メディアグランプリ

「カチッ」 音だけの隣人


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:はなおか ゆう(ライティングゼミ平日コース)

 
 

「ねえ、ユーレーって信じてる?」
 
会社員になって数年目のことだった。何の流れでそんな話題になったのかは覚えていないけれど、取引先の人と食事をしていた夜、突然の話題だった。
 
その人の話は、まとめてしまえば、どうということはない。
ロッカールームで起きる、怪現象というものだ。
縦に細長い、金属製のロッカーと言って、皆さんは想像できるだろうか。
それがずらりと30ずつ向かい合わせに並ぶ、細長い小部屋が女子ロッカールーム。着替える時に、扉を開いて着替えていると、扉が左側に衝立のようになる。
その、左隣で、「ガチャ」と扉が開く音がするのだというのだ。
自分の隣のロッカーの人が静かに入って来たのだろうと「お疲れ様です〜」と左を向いても、誰もいない。そんな話だ。
ベテラン社員に聞いたという、古いオフィス時代の話だった。
 
わたしには、いわゆる“霊感”というものはない。
ホラー映画もホラー小説も大好きで、オカルト番組も大好きだが、それは「現実にあり得ない」からこそである。
ひょんなことから、自称「視える」人に3人ばかり立て続けに会う機会があった時にも、「ハナさんは、絶対に視えませんよ。逆の意味で、霊感強いって言えるかもしれませんね〜」と太鼓判をもらった。とにかく、無い。
存在は否定しないが、遭遇できない以上、自分の世界には存在しない。よって、ユーレーを信じるも何も、知覚できないという意味で、存在していないということはわかっている。
 
そんなわたしにも、「ガチャ」音怪談と似た自己体験が1つある。
 
新卒で入社して、一人暮らしを決めたマンションの隣室のことだ。
 
駅から遠い代わりに、最上階角部屋で、日当たりも眺望も良いアタリ物件に恵まれた。家賃は予算ぎりぎりはみ出したのだが、周辺の相場からしたら、とても安かった。理由は、大家さんが高齢の資産家で、今はとても元気だけれど、年齢が年齢なのでお迎えが急にくるかもしれない。その時に、相続相手が「売却」と急な判断をした場合、予め告知するが契約前に打ち切りになる可能性がある、ということだった。わたしは喜んで契約した。
 
小さなマンションだったので、1ヶ月もしたら同じ住所のメンバーとはゴミ捨て場やポストのあたりですれ違い、何となく顔も見知って、フロアの予想もついてきた。しかし半年経っても、隣人には会えないままだった。
空室なのだろうかとも思ったが、電気メーターはゆるゆると回っているし、ポストに時々、配達物が覗いていたり、無くなったりしているので、無人ではないと見ていた。
ほとんど寝に帰っているだけの自分の生活を考えると、すれ違い続けているだけだろうとも思っていた。
 
ところが。
 
そろそろクリスマス商戦も追い込みという頃。
帰宅をした際に立ち寄ったポストで、隣の投函物が溢れていることに気づいた。エレベータで上がり、部屋に向かって外廊下を進む。ちょうど隣家のドア前に通りかかった瞬間。

 
「カチッ」
 

ドアの鍵を内側からかけるような音が、ドア越しに聞こえた。
 
(おっ! 留守じゃなかったか)
 
それだけのことだった。
 
ところが、しばらくの間、わたしが通りかかると「カチッ」と内側から鍵をかける音がするようになった。もちろん、毎回必ず、というわけではなかったと思うのだが。ふと、
(あれ? また同じタイミングで?)
と気づいてしまってからが良くなかった。
 

そこから、毎回なのだ。
毎回、わたしが通りかかると、「カチッ」と音がする。
モヤモヤとした気持ちで、自室に入り、施錠をすると、同じ音に聞こえる。だから、通りかかったタイミングで、施錠をされているのではないか、と疑心暗鬼になる。
 
職場や友人に「隣人が、わたしが通りかかると施錠をしている気がする」と愚痴をこぼし続け、バレンタインも終わった頃。
(また今夜も施錠されるんだろうか。っていうか、人の足音聞いて、「あっ、鍵締め忘れた!」みたいなうっかりさんなんだろうか)
と自分のフロアに上がってきて、ぎょっとした。
隣室のドアが、外からガムテープで目張りされ、鍵にドーム状のカバーがつけられているではないか!
 
何があったというのでしょうか。おいおい。
モヤモヤというか、はっきり言って、怖い。「カチッ」という音以外、隣人を知らないのだから、本当に怖い。
 
そろ〜っといつも以上に足音を忍ばせて、ドアの前を通り過ぎた。
今、「カチッ」と聞こえたら、たぶん、絶叫する。映画みたいに。
聞こえませんように。絶対に、聞こえませんように。
初めて、“そういう存在”に遭遇しませんように、と神仏に祈った。
 
急いで自分の部屋の鍵を開けて、飛び込んだ。
ドアを閉めて、バクバクいう心臓を鎮める。
 
内鍵に手をかけたものの、どうしてもその夜、「カチッ」というロック音を聞くことが怖くて、チェーンロックをして、玄関に山ほど靴を並べて(真っ暗な中、侵入者が蹴つまずくようにとトラップのつもりだった)、さっさと眠った。
 
翌日は久しぶりの完全な休日。思い切り寝坊してやろうと思っていたわたしは、8時半に隣室からのガタゴトという物音で飛び起きた。
 
そっと玄関に出てドアを開けたら、ブルーの作業着を着た男性二人組と、スーツ姿のサラリーマンが、テーブルを運び出していた。
わたしに気づいたサラリーマンは、マンションの管理会社の名刺を差し出した。隣人は、家賃滞納で追い出されて、荷物もそのままにバックれたそうだ。
 
いつまで、この部屋にいたのか。いつから家賃を払っていなかったのか。
詳細は聞かなかった。男か、女かも聞かなかった。
 

あの「カチッ」がなんだったのか、知りたくなかったからだ。
 

その後、すぐ何事もなかったかのように、新たに30代の若い夫婦が越してきた。引越し挨拶に、なぜかうどんをもらった。結婚を機に二人で暮らすことにして、隣の区から引っ越してきたということだった。
それきり「カチッ」には遭遇しなくなり、わたしは結婚するまで10年、同じ部屋に住んだ。「カチッ」の正体も、隣人も、何もわからないままである。
知覚しないものは、存在しないのだから。
 
なんてことはない、東京ではきっとよくある一人暮らしの思い出話だ。

 

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2017-11-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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