開き緊張をほぐしてくれたり、近所の地図を描いてくれたりと、暖かく迎え入れてくれた。
同期で同じ時期に店長になった子の中には、パートの方々とうまくいかず、お店が回らなくなったという子もいた。そんな話を聞くたびに、わたしはほんとにいいところにいるんだ、みんなの恩に報いるためにも頑張ろうと思っていた。
彼女たちは私に対して、本当に穏やかで温厚だった。しかし、全国チェーン店本部の運営方針と、何十年もこの土地で働いている彼女たちなりの店舗運営の方針が合わないということがしばしばあった。
例えば冬物の値下げ。
チェーン店なので、値下げは基本、全国一律で行わなくてはいけない。しかし、私が配属された北国では、指示があった時期に値下げせずともまだまだ売れた。
また、在庫を抜く時期。
こちらではまだ売れると踏んでいるのに、本部の指示で容赦なく売上上位店舗へ引き抜かれてしまう。
そういったチェーン店ならではの葛藤が起こった時に、彼女たちはこういうのだった。
「店長、言ってやってくださいよ!」
そうして私はその言葉通り、エリアマネージャーへ訴えていた。
「うちはまだ売れるので値下げしません」
「うちはまだ在庫を持っておきます、引き抜かないでください」
それが私を店長としてくれて受け入れてくれた、彼女たちの恩に報いることだと思っていた。
そうした矢先、この事件が起こった。
「店長すみません、誤発注してしまいました……」
一番の古株のパートさんが、ステンレスマグを100個、誤発注してしまったのだった。
途方もないこの間違い方に、私はめまいがした。いくら腐らないものとはいえ、洋服屋でステンレスマグ100個?!
「店長、なんとかしてくれますよね? いつも店舗の為に、本部に強気に出てくれて、なんとかしてくれますもんね! じゃあ、よろしくお願いしますね!」
あっけらかんと彼女は言うとじゃ、売り場に戻りまーすとその場を去って行った。
その時初めて私は、大人の女性の怖さを知った。私を受け入れてくれたと思ったけど、そんなの甘かった。私は所詮大学出たての小娘で、彼女たちの手のひらで転がされていたのだった。
どうしようこんな量。
値下げする?
いや、そんなこと勝手に判断できない。そもそも誤発注で利益はふっとんでいるんだから、この期に及んでそれはない。
返品する?
いや、誤発注での返品はできない。そういう契約だし。
いっそ私が買い取る?
いやいやいや、それは商売人としてやっちゃいけないことだ。
結局自分で答えが出せず、わたしはエリアマネージャーへ泣きついたのだった。
「うわこれはひでぇなあ」
電話を受けて様子を見に来てくれたエリアマネージャーが、はははと笑った。
わたしは小さくなって、すみません……というしかなかった。
あんなに大言壮語していたマネージャーに泣きついてなんとかしてもらおうなんて、恥ずかしかった。でも自分ではもう、どうにもできない量だった。
「鉄の女から、ステンレスの女にならないとなー」
「え?」
思わず聞き返した。
「菊地さんさ、パートさんたちのいうことの熱量全部そのまま受け取ってるでしょ?
で、それを全部上司に漏らしちゃってる。鉄の器と一緒だね。
管理職がね、一般社員と一緒になって会社を批判するのは簡単だよ。一般社員からの受けもよくなるし、自分が批判されずに済むから。
でも、管理職ってそうじゃないと、俺は思うんだよね。管理職は、パートさんたちの言うことの熱量を外に漏らさずに保てる、ステンレスマグみたいな存在にならないと。
今回ステンレスマグの誤発注だったのも何かの縁かもね。」
鉄の女から、ステンレスの女に……。
なんてうまいこと言うんだこの人は、と思った。
そして、自分が本当の名ばかり管理職であったことと思い知った。
結局、誤発注はエリアマネージャーが本部へ掛け合い、各店舗でさばくこととなった。
周りの言葉に乱されず、熱い心を内に秘める、ステンレスの女を目指す。
この気持ちを忘れないために、わたしは誤発注したステンレスマグを今でも愛用している。
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