メディアグランプリ

ストレスまみれの私を救ってくれたもの


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記事:相澤綾子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
※この話はフィクションです。
 
 8月になり、諸事情で係異動して4か月経った。クリエイティビティ要するこれまでの仕事とは異なり、陳腐な庶務事務だった。私はそういう評価なのかと落ち込んだ。他方、与えられた仕事を気持ちよくできない未熟な自分に苛立ちもした。
 ひたすら入ってくる文書を読み、関係者に仕事を依頼し、締め切りを設定し、督促し、とりまとめ、回答する。締め切りを守ってくれないのは皆忙しいからと頭ではわかっていても、自分がないがしろにされているようで落ち込んだ。その合間に消耗品の不足をチェックして注文し、パート社員の給与計算、出張費の算出などの雑務、経費の支払い。こういうのは新人の仕事ではないのか?
 前の仕事の後任は引き継ぎの際に、私が新規に立ち上げた仕事を「手柄はもらいます」と言った。腹は立ったけれど、それでもその仕事の重要性を理解してくれているのは良かったと考えていた。ところが実際には何もできていなかった。それを同じ職場で目の当たりにしなければいけないのは苦痛だった。
 毎月体に何らかの不調が出た。7月には身体の節々が痛くなり、熱も少しあったので1日休んだ。代わりに後輩が課宛のメールや文書を振り分けてくれた。うち一通のメールは、私の個人宛に「分からないのでとりあえず転送します」とコメント付きで転送されていた。忙しかったのは分かる。でも添付ファイルを開けば分かることもしてくれないのか。もともと短かった締め切りがより短くなったのは、休んだ私のせいではない。
身体の痛みは数日で収まった。けれど8月に入ると、今度は眠れない日が始まった。今晩こそは眠れるだろうと思っても、結果として朝まで2,3時間しか眠りに落ちないまま朝を迎えてしまう。もう1週間近い。
 
 そんなある日、出張先に向かう電車の車窓から、キラキラと輝く青いドーム型の屋根が目に入った。それはまちの美術館で、市内の小学校の遠足の定番の行き先だった。
  
 私が行ったのは小学校3年生の時だった。着いたら重苦しい絵や難解な彫刻を見ながら学芸員の話を聞かなければならないのかと思っていたら、全く違った。簡単な挨拶が終わると、
「作品を見ながら絵を描いてごらん、いたずら書きのつもりで絵を描き足したりしてもいいよ」
と言った。学芸員はスケッチブックに向かう私たちの間を回り、いいねえ、面白いねえ、と声をかけていた。私はバレリーナのブロンズ彫刻の姿を絵にし、色鉛筆で素敵な衣装を着せた。思いつきで大きな翼もつけ、妖精に変身させた。学芸員は驚いたような顔をしてから「翼をつけたんだね、素敵だねえ」とほめてくれた。
  
 出張先での用件が終わり、最寄り駅まで歩く間、青いドームが頭から離れなかった。美術館に寄ってそのまま帰宅しゆっくり過ごせば、今日こそは眠れるかもしれない。私は駅で職場に電話して上司を呼び出し、出張の報告に付け加えた。
「すみません、体調があまり良くないので、このまま帰ります」
「仕事の方が問題ないならいいよ。お疲れ様」
お大事に、とかはないのか。でも、美術館に立ち寄れる自由が嬉しくて、いつもほどトゲトゲした気持ちにはならなかった。
 
 あの遠足以来だった。現代アートの企画展中だったが、平日ということもあり、人はまばらだった。赤や青などがべったりと塗られた絵が10枚程度飾られていた。一枚一枚を丁寧に見て、その中に、何かを見つけようとした。けれど、何も見つからず、最後までよく分からなかった。静かな美術館の中で、自分の呼吸と靴の音だけが聞こえた。もっと涙を流すような感動や、心揺さぶられる体験を期待していたのだけれど、そこまでのことはなかった。
ただ、普段とは違う空間で、ゆっくりした時間を過ごせたことに満足した。
   
 アートは空気のようなものなのだ。その効果が目に見えないので気づきにくいけれど、私たちに必要なもので、ないと息苦しくなってしまう。仮にアートになど全く興味がないという人であっても、洗練されたファッションや美しい車、かわいらしい文房具、目を引くポスターも同じだ。デザインの中に取り入れられた芸術性に、私たちは気づかずに癒されているのではないか。
  
 帰宅してからも何度も見た絵たちが頭に浮かんだ。時間を追うごとに絵のイメージはあやふやになってきたが、ぼんやり思い出すことで私の気持ちは穏やかになった。私はこういうものに飢えていたのだ。その夜は気づかないうちに寝入り、一度も目覚めることなく、朝を迎えることができた。
 
 一般的にストレスを強く感じている人は、左脳を酷使して、右脳はほとんど使っていないという傾向があるという。左脳は言語認識や論理的思考などに使い、芸術や創造性、空間認知などには右脳を使う。 左脳は疲れ切っているのに、右脳はほとんど使われることがないまま放置されると、そのバランスの悪さのせいでますますストレスがたまっていってしまうそうだ。まさに私の日常は左脳ばかり使っている状態だった。アートを見ることで、私の右脳が刺激されたのだ。行こうと決めたのも右脳からのSOSだったのか?
 
 身も心も軽くなった状態で職場に行くと、上司がすぐに声をかけてきた。
「おはよう、体調は大丈夫なの?」
「はい、おかげさまでよく眠れたので、元気になりました。ありがとうございます」
また頭の中にあの絵たちが浮かんだ。その記憶は宝物のように、何度も浮かび上がり、その度に私をゆったりとした気持ちにしてくれた。
 
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2017-10-31 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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