天使たち
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:木村なほこ(ライティング・ゼミ平日コース)
短い期間だったけど、私はハワイに住んで、働いていたことがある。
そう言うと、たいていの人には「いいなあー!」「うらやましいー!」などと言われる。
私だって、そう思っていた。
ハワイに住めるなんて、なんてラッキーなんだって。
だけど、実際は、「観光地で仕事をして暮らす」ということは、そんなにいいもんじゃない。
いや、もちろん、ハワイは素晴らしいところだし、私も今でも大好きな場所だ。
とても楽しんで生活している人もたくさんいる。
でも、その頃の私は、精神的にあまりいい調子ではなくて、少々参っていた。
おまけに観光地といえば。
浮かれたツーリスト達がいつもいつも、はしゃぎながら横を通っていく。
自分は仕事をして、生活しているのだ。
元気なときはどうってことないけれど、はしゃぐ元気もない時には、かなりうっとうしい。自分が楽しくないからひがんでいたのかもしれない。
私がいつも歩いて通る道には、いつも必ず同じおじいさんが、同じところにいた。
そのおじいさんは、おそらく足と目が不自由だった。
そして、あんまりきれいな身なりをしていなかった。
車いすに乗って、ただ通りに向かって座っている。
そして、通りかかる人にあいさつをしたりしている。
ハワイの人はとてもフレンドリーで、知らない人同志でも気軽にあいさつしたり、小さく世間話をしたりする。だから、こんなおじいさんがいても、そんなに不思議じゃない。
私も毎日のように通りかかるものだから、何度もあいさつを交わしていた。
といっても別に、話しをするでもなく、こんにちは、と交わすだけだ。
彼が私のことを覚えている様子でもなかった。
ある日の夕方、私はいつもに増して、疲れ切って帰り道を歩いていた。
何があったか忘れたけれど、体力的にではなく、精神的に疲れていた。
どちらかというと、ふてくされているような、投げやりな、泣きたいような気分だったことを覚えている。
夕暮れ、もう薄暗くなっていたけれど、またいつものおじいさんが座っていた。
おじいさんは、私の気分なんて関係なく、こんばんは、といつも通り声を掛けてくる。
私はにこやかに返事をする気にならず、うっとうしくて、つい、聞こえないふりをして無言で通り過ぎようとした。
そんな私の背中に向かって、おじいさんが声を掛けた。
「Thank you for your beautiful smile. 」
美しい笑顔をありがとう。
笑顔をありがとう。って言ったのだ。
私は絶句して、逃げるようにそのまま立ち去ってしまった。
おじいさんはきっと目が見えていない。
更にもう薄暗くなっていて、目が見えていたとしても、私の顔なんて絶対見えていない。
いや、見えていたら、笑顔をありがとうなんて言えないくらい、私はひどい顔をしていたに違いないのだ。
通り過ぎてから、堰を切ったように涙が出た。
元々泣きたいような気分だったのだけど、更に自分があまりに子供じみて感じられて。
恥ずかしくて情けなかった。
あいさつは単なる言葉じゃない。贈り物なのだ。
交わすことで、贈り物をしあっている。
おじいさんからの贈り物を私は受け取りもせず、もちろんお返しもせず、無視をしたにもかかわらず、私が笑顔を贈ったことにしてくれた。
なんておじいさんなんだ。
今まで、小汚いなんて思っていたけど、本当は天使だったんじゃないか。
ふと、そう思った。
私がいつもあんまり不機嫌そうにしているから、優しく諭しに来たんじゃないだろうか。
それからももちろん日々は続いたのだけど、その後、そのおじいさんに会ったかどうか、全く覚えていない。どうしてだろう。
やっぱり天使だったんじゃないか。
そう思えてならない。
ハワイといえば、美しいビーチや自然、フラダンス、そしてパンケーキにショッピング。
そんなイメージかもしれない。
もちろんそれらも大変魅力的だ。
だけど、私にとって一番の魅力は、あの島に暮らす人たちだった。
よく考えたら、あのおじいさん以外にも、天使はたくさんいたのだ。
毎日買い物していたスーパーマーケットのレジのおばさん。
職場の誰も気づかないくらい、少しだけ髪を切った時、唯一気付いて「あらー、髪切ったのね、素敵よー」とビッグスマイルで声を掛けてくれる。
青い上っ張りみたいな制服の天使。
ゴミを回収してくれるおじさんは、多分英語があまり得意ではなくて、話しは全然しなかったけど、目が合うといつも顔をくちゃくちゃにして笑いかけてくれた。ダブダブのあずき色のポロシャツが制服だったなあ。
そんなことまで覚えている。
そう、身なりや何かに関わらず、笑顔が何より美しく魅力的だってこと。
笑いかけることがあいさつとともに、大きなプレゼントになるということ。
それを教えてくれたのが、ハワイの天使たちだった。
日本に戻って、無表情の人混みの中、うっかりとそれを忘れそうになる。
ずいぶんと時間がたったけれど、今でも時々彼らのことを思い出しては、ほっこりとした気持ちになるのだ。
そして気付く。
自分だって、誰だって、ビッグスマイルで誰かの天使になれるんだってこと。
何より、少々無理してでも笑顔をつくると、不思議と本当にやさしい気持ちになれるから。
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